菜の国の剣士

夏ごろもハルシジン

はじめ、と、その一

はじめ、


 リーロ・ディーロの旅行記にいわく、東方には龍国。そのさらに東に、大東国ありき。

 あの商人は、故郷のある遥か西域に帰ると、この国をそんな風に紹介したらしい。変に書いたらただではおかぬと、刀で脅しつけたから大丈夫とは思うがその後どうなったか。

 見届けぬままカスケールとゴンザレスは、くにに帰った。

 そのときは、あんな長旅、二度するとは思わなかったのであるが……。




その一、



 鹿助(かすけ)は愛剣を床にほっぽらかして、集めた書物を読み耽っていた。

 藍染なのがせめてもの、襟も帯もだらしなく緩んだ着物姿で板の間に寝転がった二十歳そこそこの男が、その鹿助という。欠伸をしてに滲んだ涙をこすると、胡坐を掻いて座りなおした。口はむにゃむにゃと眠たげだ。

「おうい」

 板戸の外から、太い声が家人に呼びかけた。返事も待たずに板戸に手をかける。建て付けが悪いのか、がたんごとん、と外れてしまった。

「 あ 」

「またか」

 昨日も直したのに、と鹿助は思うが、やってきた男は、それも板戸もそっちのけにして敷居を跨いだ。長身の禿頭が鴨居にぶつかりそう。ひょいと戸をくぐり、草履を脱いで板の間に入る次の鴨居でごつん。ツぅ、と日焼けした額と境目のない頭をなでて、男も板の間に座る。

「今日もなんか読んでんのか」

「むぅ」

 なんとも曖昧な返事。

「面白いのか」

 そもそも寝ぼけた頭で、先ほどまで何を読んでいたかすら記憶に怪しい。

「……つまらん」

売れっ子の書いた御伽草子も、異国の文物を伝える書も読み解いたが、事実は小説より奇であることが正しいようだし、百聞が一見に如かざることがようく解かった。それでも時々面白いので、巻いたのやらじたのやら、溜まる一方。端に寄せたやつから埃をかぶっている。

「そらみろ、そうだろうが」

 したり顔とはこのこと。しかしその通りだった。結局は、あの旅に勝る刺激などありはしなかった。

「権坐(ごんざ)」

 そう呼ぶと鹿助はひざに片肘ついてあごを乗せた。目を向けた縁側の外はいい日和だ。今は坊主姿の旅の仲間は、次の句をせかすことなく慣れた様子で待った。

「ティスはどうしている」

 おやっ、と笑みが髭面に浮かばぬように権坐は手で口元を押さえた。手癖が悪いのが幸い、顎鬚をそのまま摘まむ。動作は不自然には見えまい。鹿助ときたら、色気を出したかとばかにすれば、せっかくの出掛ける気も失せてしまう。

「ん、寺に居(お)るよ。アレスも相変わらずだ」

 鹿助の目がちらりとこちらを見たので、権坐はどきりとしたが、目はまた縁側に戻る。

 そしてしばし、板の間に根でも生えていたかのように、のたりと鹿助は腰を上げた。具合が悪いので、帯くらいは結びなおす。板の間からを見下ろすと、草履の緒が切れたままだ。面倒くさいので、代わりを出して戸口を出た。

「行くか?」

 権坐がばたばたと後に続く。

 鹿助は、その格好のまま出掛ける様子。外れた板戸を閉まった格好に立てかけ直すと、板の間の暗がりに残された名無しの二尺三寸が寂しそうに見えた。

「おいおい、刀はどうする」

「要らん」

 今日はほんとうにいい日和だ。塀があちこち崩れたあばら家の門を出ると、鹿助は空を見上げていた。雲がゆるゆる流れている。

「なぜだ?」

 鹿助の背に付いて、権坐は歩きながら訊いた。

 先の旅で折れた代わりにと見繕った刀だ。かつての愛剣の執着もどこへやらという具合に気に入った様子であったのに。

「よさそうに見えたが、しっくりしない」

「おいおい、前の業物と比べるほうが無理だろう」

 難しい顔で、鹿助はあごに手をやる。相変わらず眠そうだが。

 草履が砂を踏む音しばし。

 右手には小川が流れ、左手に竹林が青い。水の流れに沿っていくと町。それを抜けた先に権坐の修行する寺がある。

 権坐は、旅の間に仏法に帰依した。生臭だが酒と女は確かにやめたようだ。そして郷里に帰るとほんとうに修行を始めてしまった。

 その旅で知己となった公女ティスターシアと騎士アレスは、権坐の師匠である和尚の計らいで、寺に厄介になっている。

 権坐は、このごろ疎遠の鹿助とティスターシアを、何とか逢わせられぬかと画策していたのだった。

 と、鹿助の足が止まった。何事やら、と鹿助の頭上を通り越して行く手を見る。すると、竹林ががさがさ音を立てて、侍姿の若者が勢いよく飛び出してきた。年の頃十四、五だろうか。鹿助と権坐が、異郷の商人にひっついてこのの国を飛び出した頃合の年齢だ。

「おいおい。何事だ?」

 若者は柄に手を掛け、すでに鯉口を切っている様子。

同じ年の頃、二人も確かに血気盛んだったかもしれないが、他人様に向かっていきなり鯉口を切って現れるほどだったかは記憶にない。

「鹿助! 昨夜貴様に額を割られた兄は未明に死んだ! 仇を討たせてもらう!」

 権坐は鹿助に目で問うた。西域帰りの剣士、真中鹿助を討って名を上げようという輩がたまにいる。最近意外と多い、というくらい。西域帰りというだけで、強さがどうこうと言うのは噂に尾ひれ、討ち取ったところでどうかと鹿助は思うのに。

「……小者だったので、あしらおうかと思ったのだが、寸止めが利かなくて額を打ってしまった」

 権坐ははっと気づいた。気に入ったはずの刀を持たぬのはそういうわけだ。止めたはずの刀が、鹿助の意に反したのであろう。

「いっそ斬ってしまった方が楽に死なせてやれたろう。すまん」

「うるさい! 俺に詫びず、冥土で兄に詫びよ!」

「待て待て、見ればまげ結いではないか。仇討ちなどして主人に咎が及べばどうする」

 見ると、若侍は頭頂に髷(まげ)を結っていた。菜の国では、何十年か前以来、ちょんまげが廃れている。お隣の龍国がまげを結う習慣であったが、それが薄れてしまい、この国のまげもいまや仕官した侍と殿様だけになった。ゆえにまげは侍の印になってしまっている。

「手討ちにしたと申し開きする、駄目なら腹を切るっ!」

「真っ直ぐだのう」 権坐は禿げ頭をなでた。ちなみに権坐は坊主になる前から禿げ頭だ。

 痺れを切らした若者の白刃が権坐の真横で空を切る。鹿助は素早くそれを避けていた。うっかり真後ろにいたら、権坐が半身にされていたところだ。

「鹿助ぃ! 坊主はもっといたわれ!」

 言われる当人は、すばやく若侍と体を入れ代える。

 上段に振りかぶるを見るや、鹿助は竹から笹の枝を引っ張り、剣を受けた。その弾力と竹の筋に流されて刃がそれる。枝の節まですべって、やっと枝が切れ落ちた。

「これが切れん腕前だと、斬られる方はよけい痛い…らしい」

 何せ斬られたことがない。

 鹿助は笹のしなりを確かめて、思いついたように構えた。若者にとっては見たことのない構えだ。西方の刺突を重視した剣術のひとつである。

 笹を相手の眼前に突き出して翻弄する。大振りの剣は左右への巧みな歩法で捌く。

 笹の葉は落ちるが、しなる枝は切れず、若者の動きの線に絡んでは受け流した。

「西方かぶれめ!」

 と、翻弄されながら若侍、よその剣術であることは理解した様子。

「まったく、器用器用」

 若者の苛立ちも権坐はそっちのけ。

 一転、鹿助は鋭く笹を突いた。先端の笹の葉が、若者の鼻の穴に入っている。緊張感でくしゃみを踏みとどまるものの、意地悪く鹿助が笹を揺らすものだから、如何ともしがたくなって若者は大くしゃみ。次の瞬間、天地が大きく揺らいで空が降ってきたかに見えた。目を瞬かせると、いつのまにか寝っ転がって大空を見上げている。一瞬の隙を突いて懐に踏み込んだ鹿助が、腕を取って体を当てながらに足を払った結果である。

 権坐が、はげ頭を光らせて若者のそばに寄った。

「あんたの兄者は、どの雲にのっとるんかのう」

 手びさしを作って坊主は空を仰いだ。

 ぐったり組み伏せられたまま、若者は涙を流して泣いた。戦なら、懐剣で首をとられたことだろう。ろくに相手もされずに返り討ち。

 鹿助はなぐさめの言葉もなく立ち上がって歩き出した。

 仇討の若者に、無防備な背中を見せて。







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