[第三話]宿はあれども
「俺がいて良かったな、小娘ども。様子見に来て正解だったぜ」
そう言ってヴァンと名乗った胡散臭い男は笑う。盗賊たちは気絶させただけらしく、ヴァンさんが紐で縛って太い木の枝に吊り下げていた。ミノムシかしら。
「そ、それで、ヴァンさん、は、助けてくれたってことで良いんですよね!?」
灯が代表して疑問点を聞いてくれる。そういう物怖じしない所、素直に尊敬するわ。
「おう。ちょうど雨の神殿の様子でも見に行こうと思ってたとこだったんでな」
「雨の神殿……?」
雨の神殿。多分私たちがちょっと前までいたあの神殿のことね。名前のわりにいい天気だったけど。
「その武器、雨の神殿に封印されてたやつだろ。その猫もあそこに住んでた猫だ」
ヴァンさんは私たちの持つ武器と楓が抱きかかえる白猫を指差して言う。しれっと連れてきてるけど、飼い猫っぽくないから良いかしら。
「ということはお前らが……おい小娘ども、名前は?」
「あ、私は天道灯です!」
「……海原雫よ」
「森野楓」
「アカリ、シズク、カエデ、ね。まあこんな所で立ち話もなんだ、近くの村に案内してやるよ」
言ってヴァンさんは歩き出す。私たちが呆然としていると、振り返って「さっさと来いよ、日が暮れちまうぜ」と手招きする。
「雫ちゃん、行ってみる?」
「……信用は出来ないけど、また襲われても困るし他に選択肢無いわよ」
どれだけ考えてもその選択肢しかない。現状、身を守る手段がない私たちにはヴァンというこの自称吟遊詩人に守ってもらうしかないのだ。私たちの選択に頷く楓を連れ、ボロボロのマント男に着いていく。こうなったら覚悟を決めるしかないわね。
* * *
着いたのは木造の家が何軒か並ぶ小さな村だった。さっき見た魔法みたいなのもそうだけど、異世界に来たんだって実感させられて憂鬱になる。わりと脳天気な灯が羨ましいわ。
「そこの宿にでも入るか。腹も減ったしな」
ヴァンさんは看板の出ている大きな建物を指して言う。なるほど、看板にベッドのような記号が描かれている。字は読めないけれどこういう記号があればニュアンスで分かるからありがたい。
ふと空を見れば日が沈み始めている。流石に野宿出来るような度胸は私には無い。この軽薄そうな男に宿に連れ込まれるのもリスク高そうに思えるけど。
「部屋は2部屋でいいな。お前らくらいなら1部屋もあれば十分だろ」
「あ、はい」
ヴァンさんがさっさと手続きを終わらせ、灯に鍵を渡す。こんな胡散臭い見た目で意外と紳士的なのが余計に信用できないんだけど。
とりあえず食事にしようとヴァンさんが言い出したので、私たちは大人しく宿屋の食堂まで着いていく。外観は小さな宿だけど、思ったよりもしっかりとした食堂が備わっていた。そこで、宿を経営しているらしい妙齢の女性が穏和な表情を浮かべて食器の配膳をしていた。
「ちょうど飯時で良かったな。いい匂いがしてるぜ」
大きなテーブルの真ん中に置かれた鍋から湯気が上がっている。匂いはビーフシチューに似た感じね。それに気付いた灯が「わぁー! 私ビーフシチュー大好きなんだ!」と喜んでいる。可愛らしい子。
「確かにビーフシチューはアーズランド帝国の家庭料理として有名だが、残念ながらコレはビーフじゃねえな。ヴェニスンシチュー、鹿肉だ」
「鹿肉シチュー! めちゃくちゃ美味しそう!」
「……それよりも、アーズランド帝国っていう名前に反応しなさいよ」
もう料理にしか意識が向いていない灯を窘める。食事も勿論大事だと思うけれど、それよりまず情報でしょうに。食べながらでも良いからちゃんと情報を聞き出さないと。
「まあ座れよ。食いながらでも話は出来るだろ」
ヴァンさんに促され、私たち3人はそれぞれテーブルに着く。お腹が空いていたのも事実なので、早速一口。鹿肉は匂いがきついって聞いてたけれど、思ったよりも牛肉に似てるわね。新鮮なのかしら。柔らかくて凄く美味しい。
ヴァンさんはシチューを一口飲み、バゲットに似た硬そうなパンをかじってから喋り始める。
「まず、俺があの場にいた理由から説明しとくべきか? と言っても、定期的に雨の神殿の様子を見に行ってるだけなんだが」
「雨の神殿って、あの山の上にあった神殿のことですよね? 名前のわりにいい天気だった気がするんだけど……」
灯が疑問点に切り込む。私も思ったけれど、あの晴天で雨の神殿って名前もないと思う。確かに湿度は高めだった気はするけど。
「雨の神殿はな、数百年に渡って雨が降り続いてたんだ。んで、珍しく雨が止んでたもんだから様子を見に向かってた途中だったんだよ、俺は」
……数百年降り続いた雨が止んでたら、確かに気になるわね。宿屋の女将さんも頷いているし、それは嘘じゃないみたいね。
「古い言い伝えでな、『雨止む時に救世主が現れる』なんて話があったんだ。で、神殿に封じられてた武器を持ったお前らが現れた。こりゃもうビンゴだろうよ」
「私たちが救世主、ですって……?」
思わず口にしていた。私たちみたいな普通の女子中学生が救世主なんて、そんなフィクションみたいな話があるものか、と。それに対しヴァンさんは頭を掻きながら「俺もこんな小娘が3人も来るとは思ってなかったぜ」とムカつくことを言う。さっきから小娘小娘って失礼じゃない?
「正しくは『700年の後に雨止む時、異世界から救世主が召喚される』という予言です。この国では誰もが知っていることですよ」と女将さんが補足してくれる。
「ああ、そういやそんな感じだったか。700年前のこの国にいたっていう巫女、アリアってのが予言したんだとよ」
ヴァンさんはすっかり忘れてたと言わんばかりに笑う。やっぱり胡散臭い。あのアゴヒゲが余計に胡散臭いのよ。……それはそうと、気になっていたことを尋ねておくべきね。
「さっきアーズランド帝国って言ってましたけど、それがここの国名ですか?」
「おう。この世界最大の国にして、最も治安の良い国だ。良かったな、アーズランド帝国に召喚されて。他の国だったら盗賊に囲まれる程度じゃ済まねえぜ」
ハッハッハッ、と大声で笑うヴァンさん。いや、笑い事じゃないけど?
「まあ治安が良いって言ってもこんな帝都から離れた田舎じゃ盗賊に襲われるくらいよくあることだ。デカい街なら治安維持組織の兵隊が四六時中見張ってるがな」
治安の基準が日本とはかなり違う気がしたけれど、最近のニュースなんかで殺人事件や強盗事件が結構多かったりすることを考えたら思ったよりも変わらないのかしらね。日本でも自分が直接事件に遭ったりしたら考え方も変わるかもしれないわ。
「とりあえずはアーズランドの帝都、ロンディミアを目指すべきだな。装備も情報も、仕事も娯楽も何だって揃うのがアーズランド帝都だ。帝都までの護衛と戦い方の指南くらいならタダで請け負ってやるよ」
「……盗賊から助けてくれたのもそうですけど、何でそんなに私たちに親切にしてくれるんですか? そこまで親切にされたら逆に信用できないんですが」
まあ最初から信用してないけど。私の質問に、ヴァンさんはアゴヒゲをさすりながら口を開く。
「古い親友との約束だよ。『もし本当に異世界から救世主が来るのなら、導いてあげてほしい。無事に旅ができるように』ってな。俺は予言なんざ信じちゃいなかったが、アイツのことだけは信じてた。だから約束を果たすだけだ」
遠くを見るようなその目に、ヴァンさんの親友という方がもう亡くなっているのだと察せられた。恐らく、その約束が遺言になったのだということも。
「何にせよ、俺はお前らを帝都まで無事に送り届けるし、その道中で戦い方とか魔術についてある程度教えてやろうって話だ。世界の命運なんざ興味もねぇが、親友との約束だけは破れないんでな」
ニヤリと、胡散臭い笑みを浮かべるヴァンさん。もう夕食も終わる頃だけど、最後に一番大事なことを聞き忘れていた。
「……それで、私たちは何からこの世界を救えば良いんですか?」
私の質問にヴァンさんは困ったように笑う。その顔に、なんとなく嫌な予感がした。
「世界の滅亡から、だ。この世界はそう遠くないうちに滅ぶんだよ」
その言葉に私たちはショックを受けた。詳しい説明は明日と言われ、ヴァンさんは1人さっさと部屋に向かう。ずっと食堂で座り込んでいても仕方ないよ、と灯が言い出すまで、私たち3人は呆然としたままだった。
* * *
この世界に入浴するお風呂文化があって良かった。私たちは宿の浴場で汗や土埃で汚れた体を洗い流し、ゆっくりと湯船に浸かっていた。
「雫ちゃん、どう思った?」
「私たちが世界を滅亡の運命から救う救世主だってこと? どう思うも何も、全く現実感も自覚も無いわよ」
「そうだよね!?」
飛びついてくるくらいの勢いで、灯が身を乗り出してくる。近いわよ馬鹿。
「楓ちゃんは?」
「んー? よくわかんない。ご飯は美味しかったね~」
のほほんとした様子で楓は言う。この子、さっき動かなかったのってただボーッとしてただけなんじゃない? 灯も釣られて「鹿肉シチュー、美味しかった!」と呑気なことを言い出している。この子たち大丈夫かしら。
「……どうしたものかしらね。ひとまずはヴァンさんの提案通り帝都ロンディミアに向かうのが良いとは思うけど」
大きな街に行けば元の世界に帰る方法も見つかるかもしれないし。救世主をやるよりも私は帰りたい。
「それにしても……胸の真ん中にあるのね、痣」
「そうそう、ちょうど
灯の胸の真ん中に、私の首筋にあるのと似た痣がある。やっぱり偶然の出会いなんかじゃない、のかしらね。
ちらりと湯船の外で髪を洗う楓を見る。本人が言っていたとおり、へそのちょっと下辺りに痣がある。私が頚椎、灯が心臓だとしたら――
「子宮の位置、かしら」
「……思ったけど言うもんじゃないよ雫ちゃん。なんかちょっとエッチだよ」
顔を赤くした灯に注意される。だってどう考えたって人体の重要な部位を表してるのだもの。
「そもそもあんまり人の体をジロジロ見るもんじゃないよ」
「……灯の方が見てるくせに」
思っていたけれど、ちょっとムッツリね、この子。それはそうと、体のどこかに痣のある選ばれし救世主、なんて南総里見八犬伝みたいね。
「……里見八犬伝ってどこかで聞いたことあるな」
「説明したら長くなるからまた今度時間がある時に教えるわ」
……まあ私もちゃんと全部読んだわけじゃないから全体の流れくらいしか語れないけど。もしかしたら何かの役に立つかもしれないし。
さて、そろそろお風呂から上がろうと思うのだけど、ここで一つ問題がある。何の準備もなく唐突に異世界に召喚されたものだから、着替える服が無い。脱衣所にバスローブがあって借りられるらしいのは良いけど、下着の替えも明日着る服も無い。これは困ったわね。月野女学園の制服はジャンパースカートだからせめてブラウスだけでも替えがあったら良かったんだけど。
「灯は着替えあるの?」
「うーん……そういえば着替え無いね……」
灯の通う夜桜中学校の制服はセーラー服。その下にTシャツを着ていたから、せめて体操着でも持っていてくれたら明日の着替えくらいはなんとかなったんだけど。元の世界は季節が秋だったからカーディガンはある。最悪の場合は灯にはTシャツ無しで直接セーラー服を着てカーディガンを羽織ってもらうしかないかしら。
「……聞くまでもないけど、楓は?」
「? ないよ?」
「でしょうね」
私と灯は鞄を持ったままこの世界に来たけれど、楓は全く何も持たずにコチラに来ている。学校帰りじゃなかったのかしら。せめてもの救いは私と同じく冬服のボレロを羽織っていたことくらい。
「一応、何か解決策がないか宿の女将さんに聞いておくわ」
魔法が存在する世界だ。もしかしたら服を綺麗にする方法が見つかるかもしれないし、何か着替えられる服が手に入るかもしれない。ひとまずは、世界の危機よりもそれが最優先事項だった。
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