陰陽師・賀茂晴成の恋文の事
難波霞月
序(上)
「ねえ、友房殿。友房殿!」
清徳3年。宮中で催された
友房がそちらを見ると、まるでどこぞの姫君が男装したかのような、小柄な色の白い美青年が物陰からこちらを覗いている。
その装束は、白い狩衣に立烏帽子。陰陽師の装束として典礼に定められているものだった。
節会で出た菊酒にいささかほろ酔い気分の友房は、それが陰陽寮に勤める旧知の
友房と晴成は同い年で、子どもの頃からの竹馬の友だ。
何をするにも、友房の方が兄貴分だった。やがて年頃になった2人は、宮中に出仕した。
友房は宮内の祭礼関連の文書作成を、晴成は祭祀の補助を担当したことから、今でも顔を合わせる機会は少なくない。
「実は、お願いしたいことがあるんだ。能筆と名高いキミに、代筆をお願いしたいんだけど」
晴成は、はにかむような顔を見せる。その言葉に友房は、ふむ、と唸った。
紀家は宮中の文書を扱う一族であり、文字を書くことが多いことから、能筆家が多い。
他ならぬ親友の頼みに、友房は一も二もなく同意した。
「いいぜ。だけどお前だって、けっして悪筆じゃないだろ?」
「キミにそう言われると、ちょっと恥ずかしいけど……」
晴成は、照れくさそうな顔をした。だが、すぐに容色を改めて、
「実は、このことはキミにしか頼めないんだ」
そう言い切った。
「ふぅん。なんだかよくわからんけど、わかった。どうせ、今日の出仕はもう終わりだ。この後、お前の邸に行けばいいか?」
友房の返事に、晴成は「ありがとう」と子犬のような笑顔を見せた。
そのときほのかに、さわやかな橘の香りがした。
◇
晴成の邸へ向かう牛車の中で、友房は手にした扇を弄びつつ、先ほどのことに思いをはせた。
文官ながら弓や騎馬、剣術なども心得ている友房は、体もたくましく、大柄なので、牛車の中はこころなしか狭い。
(いったいなんなんだ。用件ならその場で言えばいいのに)
性明朗にして快活で、卑賎な武士どもとも気さくに交わる彼にとって、晴成は煮え切らないヤツだった。
なんだかいつでもうじうじしていて、なよなよしていて、まるで世の中を知らない鄙の姫君のようだ。
(だからこそ、守ってやらなきゃと思うんだけどな)
ぽわぽわとしたお人好しの晴成は、宮中の狐狸どもから見たら、姓のとおりカモでしかなかった。友房は、晴成が貴族連中の派閥争いへ巻き込まれそうになったり、淫蕩な女房衆にからかわれたりしたときには、いつも守ってやってきた。最近は「
だが彼は、先ほど会ったときに晴成の衣から薫る香が、橘の花が咲き乱れる
友房は、
子どものころから一緒にいて、ことあるたびに同じ時間を過ごしてきたのだから、それは自然なことだった。
宮中に出仕して「守る、守られる」の関係ができてからは、余計に友房は晴成を意識するようになった。
決定打になったのは、端午の節会で起きた小事件だ。
かねてより晴成に懸想していると評判だった、
(あのときの、オレにすがりつくような子犬顔が、頭から離れんのだよなー……)
晴成の方も、きっと自分のことを意識しているだろう、と友房は考えていた。
事件以降、これまでに増して自分のことを頼り、甘えてくる。それこそ、子犬のようにまとわりついてくることだって少なくない。
それから宮中でお互い見かけたときに――あいつは、オレの方ばかり見ている。
異性との色恋は、家同士のしがらみも生じるため、政治的な要素を多分に含まざるを得ないこの時代。
男女問わず同性間の色恋は、かえって打算や思惑がうすく、すがすがしいものと考えられていた。
(ただ、中には痴情がこじれにこじれて、刃傷に及ぶこともあるがなあ)
少なくとも自分は、そんなことにはなるまい。
友房は、自分には
それでも、
夢に出てくるだけならばいい。しかし、夢の中で濃密な逢瀬をかわしているのは、ちょっとアブないんじゃないだろうか。
(執着しているつもりはないはずだが――)
夢の中で同衾していた場面を思い出し、そんな妄想を振り払っていると、牛車は晴成の邸の前に止まる。
先触れの使者が御者に何やら引き継いでから、
「御車、ただ今着きにて候ふ。向こうもすでに御支度ととのひ候ふ由にござります」
と恭しい声色で述べる。友房は(つまらん芝居を)と思ったが、こういうことは貴族の格式を保つのに必要な作法なので「うむ」と応じてゆるゆると支度した。
賀茂晴成邸は、
案内の家人にまず
すぐそばの鷹野川の水を引き込んだという泉を見つつ廊下を歩き、
(おやおや。まさか釣りでもしようなんて思ってるんじゃないだろうな)
そんなことを考えていると、釣殿には、すでに晴成が待っていた。
ご丁寧に、白酒と煮栗に、干し柿まで用意している。そしてその脇には、文机が置かれていた。
家人は案内を終えると、一礼をしてその場を去る。
(なるほど。ここなら、オレとこいつの2人だけか。秘密の内容だとしても、だれにも知られん)
「すまない。わざわざ来てもらって」
「いや、いいってことよ。それにしても、用意がいいな」
「式神を飛ばして、あつらえさせた。僕もさっき帰ってきたばかりだよ」
晴成の言うには、この酒食は、彼が操る目に見えない鬼――式神がやったことだという。
そう言われてみれば、干し柿が出るには、まだ相当時期が早い。時季外れの物を用意するとは、恐れ入った。
友房は、晴成が陰陽術を使うところを、何度か見たことがある。
一度だけ、まじないの言葉で、賊をねじふせたこともあった。
晴成が「ひれ伏せ」と命じるや否や、賊がその場にへたり込んで動けなくなったのだ。
ただ、晴成がそうした暴力的な術を使ったところを見たのは、後にも先にもその一度きりだった。
(うらなり瓢箪とはいえ、さすがに陰陽師だな。やることが違う)
座についた友房と晴成は、さっそく白酒を一、二献かわした。
「それで、オレに書いてもらいたいものとは、なんだ?」
やがて、友房は晴成に切り出した。
晴成は、すこし庭の方に目をやってから、口元を扇で隠し、なにやらぼそぼそ言う。
「聞こえんぞー。だったら、書けないからなー」
友房は、わざと意地悪っぽくする。
「誰にも言うなよ!」
晴成は、意を決した顔つきになる。それを見た友房は、
「わかった。約束するぜ」
と応じると、晴成は顔を赤くして、
「こ……恋文だ!」
と声を絞り出した。
思いもよらぬ友の言葉に、友房は「は?」と思わず声を上げた。
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