第18話 私はアイドルのモモ
◇◇ 9月1日 16時 海水浴場
学校の帰りに少しだけのバイトを終えて、俺はいつもの海水浴場に来ていた。
いつものようにコーラを買い、坂を下り木陰のベンチに座る。
風が心地良い。だけど、俺の心はざわついていた。
もう百花はここに居ない。それはわかっているが、猛烈な寂しさを感じた。
ここに居ることが苦しくなった。
「帰るか」
俺はコーラを飲んだらすぐに家に向かった。
◇◇ 9月1日 23時 真人の家
夜、百花から通話がかかってきた。
『真人、夜遅くごめん!』
手を合わせて謝る百花。
「別にこれぐらい大丈夫だ。撮影が長引いたのか?」
『長引いてないよ。予定通り終わってメンバーと打ち上げて行ってたし』
「そうか。上手くいったなら良かったな」
『うん! 真人のおかげだよ!』
俺は何もしていないが、そう言われるとやっぱり嬉しくなる。
『でも、謝らなきゃいけないことがあるんだ』
「な、なんだよ」
まさか、『やっぱりこの関係は終わりにしよう』とか、言いだすんじゃないだろうか。一瞬、不安に駆られたとき、百花が言った。
『メンバーに全部話ちゃった』
「は? 全部?」
『うん、真人のこと……何から何まで……』
「まじかよ。それで、メンバーは怒ってなかったか?」
『ううん、みんな認めてくれたよ。メンバー公認になったからだから安心して』
「そ、そうか」
良かった。俺たちの関係は続けられるようだ。
ざわめいた心は急に穏やかになった。
『そういうことだから……真人、これからもよろしくね!』
アイドルスマイルで百花が言う。やばい、やっぱりこいつ、可愛いな。
「お、おう、よろしくな」
別の意味で心がざわつき始めていた。
◇◇ 9月3日 18時半 東京 テレビ局
「モモ、大丈夫?」
ミキが私に声を掛けた。
「うん……」
今日は生放送で歌番組出演だ。しかも観客も入っている。
あれから初めて観客の前でパフォーマンスをする。それを考えると体が急に重くなった。私がいつもと違うことにミキは気がついたのだろう。
「モモ、真人君のために踊るんでしょ?」
ミキが言う。そうだ。私は真人に自分の姿を届けるんだ。目を閉じて二人で見たあの海を思い浮かべる。そして、真人の姿を。
体のこわばりが次第に抜けていく。腕を回してみた。うん、大丈夫だ。
「モモ、行ける?」
ツバキが聞いた。
「うん! もちろん!」
私はアイドルのモモになった。
◇◇ 9月3日 19時 家
「お兄ちゃん、始まったよ!」
瑞樹の声に俺は急いでリビングに向かった。今日は生放送の歌番組にシュガーライズが出るのだ。百花からは必ず見るように言われていた。
「でも、そんなすぐには出ないだろ」
「そうだけど、いつ出るか分かんないし」
「まあそうだな」
俺と瑞樹はのんびりと歌番組を見始めた。
よくわからないランキングが始まり、CMになる。それが開けるとテレビには百花が映っていた。
「キター!」
瑞樹が騒ぐ。
『続きましてシュガーライズのみなさんです!』
『よろしくお願いします!』
『今日は新曲を披露してくださいます。どんな曲ですか?』
『はい、夏の終わりを歌った曲です』
リーダーのツバキが答えている。
『楽しみですね。それではテレビ初披露です。シュガーライズで、エンドレスサマービーチ!』
シュガーライズのパフォーマンスが始まった。
その曲は百花が俺の目の前で振り入れしていた曲だ。
「わー! モモちゃーん!」
瑞樹が騒ぐ。俺はテレビの中の百花を注視していた。
そこには百花であって百花では無い存在が居た。これが、モモ、なんだな。
それを見て、俺は初めて分かった。百花がもう遠くに行ってしまった、ということを。
「百花……」
どうしようもなく、寂しい思いがこみ上げてくる。
目をそらしたいが、百花との約束だ。最後まで見るしか無かった。
◇◇ 9月3日 23時 家
夜。いつもの百花とのビデオ通話だ。百花はいつものようにTシャツ姿だった。テレビで派手な衣装を着ていたモモとは大違いだ。
『真人、見てくれた?』
「うん、ちゃんと見たよ」
『どうだった?』
「すごく良かったと思うよ」
『そう……でも、真人、元気ないね? なにかあった?』
「いや別に……ただ……」
『ただ、何よ』
「百花が遠くに居るんだな、って感じちゃって」
『あー、そういうことか』
「うん。やっぱり、アイドルだなって」
『そうだよ。私はアイドルのモモ』
「だよな……」
やっぱり、俺とは住む世界が違う人種だ。
『でも、今は百花。真人はどっちが好き?』
「俺は、百花だ」
今ははっきりと言えた。
『そっか……だったら、今日はモモを見せちゃったのはあんまり良くなかったかな』
「そうかもな」
『ごめんね、無理矢理見せちゃって。でも、一応、私がすごいところを見せておこうって思って』
「確かにすごかったよ」
『ありがとう。でも、真人は百花のことが好きなんだから、モモのことは見なくても良いよ』
「そういうわけには……」
『いいんだって。真人はモモのファンじゃないんでしょ?』
「そうかもな」
『うんうん、それでいいよ。百花のことを好きで居てくれればそれで良いから』
「そうか。その方が俺も楽かも知れない」
『うん。じゃあ、そうしよう。シュガーライズはいったん忘れて。私のことはただの遠距離恋愛の女子高生だと思って』
「そうだな……って、恋愛でいいのかよ」
『あ、違った。友達、だったね』
「そうだぞ」
『アハハ、そこ大事だった。でも、愛してるから』
「う……」
『ふふ、照れた?』
「当たり前だろ」
『で、真人は? どうなの?』
「……俺も愛してるよ」
『うん、よかった。友達だけどね……』
「そうだな。友達だ」
これからは百花は遠距離に居るただの女子高生。そうやって俺たちは関係を続けていけばいいのだ。
―――――
※次話で完結となります。
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