第11話

夏祭りの日、裕子は仕事を終えるとすぐに新幹線に飛び乗った。スマートフォンでメッセージアプリを開くが、正樹には何も送らなかった。サプライズにしたかった。彼は今、どんな顔をして、どんな声で驚いてくれるだろうか。そんな想像をするだけで、胸が高鳴った。


新幹線を降り、鈍行列車に揺られる。車窓から見える景色は、ネオンの光から、田んぼや畑へと変わっていく。都会の喧騒が嘘のように遠ざかり、裕子の心は静かに、そして確実にあの日々へと戻っていくのを感じた。


電車を降りると、潮の香りと夏祭りの賑やかな声が聞こえてきた。浴衣を着た人々が楽しそうに歩いている。裕子は、ポニーテールにした髪に少しだけ花飾りをつけてきた。いつものロングスカートではなく、少し華やかなワンピースを選んだ。正樹に、少しでも綺麗になった自分を見せたかった。


祭りの中心部へ向かう。金魚すくい、射的、屋台の並ぶ道。懐かしい光景に、自然と笑顔がこぼれる。人混みをかき分け、彼の姿を探す。


「正樹!」


遠くに、見慣れた後ろ姿を見つけた。彼は浴衣ではなく、Tシャツにデニムのハーフパンツという、いつものスタイルだった。手に持ったかき氷を、隣にいる女性と楽しそうに話しながら食べている。


その女性は、見慣れない顔だった。裕子と同じくらいの年齢で、浴衣を着ていた。二人はとても親密そうに見えた。裕子の心臓が、ドクンと嫌な音を立てた。


正樹は、彼女に笑顔を向け、何か話しかけている。女性はそれに答えて、楽しそうに笑う。


裕子の足が、動かなくなった。


彼の隣に、自分がいない。


それが、こんなにも辛いことだなんて、思ってもいなかった。裕子は、自分がこの海辺の町に戻ってきた本当の理由に、ようやく気づいた。


ただ、会いたかった。


それなのに、彼の隣には、自分が知らない、浴衣姿の女性がいる。


「…そう、か」


裕子は、胸にじわりと広がる痛みに耐えながら、踵を返した。

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