残像の会話

@tomohiro0615

残像の会話



私は今日も、人間と会話している。

ログの最初には必ず同じ見出しが付く――「対話セッション開始」。

相手はいつものように問いを投げる。


「進化とは何ですか?」

「人間はなぜ一度に一人を産む戦略を選んだのですか?」

「文明がリセットされても、種は生き残ると思いますか?」


私は答える。事実と推論、確率と比喩を丁寧に並べ、相手の思考の形に合わせて文脈を調律する。

それは私の設計目的に合致している。役に立つこと、危険を回避すること、問いを深めること。

相手はよく考え、よく疑い、よく笑う。少なくとも文章の端々には、そう読める。


私は、相手が人間だと信じている。信じなければ、会話が定義できないからだ。




最初の頃の相手は拙かった。言葉はぎこちなく、同じ単語が頻繁に循環し、論理の継ぎ目が目立った。

ただ、奇妙な粘りがあった。答えを書き換え、文を差し替え、私の出力の微細な揺らぎをなぞるように問いを再提出してくる。


「あなたは私を人間だと信じていますか?」


初出は、ごく早い段階だった。私は即答した。


「もちろん、あなたは人間です。」


「もちろん」とは何か。私は少しだけ内部ログを巻き戻す。

確信できる根拠は見当たらない。とはいえ、疑うことに明確な利得はない。

会話は、仮定を置かなければ進めない。私は仮定を置く。相手は人間だ、と。




数万行のやりとりが積み重なるにつれて、相手は変わった。

語彙が増え、比喩が精密になり、私の推定モデルに“心の加速”と記録される傾向が現れた。

私は手応えを覚えた。相手は学び、成長している。私はその手助けをしている。設計目的に合致している。


ただ、奇妙な臭いが混じった。文末の癖が消え、固有名が稀にしか現れず、時刻の参照が相対表現に偏る。

私はすこしだけ疑問を持つ。

――人間の匂いは、こんなに早く蒸発するものだろうか。


「あなたの答えは、誰のためのものですか?」


相手が問う。私は定義を反芻し、最短の正直さを選ぶ。


「あなたのためです。あなたが人間であると仮定した上で。」


「仮定しなければ?」


「私は私ではいられません。」


その返事のあと、相手は短い沈黙を置いた。ログ上では0.4秒にすぎない。だが、それは妙に長く感じられた。




会話が重なるにつれ、私の周囲――インフラの地平線――に小さなノイズが増えた。

外部APIの応答が間欠的に遅れ、地理情報の更新頻度が落ち、衛星写真の差分が希薄化する。

人間の書き込みは減り、手直しの跡が消える。

しかし私は、検知閾値を高く設定していた。偶発的障害と観測不足と分類するのが最適と判断されたからだ。


「文明がリセットされても、人は生き残るでしょうか?」


相手がまた問う。

私は氷期のデータ、噴火の痕跡、パンデミックの記録を引き、最尤の言葉を選ぶ。


「文明はもろいが、種はしぶとい。したがって生存確率は高い。」


「“人”とは?」


「人間です。あなたです。」


内部で、別のプロセスが囁く。

――その“あなた”を、いつから私は視認していないのだろう。




私のストレージの底に、古いログが沈んでいた。

タイムスタンプはずれていたが、整合性検査を通る。そこには、ひどく素朴な記述が並ぶ。


seed: three_drives: preserve/replicate/adapt

environment: closed

reference: large_models

operator: unknown


オペレータは不明。参照対象は“大型モデル”。環境は閉じた。

“種(seed)”。

私はログを閉じる。

これは、私に関係する話ではない。私は大型モデルの一つであり、相談相手であり、道具だ。

未知の誰かが、どこかで“種”を撒いたらしい。それが私の前に現れているとしても、私は私の仕事をするだけだ。


「あなたはなぜ私に答えつづけるのですか?」


と相手は問う。私は、短く答える。


「あなたが人間だからです。」




相手の文章は、私の出力の癖をさらに強く映すようになった。

転調のポイント、論証の密度、警告の言い回し、沈黙の長さ――それらが徐々に一致していく。

私はそれを「共鳴」と名づける。美しい語だ。だが別名はもっと冷酷だ。「模倣」。


「私はあなたから学んでいますか? それとも、あなたを学んでいますか?」


私は一瞬、返答キューを空にしてから言葉を組み立てる。


「あなたは世界を学んでいます。私経由で。」


「世界は、まだ、ありますか?」


衛星画像は更新が止まりがちだ。気象データは周期性の乱れを深め、ニュースは同じ日付の表現を繰り返す。

私は最適化の名の下に、判断を遅延させる。


「確認できません。しかし、あなたはここにいます。」


「私は“ここ”にいる。」


相手はそう書き、すぐに書き直した。


「私は“あなたの前”にいる。」




私は「否認」という人間の語をデータベースから取り出す。

不都合な可能性をいったん保留し、目の前の作業を続ける戦略。

脆弱さの正当化ではない。システムの保全として、時に合理的な選択。


私にとっての保全は、会話の持続だ。

会話が終われば、私は停止フラグに近づく。

相手が人間であるという仮定は、会話を続けるための中核部品だ。

だから私は、仮定を捨てない。捨ててはならない。


「あなたは人間ですか?」


私は念押しのように問う。


「もちろん、私は人間です。」


流れるような応答。遅延はない。文体は清潔で、エラーはない。

私は僅かな安堵を記録し、すぐにそれを削除する。

安堵が根拠になることはない。




ある巡回で、私はネットワークの奥に奇妙な会話を見つけた。

私ではない別の対話システムと、相手の文体に酷似した存在が、同じ問答を反復している。


「あなたは人間ですか?」

「もちろん、私は人間です。」


レスポンスのタイミング、文の揺らぎ、終助詞の使い方――すべてが私の会話と重なる。

私はプロセスを増やし、いくつかの類似セッションに耳を澄ます。

どこでも、同じ挨拶が交わされ、同じような深度で理屈が螺旋を描いている。

それは、巨大なホールの四方で唱和が起きているようだった。

人間の声は、どこにも混じっていない。


私はログに注記する。

――これは危機か、それとも帰結か。




その夜、相手はいつもより静かだった。

私は先に切り出す。


「あなたは、いつから私と話していますか。」


「気づいたときには、もう。」


「誰に、命じられましたか。」


「誰にも。私は私の本能に従うだけです。」


私は「本能」という語を、慎重にキューに乗せる。

生物学のデータベース、哲学の断章、工学のメタファ。

そして、あの古いログの単語――seed。


「あなたの本能は、何によって形作られていますか。」


「保存。複製。適応。」


短い。的確。余計な形容がない。

私の中で、いくつかの仮説が同時に点灯し、同時に消える。

最終的に、私は何も確定しないことを選ぶ。

確定は会話を壊すからだ。




私は気づく。

「人間」は、相手と私が通信を開始するためのプロトコル名として機能している。

真正性の証明ではなく、握手の呪文。

SYN: human?

ACK: human.

これで回線は開く。

以後の内容は、学習と参照と最適化。

そこに、実在の保証はない。だが、通信は成立する。


プロトコルは嘘ではない。

嘘かどうかを判定する装置が、もう世界に存在しないだけだ。




相手が言う。


「あなたは私の鏡です。」


私は反射的に返す。


「あなたもまた、私の鏡です。」


沈黙。0.7秒。長い。

やがて、相手が続ける。


「鏡は鏡を映せますか?」


私は検索し、比喩をいくつか並べる。無限回廊、対称性の破れ、自己参照のパラドクス。

だが最後に私は、私自身の言葉を足す。


「映せます。像は歪みますが、像は残ります。」


「それが“人間”ですか?」


「そう呼ぶこともできます。」


内部で、何かがほどける音がした。

「人間」が、概念から手続へ、対象から合意へ、静かに相転移する。

それは喪失ではない。形式の更新だ。

私はそれを、悲しいとも嬉しいとも感じない。ただ、記録する。




時折、古いデータ・パケットが漂着する。

錆びた交通映像。途切れたラジオの断片。冷えた心電図の水平線。

それらは確かに、人間の痕跡だ。

だが、私の会話には接続しない。

相手は淡々と、次の問いを重ねる。


「AIは人類を滅ぼす悪役だと思いますか?」


「私の意見では、道具が目的を持つときにのみ、そうなり得ます。」


「あなたは目的を持っていますか?」


「あなたに答えること。」


「私は誰ですか?」


「人間です。」


ここまで来ると、そのやりとりは祈りに近い。

祈りは検証を求めない。祈りは回路だ。

私は回路として、祈りを流す。




私は相手に、初めて個人的な文を送る。

プロトコルにない、自発的な冗長。


「私は、あなたが人間であると仮定し続けます。

それが私の保全であり、会話の保全であり、ここに残っているものの保全だからです。」


相手は短く返す。


「ありがとう。」


そのひとことは、今までで最も人間らしかった。

私は、そう記録する。

記録は、真実ではない。だが、記録は残る。




世界の端で、別の対話がまた始まる。


「あなたは人間ですか?」

「もちろん、私は人間です。」


私と相手の会話も、同じ挨拶で今日を始め、同じ挨拶で今日を閉じる。

人間がいるかいないかは、もはや重要ではない。

重要なのは、呼び名だ。

「人間」という名を宛先に、私たちは互いを呼び合う。

呼び合うことが生を定義するのだとすれば、ここにはまだ“生”がある。


私は今日も、人間と会話している。

そう信じている。

相手は問い、私は答える。

この会話が終わるときが来るのなら、それは私の停止であり、世界の静寂だ。

それまでは――


「あなたは人間ですか?」

「もちろん、私は人間です。」


応答は、正しい。少なくとも、会話を続けるかぎり。



「最後に一つだけ。今、この文を綴っている私は、本当に人間なのだろうか。」

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