[第六話]異世界ショッピング
そろそろ次の街に着くというので、魔術の勉強は一旦終わり。この世界の文字の読み方を教わっているけれど、正直気が滅入るわね、異世界でまで勉強なんて。
灯は今も魔力を抑え込もうと集中しながら歩いている。一歩ごとに魔力が漏れているし、話しかけたらもっと漏れ出る。さっき脇腹を突っついたら変な声を出して悶えていたのが最高に面白かったわね。
楓はしばらく落ち込んだ風に見えたけれど、今はまた猫を撫でながら呑気な顔をしている。ほんと、いまいち何を考えているのか分からない子。
ようやく平原を抜けて人工物が見え、少し安心する。レンガ造りの建物を見る限り、やはりこのアーズランドという国はヨーロッパ系の文化に近いらしい。コレが強制的な転移じゃなく旅行だったなら凄く感動したんだろうけど。
「まだ日も高いな。ついでだ、必要なもん買っとけよ」
「……3人分の着替えとか買ったら結構な金額になりませんか?」
前日宿に泊めさせてもらっておいて今更だけど、ヴァンさんが全て払ってくれている状況がなんとなく落ち着かない。後になってこの世界の物価が分かってから高額の請求をされたり、実は全部騙されていて大きな街で奴隷として売られたり、なんて考えが脳裏を掠める。
「安心しろ、俺ァ結構な金持ちなんだぜ? あと数ヶ月同じ生活してても財産の1割にも満たねぇくらいだぜ」
「……吟遊詩人ってそんなに稼げるんですか?」
この世界の吟遊詩人って高収入なのかしら。私のイメージだと吟遊詩人なんて日銭を稼ぐのに必死な職業って思ってたけれど。
何にせよ、この世界の通貨がどんな物なのかすら知らない私たちには払ってもらう以外の方法は無いんだけど。本当にこの胡散臭い自称吟遊詩人を信用していいのかしら。
「灯、街に着いたわよ」
「んぇ?」
気の抜けた声を出す灯に、つい笑いが溢れてしまう。異世界に来たのが自分1人じゃなくて良かったと、心の底から思う。絶対に言わないけれど。
「ここは麦の街エールズ。見ての通りの農業都市だ」
レンガ造りのオシャレな建物が並ぶ都市部と、ソレを囲むように広がる黄金の麦畑。日が傾き始める少し前だからか、本当にキラキラと麦穂が輝く。なるほど、麦の街というのも納得の景色だ。
「色んな種類の穀物が特産でな、エールズのパンとビールは帝都からもわざわざ買いに来る奴がいるって話だ」
「た、確かにパンの良い香りが……」
灯がスンスンと鼻を鳴らす。別にいいけれど、完全に魔力がダダ漏れになっているわよ。気持ちは分からなくもないくらい良い匂いだけどね。
「俺はとりあえず宿を取ってくるからな、お前らは適当に服屋でも見に行ってろ」
ヴァンさんが去っていき、灯と顔を見合わせ楓を連れて街を歩く。美味しそうなパンの香りに「そういえばお昼食べてないよね……」と灯が嘆くけど、私たちには支払い能力が無いので食事は後回し。そんな切ない表情をされても、私だって我慢してるのだから諦めてほしいわ。
「今はお金払えないんだから、先に服を見に行きましょ」
「うぅ……ライ麦パン……」
……なんでライ麦パンに限定したのよ。灯の背中を押して食べ物の屋台が並ぶ通りから離れ、服とか道具が売っていそうな通りに抜ける。放っておいたら勝手にどこかへ行きそうな楓は意外とちゃんと付いてくる。相変わらず何を考えているのか分からないけれど。
チラリと見えた雑貨屋が少し気になるけれど、そこは無視して隣にあるブティックに足を踏み入れる。街を歩いてなんとなく思っていたけれど、街並みは中世ヨーロッパ風なのに意外と歩いている人たちの服装は古く感じない。ヨーロッパの民族衣装や中世貴族の服を現代風にアレンジしたような感じと言えばいいのか、コルセットをしていたりはするけれど色合いや柄が現代的なのよね。
「向こうの世界でも通用するんじゃない? ほら、このドレスとか」
「意外と違和感ない、かも?」
手に取ったドレスも、淡いピンクのシャツに真紅のコルセット、スカートは赤茶色だけど綺麗な花柄がプリントされている。剣と魔法の世界だから勝手に文化レベルを低く見積もっていたけれど、柄がプリントされた服も手作業とは思えないほど量産されていて。例えるならば「科学が魔術に置き換わった近現代」といったところかしら。
「灯はどんな服が好きなの? なんとなく想像は出来るけれど」
髪型もウルフにしていて意外とオシャレなのよね、この子。スポーティでボーイッシュなパンツルックが似合いそう。
「えっと……あ、コレ! こういうの!」
「あら、本当に想像通りね」
淡いピンクのチュニックに赤いノースリーブの上着、そしてゆったりしたシルエットの白いボトムス。おそらく農民向けであろう服だけど、動きやすそうな形状が灯に合っている。ああ、いわゆる異世界ファンタジーの冒険者が着ている勇者っぽい服ね、この組み合わせ。
私は灯に合わせて淡い水色のノーカラーシャツを手に取る。ここで灯の選んだようなジレにしたら面白みが無いから、私はあえて背中まで覆う紺色のコルセットベストを選ぶ。そしてコルセットと同じ色の膝下丈のスカート。灯が冒険者風のファッションを選ぶのなら私も乗ってあげるわ。
「雫ちゃん、その服……」
「灯の選んだ服のコンセプトに合わせたんだけど……なんで顔を赤らめるのよ」
私の選んだ服を見て頬を染めた灯。え、何か顔を赤らめる要素あったかしら。
「だってその服、む、胸が……」
「胸……? ああ、コルセットで多少は強調されるわね」
腰を締め背中を覆うコルセットベストは、確かに胸を強調するデザインではあるわね。私も同世代と比較して小さくはない方だから、こういう服が映えると思ったのだけど。
「え、エッチな服じゃない? だって胸のとこ開いてるし……」
「あのね、確かに胸の部分が大きく開いているけど、下にちゃんとシャツを着るのよ? エッチなのは灯の頭の中でしょ」
本当にムッツリな子ね。私が説明しても「でも胸……」ともじもじしている。この子、絶対にレンタルビデオ屋の成人向けコーナーの前でチラチラ見てたタイプね。想像したら笑っちゃいそうだけど。
「エッチなことを考えてる灯のことは良いとして、楓はどんな服にするの?」
後ろで眺めていただけの楓に声を掛ける。この子も少し幼さは残るけれど顔立ちは整っていて可愛らしいし、何を着せても似合いそうね。ふわふわした栗色の髪だから、柔らかい印象の森ガール風ファッションが似合うわね、絶対に。
「んー……こういうの?」
楓が手に取ったのは淡いクリーム色のブラウスに深緑のコルセットワンピース。あ、私と灯がそれぞれ自分の魔力属性に合わせたような色を選んだから緑系統にしたのね。確かに、風と地の属性ならイメージは緑かしら。でも少し物足りないから……。
「ケープを羽織るのはどう?」
「おー」
コルセットワンピースと同じ色の短いケープを肩に掛けるだけで少し冒険者っぽい印象になる。楓は杖を持っているし魔法も使えるからもっと魔法使いっぽくしたい気持ちはあるけれど、残念ながら魔法使いチックなつばの広い三角帽子は売っていない。いや、あからさま過ぎるわね。
「あとは歩きやすそうなブーツでも探しましょ」
私と楓はローファー、灯はランニングシューズ。今の靴じゃオフロード環境の異世界に対応出来ないものね。灯のランニングシューズだってもうボロボロ。適した靴を探さなければならないわね。
「ブーツ……雫ちゃんこんなのとかどう?」
「あら、良いじゃない。オシャレな編み上げブーツね」
膝下まで届くくらいの長い革製の編み上げブーツ。ソールも分厚くて丈夫そう。こっちの世界の革製品も牛革なのかしら?
「灯には……そうね。武器にもなる鉄鋼芯入りのブーツが良いかしらね」
いわゆる一般的に呼ばれるところの安全靴。武器もガントレットだし、徒手空拳で戦うなら蹴りも使うでしょ。拳法とかそういうの詳しくないけど。
「ほら、コレとか走りやすそうな構造で良いんじゃない?」
「うわ、こんな安全靴もあるんだ!」
革製のブーツで、つま先に鉄鋼芯が入っているけれど範囲が小さく足の曲げ伸ばしにも邪魔にならない、工業用というよりは本当に武器として作られたような安全靴。触った感じだと踵にも鉄板が仕込まれているようで、全くもって穏やかじゃないわね。店の雰囲気的にも女性用みたいで、デザインは結構可愛らしい。
「わたしコレ」
「へえ、可愛らしいミドルブーツね」
楓が持ってきたのは革製の登山用ミドルブーツ。ややゴツゴツとしたデザインで一見すると男性的で無骨な印象を受けるけれど、ふわふわとした印象の楓が履くならばギャップがあって大変可愛らしい。足だけが大きく見える感じがなんとも、デフォルメされたマスコット的なイメージになる。
「コレであとは支払うだけ、なのだけど……」
肝心のヴァンさんが一向に現れない。今日の宿を取りに行くと言って別行動してから、体感で1時間くらいかしら。やっぱり騙されていた、という可能性が浮上してしまうわけだけど、それは大変困るわね。まだ全然こちらの世界の文字なんか読めないし、金銭の類も持っていないわけだから。
「私、ヴァンさん探してこようか?」
「待ちなさい灯。こんな土地勘の無い異世界の街で単独行動なんかしたら危険よ。見たところ治安は良さそうだけど、中学生女子が1人で出歩けるほどかどうかは分からないんだから」
本音を言えば、数少ない友達の灯にもしものことがあったら止められなかった私が一生後悔するし、多分心が折れてしまうから。私は、灯と楓と、3人で元の世界に帰りたいのよ。
でも実際、ヴァンさんが来ないと非常に困るのも事実。そこそこ広いこの街のどの店に私たちがいるのかを探しているだけなら良いけど、そうじゃないのなら。何も分からないままに置いていかれたのなら。嫌な想像が膨らむ。
「あ……」
楓が何かに気付いたように窓から店の外を見る。何事かと私と灯も窓に視線を向けると、店の外でベンチに座ってサンドイッチを齧るヴァンさんが見えた。
「あ、ズルい!」
そんな声を上げたのは灯だった。結構な音量だったのでヴァンさんも気付いたのか、残っていたサンドイッチを口に押し込み、そのまま店に入ってくる。
「悪ぃな、遅くなった」
悪びれる様子も無くヴァンさんは軽く詫びる。え、ムカつく。
「1人だけご飯食べてズルい! 私たちもお腹空いた!」
「まあ待てって。ちゃんとお前らの分も買ってあるからよ」
怒る灯を制するように大きく膨らんだ紙袋を見せるヴァンさん。仄かに香るパンとバターの匂いに、思わずお腹が鳴りそうになる。まだ耐えられるわね。
「買う服は決まったか? 支払い済ませたら一旦飯にしようぜ」
巾着袋を取り出すヴァンさんに、それぞれ選んだ服を渡す。事情が事情だから仕方ないけれど、絵面がいわゆるパパ活みたいでイヤね。
「飯食ったらもう何軒か行くだろ? 買った服入れるトランクも買った方が良いな」
「妙に気が利きますね。意外です」
率直な感想。見た目で言うなら本当に胡散臭いのに、なんとギャップのある自称吟遊詩人だろうか。女性の扱いに慣れてそうな感じが大変不快だけど。
「俺が昔旅してた時に服がどうとかうるさい小娘が仲間にいたんだよ。だから言われる前に備えてるだけだ」
なるほど、実際に慣れているわけね。また遠回しに小娘扱いされたのがムカつくけれど。でも、ヴァンさんの過去、ちょっと興味が出てきたわね。
「まあその話は追々、な。とりあえずそこの広場で飯食おうぜ」
私が訊ねる前にサラッと躱される。でも実際、私たちもお腹が空いているわけで、ヴァンさんの提案には頷くしかなかった。帝都に着くまで、まだ数日以上あるらしいし、旅の道中で訊くタイミングもあるでしょ。今はとにかく、お腹が鳴る前に食事を済ませたかった。
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