[第九話]準備万端? 修行せよ乙女

 のぼせ上がって雫ちゃんとベラドンナちゃんに迷惑をかけてしまった翌朝。日が昇る前に荷物をまとめて準備を済ませた私たちは眠たい目を擦りつつ宿を出た。ベラドンナちゃんはびっくりするくらい早起きで誰より先に準備を終わらせてた。鳥人すごい。


「ほら行くぞ。もう出発しねぇと今日は野宿になっちまうからな」


 急かすヴァンさん。一応テントとか一式揃えたし最悪野宿でもいいんだけど、ヴァンさんが言うには「野宿になったら俺が一晩中見張りするしかねえだろ。俺だってちゃんと寝てぇからな、宿取れる時間までに街に入るぞ」とのこと。そりゃそうだよね。


 エールズを出て、また街道を歩く。今日はパンとかいっぱい買い込んでるからちゃんとお昼ご飯も食べられる! 急ぎ気味でも楽しんで行こう!


「シズクとカエデはこっち来い。文字の読み方とか教えるからな」


「え、私は!?」


「アカリは才能も無ぇから教えたところで炎属性の基礎魔術くらいしか使えねぇ。だからお前は先にベラドンナに近接戦闘を教われ。魔力を抑え込んだままでな」


 ベラドンナちゃんが、手を振るように翼をひらひらと動かす。なんだかちょっと不服だけど、確かに私は魔術方面あんまり出来る気もしないし、それなら近距離を優先した方が良いんだろうな。ヴァンさんが「ベラドンナが認めるくらいになったら良いもんくれてやるから頑張ってみろ」と付け加える。え、何だろ!


 歩きながら、雫ちゃんたちは早くも文字を教わっている。昨日の夜に雫ちゃんに聞いた感じだと、やっぱり母音と子音の文字があって組み合わせで言葉になるローマ字に近いとかなんとか。「アラビア文字よりは覚えやすいから多分灯でも覚えられるわ」とは雫ちゃんの談。いや、そもそも英語の成績だってあんまり良くないんだけど!?


「ヴァンも始めたみたいだし、アタシたちも始めましょ。アカリの武器はそのガントレットよね?」


「うん、そうだよ。私、別に元の世界でも格闘技とかやってなかったから何も分からないんだけど、大丈夫かな?」


 陸上部でひたすらハードル走の練習はしてたけど、それが戦いの役に立つのかは分からないし。あんまりテレビでボクシングの試合とかも見た記憶がないから、本当に何の知識も無いんだよね。


「それはアカリ次第じゃない? アタシもこの身体だから徒手空拳なんて出来ないもん」


 翼を広げて見せるベラドンナちゃん。あれ、それじゃあ何を教わったらいいんだろ。心構え?


「ついでに言っとくとアタシは魔術とかも出来ないから直接教えられることなんか本当に無いわよ」


「……そ、そっかぁ」


 え、本当に何を教わったらいいの? このままいきなり実戦とか言われたら間違いなく大怪我するよ?


「そんな不安そうな顔しなくても、アタシにだって教えられることくらいはあるわよ? ヴァンがこんな本を買ってきてたから」


 そう言ってベラドンナちゃんは武術っぽい絵が描かれた本を見せてくれる。あ、武術の教本か!


「まずはコレ見て動き方を覚えなさい。ある程度動けるようになったらアタシと手合わせよ」


「わ、分かった。まずは何から覚えたら良い?」


「そうね……最初は足捌きからじゃない? 攻撃よりもまず回避を覚えるべきよ」


 確かに、回避とか防御の方が大事。攻撃する前にやられちゃったら意味無いもんね。ベラドンナちゃんから本を受け取って、とりあえず足捌きのことが載ってそうなページを開く。読めないけど絵があるから真似してみようかな。


 ちょっと立ち止まって、書かれてる通りの構えを取ってみる。脇を閉じて左手を前に出してボクシングのファイティングポーズみたいに。そして前に出した左足を軸に右足を踏み出し、左足の前に出る直前で強く地面を蹴る。すかさず左足を出して、素早く一歩。なるほど、こうやって距離を詰めるのか。


「なかなか様になってるじゃない。でも今の回避じゃなくて攻撃に使う方じゃなかった?」


「そうかも? 字が読めないからなんとなくそれっぽいの真似するしかないんだよねぇ」


 次のページを見たら、そのままパンチする絵に繋がってた。ついでだからさっきの動きに拳を合わせてみる。


「――こうっ!」


 鋭く右ストレート。シュッ、と風を切る音が鳴って、なんかいい感じ。意外と才能あるかもしれない。


「悪くないわね。今の突きでもそこら辺の野犬くらいなら倒せるんじゃない?」


 褒められて、ちょっと嬉しい。ヴァンさんたちに置いていかれないように駆け足で追いかけながら、さっきの動きを頭の中で繰り返す。うん、覚えたかも。


 追いついて、また教本をペラペラと見る。どういう武術なのか分からないけど、パンチとかキックだけじゃなくてタックルとか投げ技も載ってるみたい。あ、回避のページ見つけた!


「えっと……ねえ、ベラドンナちゃん、これなんて書いてあるの?」


「ん? ……可能な限り最小限の動きで避けろ、だって。頭を狙われたら首だけで。分からないでもないけどそこにこだわってたら頭無くなるよ?」


「ひぇ……!」


 ヴァンさんが盗賊に使ってた火球を飛ばす魔術を思い出して、アレを避けきれずに顔に直撃する想像をしてしまった。ギャグ漫画ならアフロだけど、現実だから死んじゃうよ!


「最低限の動きでって言うのは体力の消耗を抑えるために大事だし、状況を見て適切に判断するべきね。首の動きだけで避けられそうならそうする、無理そうなら腰から動く、とか」


「そ、そうだよね。とりあえず歩きながらでも練習しないと!」


 攻撃が来るのを想像しながら、それを避ける練習をする。本にあるように小刻みにステップ。そういえば陸上部の練習でもこんなことしたなぁ、と思い出す。歩きながらだと難しいけど。


「回避の練習だけじゃなくてちゃんと攻撃も練習しなさいよ! 回避と攻撃、どっちも独立したものじゃないんだから」


「うん! よーし、今日はとことん反復練習だ!」


 避ける、パンチ、避ける、避ける、エルボー! ペースを緩めず歩き続けるヴァンさんたちの背中を追いながら、ひたすらイメージして動く。まだ日が昇り始めて間もないのに、結構汗だく。街に着くまでずっとコレは大変だなぁ、と思うけど、不思議と楽しいから頑張れる。今日はまだまだ長いぞ!



 * * *



 歩く後ろから聞こえる素頓狂な掛け声に癒やされながら、暫しのお勉強タイム。眠そうに欠伸する目が蕩けきった楓の肩を揺らし、目覚めさせる。


「文字の方はだいたい覚えたか? 読み方が分かったら魔導書読んでみろ」


 手のひらサイズの魔導書を開く。昨日まで全く読めなかったのに、ある程度の文字の塊を見ると勝手に脳内で日本語の読み方が分かってしまう。なんとなくだけど、ドラ◯もんのひみつ道具の“ほんやくコンニャク”を食べたらこんな感じかしら、と納得してしまった。どういう原理なのかしらね、この言語の統一っていうのは。


「……盗賊に使ったの、初歩の魔術だったのね」


「ああ、驚かせるだけならあの程度で十分だったしな」


 軽い火傷程度にしかなっていなかったし、魔導書の解説でも「小さな炎で軽く吹き飛ばす程度の初級魔術」と書かれている。あんな大男が本気でビビっていたのは知識がなかったからかしら。怪我というよりも驚きすぎて気絶したような感じだったし。


 パラパラとページを捲り、炎、水、風、地、光の順に見て、一つ気付く。


「コレ、闇の魔術は書かれていないみたいだけど?」


 最初のページからもう一度見返しても、やはり闇の呪文についてのページは無い。他の5つは上級魔術までしっかり書かれているのに。ヒゲ男はニヤリと笑い、よく気付いたと手を叩く。ウザい。


「属性について追加の授業だ。基本6属性と複合属性があるって話を昨日したと思うが、基本6属性の中でも希少性なんかには差がある」


 ヒゲ男はノートに図を書く。上から風、炎、水、地、そして光、闇。風から地まではほとんど同じ大きさの枠で表されているけど、光で少し小さくなって、闇は一番小さく書かれる。


「風、炎、水、地の属性はそこら中にいくらでも持ってる奴がいるが、光の方は適当に100人集めて2、3人持ってる奴がいるかどうかってとこだ。それでも探せば見つかる程度のもんだが、闇の属性はそうもいかねぇ。闇属性を持つ奴は、この広いアーズランド帝国を隅から隅まで探し回って数人程度見つかりゃ多いくらいだ」


 つまりは超が付くほど珍しいってことね。ゲーム風に例えるなら他の4つの属性がR、光がSR、闇がSSR通り越してURって感じかしら。まあ、私もゲームってあんまり詳しくないんだけど。


「で、光と闇の属性はちょっと特殊でな。他の基本属性は才能がある奴が呪文を唱えれば自身の持っていない属性の魔術でも発動するが、光と闇に関しちゃその属性を持って生まれた奴にしか魔術すら使えねぇ。闇の魔術は使える奴がほとんどいねぇんだから、市販の魔導書に記しておく必要もないってことだろうな」


 まあ、分からなくもないけれど。それで珍しい闇属性の人はめったに売ってない闇属性の魔導書を探して高額請求に泣くのね、きっと。ヒゲ男は「下手な複合属性よりも闇属性の方が希少だから仕方ねぇな」とケラケラ笑う。マイノリティは大変ね。


「なら、複合属性の魔導書もあるってこと?」


「いや、複合属性にはそもそも魔術が存在しねぇ。というのも、魔術を作った創始者が基本6属性しか持ってなかったからな。ま、6属性も持ってた時点で化け物だが」


 そう言われると、ある意味では基本6属性で良かったと思わなくもないわね。だって魔法の才能が無かったら自身の属性を全く活かせないってことだもの。


「とはいえ、自分で複合属性を魔術の形に落とし込んでる奴もいなくはない。誰も継承しねえから1代限りのもんではあるが」


「あら、魔術って作れるの?」


「異常なほどの才能があって狂気とも言えるほどの熱意があれば出来るかもな。間違いなく真っ当な精神性の人間ではないだろうが」


 呪文の法則性とか魔力の動きを解析できれば作れるような気もするけれど、多分そんな簡単な話ではないのね。なんとなく法則はありそうな気がするけれど。


 属性についての解説を聞き終えて、もう一度魔導書に目を通す。攻撃から防御、補助の魔術に至るまで色々と書かれており、炎属性以外には治癒の魔術もあるらしい。最初に覚えるなら治癒魔術かしらね。


(魔術を使う時は――)


 魔導書の通りに、魔力を手と口に集中させていく。舌先に、両手に、濃く強く魔力を流す。


「“癒やしの泉、冷たき詩、静けさの海、心の凪”」


 冷たく、冷たく、しかし言葉は温かく。癒やしを与える力を手のひらに。


「“我が手に傷を写す鏡を、痛みを鎮める流水を”」


 魔力を集中させたまま、手を癒やすべき場所へ、自身の左膝へ。


「“海孔心癒ロンドフェイル”」


 魔術が発動し、膝に感じていた鈍い痛みと不快感が癒えていく。これは昔、新体操をしていた時の怪我。靭帯を損傷して、手術で日常だけを取り戻していた古傷。私と灯が出会ったきっかけ。


「……まさかとは思ったけれど、こんな昔の怪我まで癒えるとはね」


 魔術に成功したからなのか、もう無理だと諦めていた古傷が癒えたからなのか、私の心にあったのは喜びと安堵だった。もう一度膝を曲げ伸ばし、今まであった痛みと違和感が消えていることを確かめる。むしろ、怪我をしていなかった右の膝よりもよく動く気さえする。


「成功したか。“海孔心癒”は中級魔術なんだがな……俺ぁお前らの才能が恐ろしいぜ」


「あら、意外と簡単じゃない? 魔力を手元で留めながら呪文で形を整えていく、それだけでしょう?」


 とは言ったものの、更に上位の呪文となれば魔力を調整していくのも難しくなるだろうことは想像に難くないし、自身の持っている属性だからすんなり成功しただけで、コレが別の属性の魔術であったならまともに発動していたかどうか。確かに、灯のように魔力の制御にも手間取る不器用さなら初級魔術が限界かしらね。


「シズクは魔術が使えると分かったから、とりあえず水属性の呪文を片っ端から覚えろ。上級まで全部使えるようなら、一先ずそこらの雑魚魔獣相手ならなんとか出来るからな」


「……コレを全部覚えるのは大変ね。呪文を唱え間違えたらどうなるの?」


「発動しねぇか、最悪魔術が暴発するか、どっちかだな。まあ、怪我するようなものでもねぇよ」


 それなら一安心。私というよりも、学力に不安のある灯が覚えるなら、だけど。


「カエデもなんかやってみるか?」


 後ろで猫を撫でるばかりの楓にヒゲ男が声を掛ける。ボーッとしているように見えて、実際ボーッとしてはいるんだけど、かなり物覚えが良くて文字の読み方だってすぐに覚えていたのよね、この子。学校の後輩でこんなに優秀でかつ個性的な子がいたら名前くらいは聞いたことありそうなんだけど、この世界に来る前の公園が本当に初対面なのよね。


「おー……」


 魔導書を開いて、本当に読めることに驚いているらしい。パラパラとページを捲り流し読んでいる様子だったけど、何かやってみたい呪文でも見つけたのかページを捲る手が止まる。楓が唱えるなら地属性か風属性だろうと当たりをつけて私も手元の魔導書を開く。


「……他の属性はどれも同じ名称が使われているように見えるけど、地属性だけはいくつか種類があるのね」


 炎属性なら“赫灼ガルダ”、水属性なら“海孔ロンド”、風属性なら“空刃ファル”。それぞれに同じ名前が付いている。でも地属性は“戯峰フラルス”、“森楼ハーヴェ”、“磁幽エーテラ”と3つある。魔術に存在する法則の1つだけれど、地属性だけが例外。その呪文で起こる事象が違うということは分かるけれど、少し疑問ね。


「そりゃ単純に、地属性と一言に言ってもいくつか種類があるからだ。“戯峰”は土、“森楼”は樹、“磁幽”は鉄って感じだな。そもそも属性自体が3つに分かれてる。そういう意味ではちょいと特殊なんだ、地属性は」


「属性自体が3つに分かれている……でも実際には鉄属性や木属性じゃなくて地属性……何か秘密がありそうね」


 既に魔術そのものに興味を持ってしまっているから、結構気になってしまう。でも今は楓が何か呪文を唱えようとしているから疑問を一旦頭の隅に追いやる。ちゃんと見ておいてあげないとね。


「……“地に這う物、生命の根源、聳え立つ物、到達点”」


 楓の持つ杖がビリビリと鳴動する。魔導書にも書かれているけれど、魔術は杖を通して使う方が指向性も持たせやすくて安定するらしい。私の槍も杖として使えるのかしら。


「……おいおい、マジか」


 ヒゲ男が驚き呆れている。楓の詠唱をもとに魔導書から該当する呪文を探したら、コレは地属性の上級魔術だった。


「“我が意志に応える物、鋭く太く貫き通せ”」


 詠唱を止め、楓は杖を地面に突き立てる。灯の魔力しか感じられない私でも、楓が今地面に流した魔力量が途轍も無いということは理解できた。なにせ杖を刺したところから地面に振動が広がっているから。


「“森楼仙槍ハーヴェシンゼァ”」


 楓が呪文を唱えると同時に、地面が軽く揺れる。震度2くらいの地震のよう。そして楓の数m先にあった大きな岩の下から大きな樹の槍が勢いよく生え、岩を粉々に砕く。あんなものを食らったら熊でも象でもひとたまりもないわね……。


「……ありゃ地属性“森楼”系統上級の中でも一番難易度が高い呪文だぞ。まさか一発で成功させるとは……やはり天才か……」


「?」


 冷や汗を掻くヒゲ男に対して、楓はきょとんとしたまま自覚なし。そして何も気にする様子なくまた魔導書をパラパラ捲り始める。まあ、間違いなく天才だと思うけれど。肩に移動していた猫も心做しか驚いているように見える。末恐ろしいわね。


 そしてまた何か使ってみたい呪文を見つけたのか楓の手が止まる。するとしばらくページを凝視した後に目を閉じて杖を構える。杖を中心に緩く風が舞う。


「“空刃皆癒ファルシャンテラ”」


 楓は目を開くと同時に呪文を唱え、その瞬間私たちをそよ風が包む。歩き続けて蓄積された疲労が和らいでいく。風属性の治癒魔術、ね。


「上級魔術の次は中級の詠唱破棄……か。ハハッ、もう笑うしかねぇぜ……」


 詠唱破棄。正確には頭の中でだけ呪文のほとんどを詠唱して短縮する技法。魔導書にも戦術の例として書かれていたけれど、非常に難易度が高く初級魔術でも中級以上に難しくなるリスクもあると記載されていた。だからヒゲ男が引き攣った顔で笑っているのも当然だった。楓、恐ろしい子。


「魔術、楽しい」


「……そうね、それは同感よ」


 本能の赴くままに魔導書を読みボーッとしていた目を輝かせる楓。私たちは歩きながらひたすら魔導書を読み込んだ。この楽しさを満足に味わえないのだとしたら、灯のことが少し不憫に思えてしまう。後ろで変な掛け声とともに不恰好な演舞をしている無垢な親友に、そんな思いは不要かもしれないけど。

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