第24話

「――『人生何が起こるかわからないですね。自分が誰かの妄想上の恋人になりうるんですよ? こんな経験、なかなか無いですよね』レイ・ヴェルノットは小さき背を伸ばしながら、まるで歌うように言い放った」

「先輩、読み上げなくていいです」


 新聞を読み上げるフォルトンに、レイは不機嫌にそう言い放った。


 フォルトンが読んでいる新聞は、一面に昨日の初公判について書いてあったものだ。検閲が入ったためか、どの新聞もディートリヒとレイの人物像の対比が書かれていることが多い印象を受ける。ディートリヒとレイの写真を大きく並べて、『痴情のもつれ公判』などと揶揄する記事もあれば、ディートリヒの領主代理としての実績と人物像に重きを置いて読者に訴えかけるような記事もあった。こういう意味では、貴族社会において社会的地位と信頼というのは何よりも強力な武器であることがよく分かる。フォルトンが読んでいる新聞は、その中でもレイのことを良く書こうとしている新聞の一つだったが、レイはその新聞が一番嫌いだった。身長のことは別に書かなくてもよかっただろうに。


 玉座の問いにより、ほぼ判決は原告側に傾いていた。玉座の問いは王の意向と同義で、原告側の主張を認めよという無言の圧力である。しかしレイの弁論の後、予定通り公判は進められたが、拉致監禁時の詳細な状況説明のくだりで、「魔力拘束具をどのように抜け出したのか」という問いに対し、原告側の弁護士から、防犯上の都合により魔法捜査一課からの依頼され宣誓魔法を行使しており、およそ三か月間言及できない旨を伝えたところ、「虚偽の主張ではないか」と逆手に取られ、大荒れに荒れた。これは、レイ・ヴェルノットも嘘を言っているのではないか、という印象を植え付けるための策略だった可能性もある。その後、国王が突然席を立ったため、公判は中断し、そのまま異例のお開きとなってしまった。次の公判の日付は、国王の予定と調整して沙汰がくだることになった。国王が何を考えているのか、諜報部であるクラウスも分からないと言っており、とにかくどっと疲れたレイは、その日はそのまま眠りについた。


 どの新聞にも国王がレイに尊顔直視を許したことは書かれていなかった。そのこと自体はレイにとって喜ばしいことであったが、あの新しい玩具でも見つけたような目は、レイに言い知れぬ不安を植え付けた。


「ていうか、こんなことになってたんだったら、言えよ。水臭いな」


 フォルトンは新聞を畳みながら、口を曲げて言い放った。レイは新聞に書いてある内容を思い出しながら、苦笑した。その新聞には、レイ・ヴェルノットのことを詳細に記載してあった。伝説の魔術師ルミア・ヴェルノットの孫ということから、魔力回路の先天的な疾患についてまでも、レイがあえてぼかして過ごしてきたことが事細かく。それを読んだ上で、フォルトンはいつもの調子で話しかけてきた。


「すみません」


 レイは素直に謝った。「ま、別にいいけどさ」と、フォルトンが畳んだ新聞を自分の鞄に突っ込みながら呟く。それを見ながら、レイは今朝大学に着いてからここ研究室に入るまでの道のりを思い出した。護衛を二人従えて歩く伝説の魔術師の孫の姿を、遠巻きに見ながら声を潜めて話している学生たちの姿。覚悟はしていたが、レイの平穏は崩れた。その中で、この研究室の中にいるゼミ生だけが、レイの姿を普段よりも長く一瞥しただけで、いつも通り調合台やデータの入力補助機に向かって行った。


 レイは調合台の準備をしながら、フォルトンに声をかけた。


「……先輩、なんか皆に言いました?」

「べっつにー?」


 フォルトンが図書館から借りてきたらしい『魔法薬による染色~緑~』という表題の本を開きながらそう答えた。レイは苦笑しながら、フォルトンの暗躍に感謝した。


「で、バネッサさんは分かるけど、お前のことを熱い視線で見てるそちらの方は?」


 明らかにオリンのことを言っているだろうフォルトンに、レイはため息をついた。なるべく視界に入れないようにしていたのに現実を突きつけてくるから容赦がない。


 クラウスは別段何も言及していなかったが、オリンの目は明らかにレイを敵視していた。昨日の裁判が始まる前に合流した時にはまるで品定めをするかのように見られたところから始まり、心労が酷い。バネッサも何度か注意をしてくれているが、最近はそれすらも諦めてしまっているようにも見える。レイの護衛を買って出てくれたという割にはオリンの視線の鋭さは衰えることなく、そろそろ気にしないようにするのも限界に達しそうだ。


「護衛をしてくれている人で、オリンさん」

「オリンさん、ね。よろしくお願いします」


 フォルトンが笑顔でオリンを見ると、オリンは会釈を返した。フォルトンは気にする素振りも見せず、また本に視線を落とす。それを隣に座りながら、レイは机に顔を付けて見ていた。


 机に付けた右耳がひんやりとして気持ちがいい。先ほどまでは指の先まで熱かったのに、今ではもう体の中と頭だけなので、魔力回路の熱はもうそろそろ下がるはずだ。マスクも取ってしまいたい。マスクの中の熱い湿った呼気を吸い込むのが苦しい。そろそろとってもいいだろうか。いや、まだダメか。自問自答しながら、レイはザルハディア王国から取り寄せた論文を思い浮かべていた。


 魔法薬研究が進んでいるザルハディア王国の論文で、魔力の呪いによる魔力回路痛への新しい有効成分が発表された。ただ、それは非常に厄介なもので、とある有毒鉱石から丁寧に毒を中和し、そこから更に慎重に抽出を行わねばならず、魔力の消費量と魔力回路への負担が激しい。そのため、魔術師である魔法薬士が長年の研究の末、発表したものだった。レイは、何度か自身で抽出を行ってみたが、毒の中和はできても、そのあとの抽出に時間がかかり、いつも魔力回路をオーバーヒートさせていた。


 今回は、毒の中和段階までしか行っていない。しかしながら、途中で調合台の魔法陣の劣化箇所がスパークし、そこを自身の魔力で繋ぎ直しながら行ったためにオーバーヒート寸前まで行ってしまった。毒の中和作業を途中でやめると、せっかく取り寄せた鉱物が変質して使い物にならなくなってしまうため、中断するわけにもいかなかった。

 

「息苦しい」


 ぽつりと呟いて、頭を反対に向ける。先ほどまで頭を付けていた机の面はすっかり熱が移っていて温い。レイはひんやりするところを探して少し頭をずらした。そんな様子をみてバネッサが呆れたように声をかけてきた。


「応急処置しようか?」

「バネッサさんはあくまで護衛なんですから、いいですよ。あ、それとも護衛しづらいとかですかね。それだったら――」

「いや、むしろあなたの場合は動けないほうがいいかもしれない。無茶されたら困るから」


 ばっさりと切られて、レイはその清々しさに笑った。


「もしかしてアイツに何か聞きました?」


 誰が聞いているかわからないので、クラウスの名前を出さずに声のトーンを落としてレイが聞くと、バネッサは意味深に笑って見せた。あぁ、これはなんか言ったなアイツ。そう思いながらレイはため息をついた。


「今、アイツなにやってるんですか?」

「貴方の彼のことを言ってるなら、国王と昨日の裁判について話してるわね。すごく怒ってたもの、鉄仮面のくせに」

「……怒ってた?」


 レイが頭を持ち上げると、バネッサは難しい顔をしながら声を潜めて話し始めた。


「“尊顔直視の許し”よ。あんなの、敵にしてみれば面白くないに決まってるじゃない。余計な火種になりかねないことをするなって」

「え、そんなことして大丈夫なんですか!?」


 国王相手にそんなことをするなんて、アイツはいったい何してるんだ。例え直属の上司だからって、やって良い事と駄目なことぐらいあるだろう。レイは魔力回路の発熱以外で汗をかいた。バネッサは「あー」と少し迷って隣に立っているオリンを見るが、当のオリンも口の端を持ち上げるだけで何も答えない。


「……ま、そんなことより。マスク取れば? 暑いでしょ」


 と無理やり、話を逸らそうとバネッサがレイのマスクに手を伸ばす。レイは身を引いてその手から逃れながら断った。


「いや、大丈夫です」

「良くないでしょ。魔力回路の発熱は、普通に発熱してるのと一緒で息苦しいのに、そんな特殊マスクしてたらしんどいでしょ」

「あの、いや、なんというか……」


 バネッサが更に手を伸ばしてくるので、レイはその手をそっと掴んでしどろもどろになりながら答える。


「アイツが……なんか、怒るので。……発熱中の顔見せるの」


 そう言うと、バネッサの手が止まった。じっとマスクをしているレイの顔を覗き込み、ため息をついた。


「……難儀な」

「すみません」

「いや、どっちの立場も分からなくないから、ちょっと、うーん……でも医者としては推奨しづらいわよそれ」


 そう言って、バネッサが医療魔法を行使したのが分かった。およそ数秒の医療魔法。バネッサの手を包んでいるレイの手から、ひんやりとした感触が体の中に流れていく。体の中が冷え始めて、レイはほっと息を吐いた。


「ご迷惑をおかけしました」

「いいもの見せてもらったお礼よ。あなたの調合魔法、かっこよかったもの。何より、楽しそうだったわ」


 バネッサがニッと歯を見せて笑ってきた。もう唇は切れていないようで、レイもつられて笑った。そのまま立ち上がって自分の状態を確認する。脈も正常、ふらつきも無し、暑さなし。


「うわ、楽……」


 驚くほど楽になって、思わず感嘆の声が漏れた。その反応を見て、バネッサが更に得意げににんまりと笑って胸を張った。


「私だって、やるときはやるのよ」

「前回うまくできなくて勉強したんスよね」

「余計なこと言わないでいいのよオリン」


 表情を変えずに姿勢良く立っているオリンの言葉に、バネッサが表情を変えずにどすの効いた声で凄んだ。バネッサがふと時計を見て、真剣な面持ちでオリンに語り掛ける。


「少し外すわ。大丈夫ね? オリン」


 無言で頷くオリンを見て、バネッサはため息をついて研究室を出て行った。バネッサの背を見送ってから、オリンはレイの斜め向かいの席にどかりと音を立てて座り、レイの顔をじっと見てきた。――またこれか。レイはそう思いながらオリンに小声で話しかけた。


「何か、俺に言いたいことがあるんですよね?」


 昨日今日の態度で、レイはバネッサが席を外す瞬間を待っていた。きっとそれはオリンも同じだったのだろう、机の上に頬杖をついて、態度悪くレイに言った。


「わっかんねぇな。なんでクラウスさんはこいつを選んだんだ」


 突然の悪態に、レイは不敵に笑ってみせた。


「……『自分じゃなくて』?」


 レイは他人からの好意には疎い自覚があった。ただし、過去に色々あったことによって「やっかまれる」ことが多かったために、他人からの悪意には敏くなった。――特に、色恋については。


 オリンの目がキッと鋭くなる。肯定以外の何物でもないその反応に、レイはため息をついた。クラウスがオリンについて話す雰囲気と、オリンのレイに対する態度との乖離を見ても、レイに対する悪感情は確実だとは思っていた。ただそれが、クラウスに対する羨望なのか、恋心なのか、判断できていなかった。だが、どうやら当たりだったようだ。クラウスがもしオリンの気持ちに気付いているのであれば、護衛につけさせたりはしないだろう。人のことは好意に疎いだの言うくせに、アイツも人のこと言えないじゃないか。


 レイはオリンの頭を見ながら、呟くように言い放った。


「髪を染めたのも、彼の真似か? その割には……黄色いな」

「ほっとけ!」


 機嫌悪そうに言うオリンに、レイは肩をすくめるしかなかった。もともとの色が鮮やかな赤色なので、一度髪の色を抜かないと綺麗な発色にはならなそうだ。これは流石に自分じゃ手に負えない。


「先輩、オリンさんの髪の毛なんですけど――」


 レイは集中して本を読んでいたフォルトンに声をかけた。

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