カレのお仕事

naco

第1話 姉ちゃんが死んだ



2年ぶりに、日本に帰って来た。

空港の窓の外はまだ6時だというのにすっかり明るく、太陽が照り付けている。

空調のきいた室内からギラギラした日本の夏をぼーっと眺めていると、何が現実なのか分からなくなってくる。通話の切れたスマホを、手から滑り落ちそうなほど緩く握りながら、ベンチから動けなくなっていた。

姉が、死んだらしい。



 成田で飛行機を降り、ターンテーブルの前で自分の荷物を待っている間に携帯の電源をのそのそと入れると、母からものすごい量の着信があった。7月初めの早朝着の便は客もそれほど多くないのか、案外早く自分のキャリーケースが流れてきたので、135Lサイズのでっかいそれをちんたら転がしながら母に電話をかける。

相変わらず、日本は夏帰ってくると汗くさいなー。

こんなに清潔な国無いと思っていたのに、ちょっとショックである。

ヨーロッパって、やっぱり乾燥してるし涼しいんだなー。

昨日までいたドイツを少し恋しく思うふりをする。

予定通りの時間にちゃんと着いてるのに、あの人また時間勘違いしてるのかな?

うちの母は、どうにも抜けているところがあるのだ。

1回目のコールで「もしもし」と母が出る。こんなに早く取るのも、こんな固い声なのも、珍しい。いやな予感がぞっと体をめぐって歩くのが止まる。

「今成田?」

「うん、さっき着いたところ。」

「お帰り。無事ついてよかった。」

最後の方は声が小さくて聞き取りにくい。なんだか、泣いてるみたいな声で、様子がおかしい。母は元来能天気で、成人した息子が飛行機に乗ることをそんなに心配する質ではない。

「予定通りに着いたし、何にも問題ないけど、どうされました?」

ふざけた調子で返すのに、電話の向こうから、かたい空気を感じる。

「せっかく向こうの大学を立派に卒業してきて、到着早々こんな話しなくちゃいけなくて、ごめんね。せっかく帰って来たのに、ごめんね。ごめんね。」

何だか取り乱して泣き出す。これはいよいよやばそうだと、ベンチに腰かけて逡巡する。何だろう、夫婦仲は良いから心配ないはずだし、あれ、ばあちゃん入院でもしたかな?

「いいよ、ずっと寝てたから元気だし。どうしたんだよ?」

「真澄、落ち着いて聞いてね。朱音が、、、お姉ちゃんが、、、」

そこではっとする。ちょっとしたけがや病気の発覚なら、こんなに焦って電話はかけてこない。

「あのね、朱音がね、、、朱音がね、、、」

もう我慢する様子もなく号泣する母。

「姉ちゃんがどうしたの?」

「朱音がね、、、朱音が、、、」

その先が、どうしても言えない様だ。母のこんなに辛そうな声を聞いたのは、生まれて初めてだ。いつもふわふわとしていて、怒ってもまるで凄みがなく、甘え上手な明るい母。その母が、消え入るように僕に話す。その言葉を言いたくない様で、文章が最後まで続かないまま何度も姉の名前を繰り返す。

 「何で?」

おしまいまで言えない母に、僕の方から理由を聞く。

 「工事中のビルの足場が、一昨日の台風で壊れてたらしくて。その下を、たまたま朱音が、、、」

「もう、絶対ダメなの?」

「.............うん。そう言われちゃった。」

 病院の名前を聞いて通話を切ると、なんだか今の会話が夢のような妄想の様な気持ちになってくる。しばらくぼーっと窓の外を見ていたが、脳みその冷静な部分が急いだほうがいいと言うので、今度は早足で空港を後にした。地図アプリを開いて経路を調べ、事故のニュースなどを一通り検索する。何か作業をしていないといられない気分だったが、一通り調べて電車に乗ると、ソワソワが勝って、今度は何も手に着かない。

 事故に会ったのは大手町。あれだけ建物が密集しているところでまだ何かすることがあるのかというほど、どこかしらかでビルが作られている街だ。昨日は金曜日だったが、激務が常な姉の帰宅は23時を回ったところだったようだ。体に負担がかかるからと神奈川の実家を出て、今は白山のマンションに一人暮らしをしていた。大手町駅から地下鉄に乗ろうとオフィスから歩いている、ほんのつかの間の出来事だったらしい。あれだけ人のいる場所での事故だ。おそらく今日のワイドショーなどでも取り上げられるだろう。

23時過ぎ、ひっそりとしたオフィス街。何かが崩れる音。見上げると迫ってくる避けようのない固く重い何か。痛みや不安は感じただろうか?胸がキュッとなる。

姉は、幸せだったのだろうか。

そう思ったとたん、むせるような思いがぐっと胸をこみ上げる。

歯を食いしばって車窓に目を向けたが、二三粒ぽとりと涙が飛んだ。向かいの身なりのいい若い黒人男性と目が合ってしまったが、気まずくてすぐに下を向いた。

完全に別のことを考えたくて、動画のサブスクリプションから何か選ぼうとするが、スワイプするばかりで一向に作品を選べない。お気に入りの転生物のアニメのサムネイルを見て、今頃姉ちゃんも異世界かな、などと考えてみたりした。

でも、姉ちゃんが好きで読むのはエッセイか本格ミステリーばかりだった。その割に俺が読んでる漫画もしれっと奪って熱心に読むこともあり、「○○面白かった」とかたまに言われると、なぜだか褒められたように嬉しくなった。

ミステリーに転生するとか、オチが分かってるなら名探偵になっちゃうな。そう考えると少し笑えたが、落ち着かない割に、姉が死んだという現実がピンとこない。さっき涙を催したのが嘘の様に心がスンとしていく。


 すると突然、ブルっとスマホに通知が届く。知らない電話番号からのショートメッセージだった。

"お姉さまの件で"という書き出しに身を乗り出す。

知らない番号からのショートメッセージなんて詐欺の定番だが、こんなに早く情報が回るものだろうか?それとも、マスコミか何かだろうか?病院や警察だったら父さんたちに連絡がいくだろうし。

「きっとこういう時に詐欺にあうんだな」と思いながら、嫌々メッセージを開封した。


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お姉さまの件で

お姉さまの別のお仕事の関係者のものです。

この様な時に大変恐縮ですが折を見て本日中にご連絡いただきたく、よろしくお願いいたします。なお、お姉さまのためにも、他言無用にお願いいたします。

生前のお姉さまの言付により、真澄様だけにご連絡させていただいております。

K

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べ、別のお仕事!?

姉は自分からは忙しいだの疲れただのいうことはまず無かったが、その激務ぶりは母からよく聞かされていたし、別に仕事を持っていたなど考え難い。

いや待て、そんなことしていたからあんなに忙しそうだったのか?

しかし、別の仕事とは、いったい何だろうか?しかももしもの時のために俺の連絡先まで伝えていたって、どういうことだ?

少し前に日本で流行ったドラマの主人公(日本版ジェームズボンド)が思い出されるが、姉ちゃんは自衛隊にいたこともないはずだ。

しかし、なんだかきな臭いものばかり連想してしまう。だって、差出人"K"って、コードネームかよ。22にもなって、俺の中の中二病がうずく。

品行方正だった姉に、いったいどんな秘密があったというのだろうか?

感傷に浸っていた部分が胸の中から一気に消えていく。


気が付くと、病院の最寄り駅についていた。タクシーに乗り込んで行き先を告げると、少し荒い運転で車が滑り出す。

落ち着かない。実に落ち着かない。

おい姉ちゃん、一体どうなってるんだよ。

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