第32話
健太が去った後、裕子と正樹の間には、嵐が過ぎ去った後のような静けさと、確かな安堵感が残った。裕子は、自分の覚悟を正樹に、そして健太に見せることができたことに満足していた。
「健太の言うこともわかる。でも、これで良かったんだ」
裕子は正樹の腕の中で、そう呟いた。
「ああ。もう迷うな。俺たちがやるべきことは、この畑で裕子の笑顔を曇らせないことだけだ」
正樹はそう言って、裕子の額にキスをした。
翌日、二人は美咲が待つ町の観光協会へと向かった。美咲は、二人が到着するなり、開口一番に切り出した。
「松本さん、帰ったそうね。正直、あなたが東京に戻るんじゃないかって心配してたわ」
美咲の視線は鋭かったが、その言葉には、どこか安堵の色が滲んでいた。
「私の居場所はここです。そして、正樹さんの夢を叶えるのが、今の私のキャリアです」
裕子は、健太に言われた言葉を反芻するように、力強く言い返した。
美咲は、裕子の言葉に満足そうに頷いた。
「わかったわ。それなら、本気で『ひまわり畑プロジェクト』を始めるわよ」
美咲は、観光協会が作成した、町全体を巻き込んだ壮大な計画を二人に提示した。夏祭りの時期に合わせた「ひまわり迷路」の設置、地元食材を使った「ひまわりカフェ」のオープン、そして裕子が作ったウェブサイトを活用した町外への情報発信。
「資金は、観光振興の補助金を申請するわ。でも、最大の課題は、畑の提供者よ」
美咲はそう言って、ある農家の名前を挙げた。その農家は、町の中心部に広大な遊休地を持っており、プロジェクトの成功には不可欠な土地だった。しかし、その農家は非常に保守的で、外部の人間との交流を拒むことで有名だった。
「その土地を使えれば、畑の規模は一気に拡大できる。でも、あの人を説得するのは…」
正樹は難色を示した。
「耕作さんに、相談してみましょう。町で一番の頑固者なら、彼の頑固さを知っているはずですから」
裕子は、そう提案した。彼女は、耕作との交流を通じて学んだ、地元の人々の心を動かす鍵が、畑への真摯な思いにあることを知っていた。
夕方、二人は耕作にひまわり畑プロジェクトの計画書を見せた。耕作は無言で計画書を読み、最後に例の農家の名前が書かれたページで手を止めた。
「…あそこは、無理だ」
耕作はそう言って、計画書を畳んだ。
しかし、裕子は引かなかった。
「無理だと分かっています。だからこそ、耕作さんの力を貸してください。畑を大切に思う気持ちは、私たちも同じです」
裕子の真剣な眼差しに、耕作は再び黙り込んだ。彼の視線は、裕子を試しているようでもあり、何かを決断しようとしているようでもあった。
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