竜を成す者

スギモトトオル

本文

 旅の末、私はモンアークの村に逗留とうりゅうしていた。

 峻険しゅんけんな山々に囲まれたその地は、一年の大半を雪に閉ざされている。真っ白な豪雪に埋め尽くされた中に突如現れるその姿は、まさに秘境と呼ぶにふさわしい。

 私はこの場所で、その時・・・を待っている。

 この村に来て既にひと月が経とうとしていた。


 その日、村に王下の特命隊が到着した。

 特別な目的のために編成された特別な部隊だ。近衛兵隊長のパーシィ・ユグドラシルを筆頭にした一団が村の外れにキャンプを設営しているのを、私は村民とともに小高い丘の上から眺めていた。

「ろくなことにならないわね、きっとこれは」

 横に立つ、シトウィという名の娘は顔を険しくそう呟いた。彼女は村長の娘だ。村に近づく厄介ごとの影をよく思わないのだろう。

「やつら、私の邪魔にならなければいいけど」

 そう口に出す私の横顔を、シトウィは眉をひそめて見返す。私が片方の眉を上げて微笑み返すと、彼女は肩をすくめてため息を吐いた。

「どうしてドナみたいな女性がそんな愚かなことをするのか、私には理解が出来ないわ」

 彼女からすると、私もあの兵隊たちも似たようなものだろう。彼らの目的はこの地に現れるというドラゴンで、私はそのドラゴンにまつわる何かを手に入れて街で換金するのが狙いだ。

 ウロコ1枚、ヒゲ1本だろうと、大変な価値をもって取引される。はぐれの冒険者にとっては一攫千金のチャンスだ。箔をつけて他の冒険者たちに差をつけようという思惑もある。

 最も価値があるとされるのはドラゴンの卵だが、巣にまで潜り込むような真似はしたくない。

 シトウィはそんな私を憐れみと心配の眼差しで見た。

 この一ヶ月あまりの間で彼女は私にとっても大事な友人になっていた。だからこそ、その日私は剣を抜いたのだった。


 その酒場は私のお気に入りで、その日もシトウィと訪れていた。

 特命隊は、深緑のシャツを制式としている。店に入ろうとした戸の隙間からその緑色が覗いたときから、どこか嫌な予感がしていた。

 最初に大声で絡んできたのは、その緑色のシャツを着た一人の兵だった。

「お、山奥の未開人にもなかなか悪くねえのがいるな」

 その兵士はすでに酔っていて、口ひげを乗せた赤ら顔をふらつかせながら、馴れ馴れしくシトウィの隣に座った。

「なあ、娘。この時間に酒場にいるということは、今晩は空いてるんだろう。どうだ、俺の宿に来ないか」

 兵士は覚束ない手つきで懐から紙幣を出し、私とシトウィが並んで腰掛けているカウンターに押し付けるように置いた。

「大人しくその紙切れをしまいなさい。さすがに無礼が過ぎるぞ」

 私はスツールから腰を半分降ろし、いつでも彼女の前に飛び出せる姿勢を作りながら、兵士にその金を押し返した。

 酔った兵士はむきになったのか、余計に顔を赤くして捲し立てた。

「なんだと貴様! この土地が国王の庇護のもとに存続しているということを忘れたか!!」

 男の唾がシトウィの綺麗なブロンズ色の髪に飛び散るのを見て、私の頭にも血が上る。

「あんた、いい加減にしな。それ以上この人を侮辱するなら、ただで済まさないよ」

「ドナ、やめて。こんなところで喧嘩なんて……」

「いい度胸じゃねえか! 貴様が仕掛けたのだからな! 敗けたら二人まとめてわしの寝所に来い!」

 それを聞いて、完全に堪忍袋の緒が切れる。

「上等だ! あんたこそ、その髭面にソーセージ乗せて鼻から食う芸を仕込んでやるから覚悟しな!」

「ちょっとドナ!」

 シトウィが止めようとするのも振り切って、私は男の前に立つ。兵士も、足取り怪しくも、なんとか立ち上がった。

 なりゆきに気付き始めた周囲がテーブルを動かして、二人のためのスペースを開け始める。どこからともなく口笛が鳴り、野次が飛んだ。

 お互いに向き合って構え、今にも殴り合いが始まろうというその時、酒場の扉が勢いよく開いた。

「やめろ、そこまでだ!!」

 怒声に、酒場の中が一気に静まり返る。入って来た男は、二人の従者を入り口に留まらせ、大股で決闘のスペースに入り込んで来た。「失礼」と私に向けて断ったうえで私と兵士の肩にそれぞれ手を掛けてぐい、と両者を引き離す。

 私は、その膂力りょりょくにいささか目を見張った。

「こんな所でいさかいの種を撒くな。貴様は別の店へ行け」

「し、しかし……」

「いいから、つべこべ言うな!」

 男の従者がやってきて赤ら顔の兵士の両腕を掴み、有無を言わせず店の外に連れて行く。

 気が付けば、他の客たちも元通に戻っていたし、テーブルも元の位置に戻されている。

「すまなかったな、レディ。うちの者がどうやら大変な失礼をしたようだ」

 カウンターの上の紙幣を無造作に手に取り、シャツのポケットにしまいながら男は先ほどの兵士が座っていたスツールに腰かける。

「あんた、隊長さんだね?」

 私はその男を観察し、そう結論付けていた。シャツに付けた肩章も、身に着けている装飾品の類も明らかに他の兵士たちとは違うものだ。加えて先程の力量。ただものではないことは嫌でも分かる。これが、あの特命隊の隊長を任ぜられた男、パーシィ・ユグドラシルなのだ。

「君は……冒険者か。驚いたな、話には聞いていたが、本当に単独で訪れる者がいるとは」

 パーシィはマスターに飲み物を注文し、次はシトウィに向き直る。

「そして、そちらの方はシトウィ様ですね。このような形でお恥ずかしいが、お目に掛かれて光栄です」

「よろしくお願いします、ユグドラシル隊長どの。こちらこそ、仲裁に入ってくださってありがとうございます。あの、宜しければあちらのテーブルでご一緒いたしません?」

 シトウィは店の片隅に空いているテーブルを示して言う。

 パーシィは肩を軽くすくめ、

「もちろん、それこそ光栄なことです」

と応じ、思わぬ形で私はこの隊長とテーブルを挟んで飲み明かすことになったのだった。


* * * *


「おい、ドナ! いるか!」

 騒々しくパーシィは部屋のドアを開いた。興奮しているようで、挨拶もそこそこにかぶりつく勢いで私に迫る。

「出たぞ。シトウィの元にお告げが下った。降竜こうりゅうの日取りが決定したんだ」

 儀式を終えたばかりだった私は、汗ばんだ体に薄い祈祷衣きとういを身に着けたのみの格好だった。さっと腕で体を隠すと、パーシィはようやく私の衣装に気がついたようだった。

「なんだ、その格好。これから水浴びにでも行くのか」

「何も知らずにこの部屋に来たの? この雪深い場所で水浴びなんて出来る訳ないでしょう」

 パーシィよりも早くお告げの内容を聞いていた私は、そのまますぐに村の祈祷師きとうしの元を訪れて、前もって依頼していた儀式ぎしきをこの体に施してもらったのだ。

 祈祷衣の分かれ目をずらし、腹部に刻まれたばかりの紋様をパーシィにも見えるようにする。

「この印を入れたの。これがあれば、ドラゴンの気を感じる事ができるんですって。あ、言っておくけど女性専用だから」

 機先を制して釘を刺すと、パーシィは少し悔しげに口を曲げた。

「そんな便利なものがあったとは。男のみの編隊が裏目に出たな」

「残念だけど、私もあなた達に協力する気はないからね。冒険者のライセンスがあるから、有事以外は軍に従う義務もないし」

「なるほどな。まあ、大丈夫さ。我々は計画通り進めるとする」

 パーシィは白い歯を見せて肩を竦めそう言った。


* * * *


 その日はすぐにやって来た。

 ドラゴンの現れるという場所は、険しい山道を越えた先にある。私はパーシィの好意に甘え、近衛兵の隊列に混ざってその近くまでたどり着いた。

 私はそこから単独行動になる。シトウィは案内として特命隊についていくことになっているが、離れる直前にお守りを手渡してくれた。

「死なないでね、ドナ」

「大丈夫よ、私だって修羅場は超えて来ているわ」

 心配顔のシトウィに見送られ、私は状況がよく見える小高い崖の岩陰に移動して身を隠した。

 下の開けた谷底では、パーシィを先頭にして二百人ほどの兵たちが隊列を整えている。身を乗り出して見物していると、シトウィと目が合う。さすが、雪に目が慣れているだけある、私の居場所を見つけられていた。

 しばらくすると、急に風が濃くなってきた。岩陰に隠れている私にも激しく強風が吹付け、辺り一面に雪を高く巻き上げる嵐がびゅうびゅうと異常な風鳴りの音を立てる。

「⋯⋯来る!」

 そのタイミングは、お腹の奥底から跳ね上がるようにやってきた。眼下のシトウィも同時に前方を指している。

 咆哮。プアン、という聞いたことのない、短くも深く響く鳴き声が風の轟音を突き破り、嵐の黒雲に覆われた山間からその巨体が姿を現した。

「銃兵隊、目標、ドラゴン!! 撃てーーっ!!」

 少しも怯まずに、パーシィの怒号が響く。呼応するように、現れた灰色の大なまずのような姿の怪獣が再び鳴き声を上げ、同時に数多くの兵の銃が乾いた音を何度も響かせた。

「効いていない⋯⋯」

 怪物は銃撃を物ともしていない。その巨体はぬめぬめとした表面の粘液に覆われていて、通りがかりに引っ掛けたのであろう枯れ木や石などが絡め取られている。銃弾もその粘液に阻まれて本体へは全く届いていないようだ。

 ずりずりと這い、恐るべきスピードで兵の隊列へと迫る怪獣。その突撃に隊列を乱し、兵たちは逃げ惑い出す。パーシィは必死に命令を叫ぶが、その甲斐なく隊の統率は戻らない。暴れ回る怪獣から逃げ切れず、何人もの兵士がその粘液に絡め取られ、沈んでいくのが見えた。

「あの人達、いい気味ね」

 いつの間にかシトウィが隊列から離れ、私の隣へ来ていた。

「シトウィ、あんた⋯⋯?」

「ドラゴンじゃないわ、あれは。この山の主であり、凶暴な厄災の怪物、ワールドイーターよ」

 事態についていけない私の眼の前で、シトウィは眼下の光景を見て笑みを浮かべていた。

「ドラゴンに引き合わせるつもりなんて、あるわけ無いじゃないの」

「あんた、じゃあわざとこんな⋯⋯」

「私は村を守る長の一族よ。村の平穏を脅かす者たちには災いを。当たり前のことでしょう」

 ぞっとする笑みだった。嵐が彼女の髪を捲き上げ、雷がその顔を照らし、壮絶な表情を浮き彫りにする。

 しかし、私はそれでも腑に落ちていなかった。

 微かだけど、確かに眼下の光景の中からドラゴンの気配を感じるのだ。私は紋様の脈動を頼りに目を凝らして⋯⋯その鱗の輝きを、粘液の合間に見た。

「見えた⋯⋯!」

「え、ちょっと、ドナ! 危ないわ、死にに行くの!?」

 シトウィの静止も待たず、私は動いていた。崖から飛び出し、斜面を滑り降りる。

 怪物は幸い、一通り暴れ終えて大人しくなっていた。

 周囲には何人もの兵たちが倒れていたが、私は目もくれず、怪物の元へと駆け寄る。

 腰の愛剣を抜き、その鱗の見えた辺りに突き立てた。大きく何度も切り払って粘液を飛ばす。やがて、黄金色の鱗に包まれた足が見えてきた。

 その片足を両手で掴み、思い切り引っ張る。

「出てこい⋯⋯っ!!」

 ずるり、と重たい感触とともに、一匹の子供のドラゴンが現れた。何かの際にワールドイーターの粘液に絡め取られてしまっていたのだろう。

「ピィイイイイ!!」と子供ドラゴンが鋭く鳴いた。鳴き声は嵐を貫き、山にこだまして響き渡る。

 それに呼応して、遥か遠くから地響きのような咆哮が鳴り響いた。

 ワールドイーターが反応して首をもたげ、ざわざわと粘液の表面が波打つ。

「⋯⋯あれは!!」

 突如、黒雲が割れ、まばゆい輝きと共に巨大なドラゴンが姿を現した。

 子供ドラゴンが再び鳴き声をあげ、それに親ドラゴンも轟いて応える。私の下腹部の紋様も、それまでになく疼いている。

 ワールドイーターは慌てたようにもと来た方へと動き出し、山の向こうへと帰っていってしまった。

 見上げたその巨大なドラゴンと、目があった。そして、何か温かいものを受け取ったのを感じた。紋様を刻んだお腹の奥底で、ずしり、とそれが横たわった。

 ドラゴンが笑ったのが分かった。それは、きっと感謝の笑みだったのだろう。子供ドラゴンとともに、その巨大なドラゴンは登場と同じくあっという間に雲の向こうへと姿を消していったのだった。

「ちょっと、ドナ、大丈夫!? なんだったの、今の!」

 遅れて降りてきたシトウィが私に駆け寄ってくる。

「授かった、みたい⋯⋯」

「え?」

「ドラゴンの卵⋯⋯」

 私は半ば信じられない気持ちで自分のお腹を撫でながらそう言った。


* * * *


 そんなとんでもない経緯で、私は一攫千金のチャンスを手にした。

 だけど、巨大なドラゴンの卵の産卵なんて、もう二度と経験したくはない。


〈了〉

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

竜を成す者 スギモトトオル @tall_sgmt

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説