第12話 距離を縮めておきたくて
◇◇ 8月29日 9時 東京
「おはよう……」
「おはようございます、梅原マネ」
私・三木香織は事務所で梅原マネを待っていた。
「ミキ、昨日はありがとうね。でも、ダメだったみたいね」
「はい、すみません。一応、振り入れだけはやってくれるように昨日の夜に動画は送っておきました」
「そう……でも、困ったわね。踊れないなんて」
「はい。ですが、内密に耳に入れておきたいことがあります」
「何?」
「ある男の子の前でだけは踊れるんです」
「え?」
「地元で知り合った子みたいで、その子の前だと完璧に踊れてました」
「そうなの……それで、その男子とモモってまさか……」
「男女の関係では無いみたいです。友達みたいですね、まだ……」
「まだ?」
「はい。一応、モモはまだアイドルですし。辞めたら付き合うんじゃないですかね」
「そういうこと……モモにとって、その子は大きな存在になってるのね」
「そうみたいです」
「だったら、こういうのはどうかしら……」
梅原マネは自分の考えを教えてくれた。
「そう上手くいきますかね……」
「分からない。でも、試してみる価値はあるわ」
「はい、確かに……でも、それって梅原マネとしてはいいんですか?」
「もちろん! この世界、バレなきゃいいのよ」
「……芸能界の暗部って感じですね」
「そうじゃなきゃ、やってられないわよ、この世界。私も昔、いろいろあってねえ……」
そこからは梅原マネの昔話が始まってしまった。
早くモモに伝えたいのに……
◇◇ 8月29日 9時 海水浴場
俺が海水浴場よりいつもより30分早く到着したにもかかわらず、百花は既に着いていた。
「早いな」
「まあね。ミキが送ってくれた動画見てたら早く踊りたくなっちゃって」
「家で練習したりしたのか?」
「だから、無理なんだって。ファンの顔が浮かんじゃって」
「そうだったな」
百花にはかなりのトラウマができてしまっているようだ。
「真人君を前にしないと踊れないからさ。そこに居てよ」
「うん、わかった」
「じゃあ、やるね」
動画を再生し始め、音楽が流れる。それにあわせ百花は踊りだした。
うん、さすが百花。前に見せてくれたときと同じく、すごいパフォーマンスだ。
だが、俺はそこで違和感に気がつく。
曲が終わると俺は百花に聞いた。
「百花、今日は振り入れとか言ってなかったか?」
「うん、そうだよ」
「俺はよく分かってないけど、振り入れって初めて曲に合わせて踊るやつじゃないのか?」
「そうだよ。今が初めて踊った」
「はあ!?」
とても、そうとは思えないぐらい完成度が高かった。
「いやー、動画を何回も見ちゃったからねえ。自然に覚えちゃったみたい」
「自然にって……」
すごいやつだな。
「でも、まだ見ないと踊れないところあるし、完璧に覚えられたわけじゃないから。もうちょっとやるよ。真人君もつきあって」
「了解」
百花はまた曲を流し、踊り始めた。しかし、すごいな。これがトップアイドルか。
「だいぶ覚えられたかなあ。でも、何も見ないで踊れないようにならないといけないからねえ。音楽だけにしてやってみようかな」
百花は今度はできるだけ映像を見ないようにして踊り出した。その分、俺のことを見てくる。誘惑するようなそのダンスに俺は夢中になってしまった。
「はぁ、はぁ……どう?」
「すごくよかったよ!」
「そっかあ……じゃあ、もう十分かな。振り入れ終わり!」
百花は俺の横に腰を下ろした。
「ごめんね、汗臭くて」
「いや、そんなことないぞ」
「じゃあ、いい匂い?」
「う、うん……」
「そっかあ……じゃあ、近づいても大丈夫?」
「え?」
百花はそういうと俺ににじり寄ってきた。
「ど、どうしたんだよ……」
「うーん、真人君との距離を縮めておきたくて」
「お前なあ……俺を誘惑してどうするんだよ。アイドルなんだろ?」
「今はね……もう辞めるし」
「でも、新曲の振り入れしただろ」
「そうなんだよねえ。なんかもったいないなあ。でも、みんなの前で踊れないんじゃ意味ないもんね……」
「百花……」
俺は百花を見た。百花の顔が近い。だが、百花の瞳には涙が浮かんでいた。
「大丈夫か?」
「私、悔しいよ。踊れなくなっちゃって……」
百花は俺の胸に顔をうずめて泣いていた。今まで強気だった百花が初めて本音を出した気がした。だから俺も百花を思わず抱きしめた。
「百花……」
「……アイドル辞めたら、真人君、私のそばに居てくれる?」
「百花が望むなら」
「望むよ……ずっとそばに居て欲しい」
「百花……」
俺たちは海辺でしばらく抱き合っていた。
やがて、百花が身体を離した。
「でも、今は一応アイドルだし、これ以上はまずいよね」
「そうだな」
「私、いったん東京帰るよ」
「え?」
「ちゃんと辞めてくるから。そしたら……私と付き合って、真人君」
百花は涙がたまった瞳のまま笑顔で言った。
「わかった」
俺は百花の告白を受け入れた。
「ありがと。元気出てきたよ」
「そうか……」
「ニヒヒ。これでほんとに友達以上、恋人未満だねえ」
「そ、そうだな……」
「あー、照れてる照れてる。真人君、かわいい」
「付き合うことにしたのに結局からかわれるのかよ」
「そうだよ。私のからかいには一生付き合ってもらうから」
「一生……か」
「うん」
お互い見つめ合う。だが、俺たちはまだ恋人同士ではない。これ以上のことはまだできなかった。
話を変えるように百花が言った。
「あ、今日、グラッツェ、行くね。もうバレてもいいから、お店にそのまま行くよ」
「わかった。待ってるな」
「うん!」
◇◇ 8月29日 13時半 グラッツェ
バイトは今日も忙しかったが、13時からは次第に客が少なくなった。
そろそろ、百花が来る頃かな。そう思ったときに、サングラスとマスクの少女が入ってきた。
「いらっしゃいませ」
そう言うと百花はすぐに俺のところに近づいてきた。
「百花?」
「あとでちょっと話があるから。聞いてくれる?」
「うん……わかった」
なんだろうな。
「それで、注文は?」
「ナポリタンで」
「了解」
ナポリタンができあがると、俺はそれを百花の席に届けた。
「召し上がれ」
「ありがとう」
百花がマスクとサングラスを外す。ばれないか気になって俺は周りを見回した。だが、そんなにすぐに気がつかれるわけも無い。
「大丈夫だって。いただきます!」
百花が食べ始めた。
客も少なくなってきたし、俺は百花の前の席に腰を下ろした。話がある、というのが気になったのだ
「いいの? 座っちゃって」
「少しならな。それで、話って?」
「ミキがさ。解決策を見つけたって言うのよ」
「解決策?」
「うん、みんなの前で踊れるようになる解決策」
「そんなのあるのか?」
「たいした策じゃ無いんだけどね。でも、効果はあるのかも。ねえ、今日、真人の家、行っていい?」
「は?」
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