[第十八話]黒牛の騎士
「ふむ……」
闘技場の真ん中で、漆黒の鎧を纏った老齢の重騎士が蓄えた顎髭を擦る。かつて帝国最高の騎士と称えられた稀代の戦士、名をレクサス・ティーブランズ。齢70を迎え、とっくの昔に前線を退き隠居した身でありながら、その眼光は鷹のごとく鋭いままであった。
「“黒牛の騎士”レクサス・ティーブランズ様ですね。お噂はお父様から聞いております」
「皇帝陛下が私のことを……光栄なことですな」
「私としても一度お手合わせいただきたいと常々思っておりました。帝国一と称された槍の腕前、見せていただきます」
メティアが双剣を構える。そして応えるようにレクサスも槍を構える。身の丈を超える長大な馬上槍と大盾がレクサスの武器である。現役時代は騎兵として馬に跨り振るっていた槍も、愛馬亡き今は白兵戦で扱われる。
試合開始の太鼓が響く。メティアは5分間のハンデとして回避、防御に徹するが、その間に試合が決する可能性もある。メティアは深く息を吐き、集中力を高める。
「参りますぞ、メティア殿下!」
レクサスが地面を蹴る。レンガを敷き詰めた闘技場の床が抉れるほどの急加速で突撃する、“黒牛の騎士”の由来となったレクサスの必殺技である。真っ直ぐ揺らぐことない槍の穂先は小さな竜巻を纏い、空気を切り裂きながら更に加速していく。
「速いですね」
しかしメティアの最大の武器は速さ。直線的な攻撃ではどんなに速くとも回避は容易だ。槍が自身に到達する前に、盾で死角になっている左手側へと跳ぶ。槍は虚空を突き轟音を立てる。
「やはりこれでは避けられますか。並みの相手であれば仕留められるのですがな」
「攻防一体の素晴らしい技ですが、速くて小さい的を狙うには些かばかり直線的に過ぎますね」
メティアの辛辣な評価にレクサスは「手厳しいですな」と苦笑する。しかしレクサスとてまだ本気を出したわけではない。最も基本的な技で様子を見ているのだ。
「ではこちらはどうですかな」
槍を構え、深く腰を落とす。脚を覆う鎧がギリギリと音を立て、更に力を込めていく。下げた右足が床のレンガに亀裂を入れ、引き絞られた弓のように一気に蹴り出す。
(更に速い――)
放たれた矢のように、レクサスは加速しながら真っ直ぐ突進する。しかし軌道が読めていればメティアにとって結果は同じ。また左側に回避して、追撃はないと判断する。だが。
「油断なされるな!」
「ッ!」
レクサスが左手の盾を地面に突き立て、それを軸に方向転換する。盾を構える左が死角になることは当然レクサスも把握しているし、それを利用されることも幾度となくあった。ならば歴戦の老騎士がその対策を立てていないわけがない。重い大盾はレクサスの重みと推進力でも耐え得るだけの耐久性が確保されている。
勢いよく放たれる槍を、メティアは紙一重躱す。先端が丸められている木製の槍とはいえ、まともに当たればメディアと言えどもそれなりの怪我をする危険性がある威力だ。なんとか避けられたことにメティアは胸を撫で下ろす。
「……追撃はないと決めつけて油断してしまう癖は直さなければなりませんね。無意識に慢心していたようです」
「しかし避けられてしまいましたな。ですがメティア殿下にそのような顔をさせたことは誇っても良いでしょうな」
焦りに冷や汗を掻いたメティアを見てレクサスが笑う。事実、どんなに強い相手であっても余裕の態度と微笑を崩さなかったメティアが自分の未熟さに苦笑している姿は珍しいものであった。
レクサスは盾と槍を構え直す。得意の突進は全て通じないと分かったが、ここで諦めるほどの根性無しではこの歳まで生きていないだろうと口元が緩む。あまりに長い馬上槍は近接戦闘に不向きではあるが、やむを得ず近距離での戦闘が必要になった時のことを考え技を磨いている。
「まだ二撃目、ここからですな」
ジリジリと距離を詰める。長く重い馬上槍での接近戦、それを可能とするだけの筋力がレクサスにはあった。槍を脇で挟み固定することをやめ、まるでロングソードのように構える。こうなれば盾もまた武器となる。白兵戦主体となったのは老齢になってからだが、専用の技を身に付けるには十分な時間があった。
槍を横薙ぎに振る。当然メティアは躱すが、すぐさま上段から振り下ろし短剣を振るよう連続での猛攻が始まる。盾を使って体当たりを仕掛けたり、槍を地面に突き立て回し蹴りを放ったり、レクサスの戦いぶりは型から外れたものだが熟練の技はどれも鋭い。メティアも回避自体は容易くこなしているが、その常識外れな動きに感嘆するばかりであった。
「なるほど、これが“黒牛の騎士”の戦いですか。もしかしてと思い尋ねますが、レクサス様は現役の騎士たちのことを思って出場を決められたのですか?」
「私には現在の騎士たちの堕落ぶりが目に余るものでしてな。指導のために近衛騎士団を訪れた時に若い騎士が言っておったのです。『アーズランドにはメティア様がおられるから私たちは治安維持だけで十分です』と。私は悲しかったのです。守るべき主君に守られている現状を良しとする者が騎士を名乗ることが」
レクサスは悔しさを噛み殺し顔を歪ませる。事実としてアーズランドの騎士全てが集まったとてメティアを倒すことは叶わない。それほどまでにメティアの存在は大きく、他国に対しての抑止力ともなっていた。しかし、だからといって騎士が職務を放棄して良い理由にはならない。だからこそ、レクサスという老兵がメティアという超えるべき壁に挑むことが必要だった。
「私はいつ死ぬとも分からない老いぼれです。ですが、年齢や力量が諦める理由であって良いなどとは、どうしても思えんのです。メティア殿下という強者がいたとしても、騎士が国を、民を守るという職務を捨てることなど許せんのです。ですから、私は先達として後輩たちに道を示そうと思ったのです」
どんなに技が通じなくとも、決して消えることない闘志がその目には宿っていた。老いてなおも揺らぐことなき忠誠心が、レクサス・ティーブランズという騎士を奮い立たせていた。鋭い目は未だにメティアを捉え続けている。
「……そろそろ5分ですな。私は次の一撃に全てを懸けましょう。全力で打ち破ってみて下され!」
再びレクサスが槍を突進の構えに戻す。試合開始時以上の気迫で、全身全霊の一撃を放つために。
「応えましょう、貴方の忠誠に――」
メティアも剣を構え直し、真剣な眼差しでレクサスへと向き合う。本能が、次の攻撃は今までで一番の鋭さだと訴える。間違いなく、レクサスという騎士の全てが篭もっていると。
ガッ、という轟音が会場に響く。それがレクサスの地面を蹴る音だと気付いたのは何人いたのか。レクサスの立っていた位置に深く足跡が刻まれている。上に向かって跳躍していれば雲にまで届くかというほどの力で、真っ直ぐメティアへと駆ける。
メティアも、今度は避けることを考えない。一瞬のうちに自身へと届く一撃必殺の刺突を打ち破るために、メティアも前へと跳ぶ。
「お覚悟を――!」
――音が消える。そしてレクサスが地に伏し、メティアの勝利が確定する。老騎士の槍は見事打ち破られたのだ。
「私の技は届かなかったみたいですな……」
「いえ、見事な技でした。レクサス・ティーブランズ、貴方の忠義に感謝を――」
メティアの握っていた左の木剣が砕ける。職人によってメティアの全力でも折れないように魔術が掛けられていた特注の物であったが、レクサスの技はそれすら凌駕した。試合こそメティアの勝利となったが、レクサスの意思は貫き通されたのだ。
「レクサス様を医務室に。大きな怪我はなさっていないと思いますが、しばらく休んでいただいてください」
若い騎士たちが担架でレクサスを運ぶ。その目付きが少し鋭く変わっていることに、メティアも表情を緩ませる。
(届いたようです、レクサス様の思いが)
「評価はA+、と言ったところでしょうか。伝説の“黒牛の騎士”は未だに健在、ですね」
呟き、メティアも一度専用の控え室に戻る。破壊された武器の補充のためだ。高鳴る鼓動のままに次の試合へと準備を進める。次はようやく、雫の出番であった。
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