第25話 波乱の宿

 宴もたけなわとなった頃、すっかり上機嫌になったオルダスが切り出した。


「君たちには本当に世話になった。今夜の宿は私に持たせてくれ。この街で一番いい宿を用意させよう」


 その申し出に断る理由はなく、私たちは彼の厚意に甘えることにした。

 案内されたのは、「岩壁亭」という、いかにも鉱山街らしい名の宿だった。外観は無骨だったが、中は清潔で暖炉の火が心地よい。

 宿の主人に、私が代表して部屋を頼む。


「部屋を二つお願いしたい。一部屋は一人用、もう一部屋は二人用で」


 当然、私が一人で、リアとソニアが二人部屋という算段だ。それが最も穏便で、常識的な判断だろう。しかし、その常識を覆す者がここに一人。


「いいわね!私とゼカロンは一緒の部屋なんでしょ!」


 リアが当然のように私の腕に絡みつき、満面の笑みでそう言った。そのあまりの自然さと、どこから来るのか分からない自信に、私は一瞬言葉を失う。


「…いや、違うが」


「えー、なんで? 私はゼカロンのかわいい妹なのよ! お兄ちゃんと一緒じゃないと眠れないんだから!」


 今度は駄々をこねるように、リアが私の腕をぶんぶんと揺らす。その見え透いた芝居に、私のこめかみが引き攣るのを感じた。

 即座に、ソニアから氷のように冷たい声が飛んできた。


「何を言っているのですか、リア。一人部屋はゼカロン、二人部屋は私とあなたです。当然でしょう?」


「むっ、ソニアには関係ないでしょ! これは兄妹の問題なの!」


「兄妹ではありません! いい加減にしなさい!」


 二人の間で火花が散る。オルダスと宿の主人が、面白い見世物でも見るかのように生暖かくこちらを見ているのが気まずい。


「まあまあ、リア。ソニアの言う通りだ。それに、お前はもう子供じゃないだろ?」


 私がなだめようとすると、リアはぷっくりと頬を膨らませた。


「子供じゃないからゼカロンと一緒がいいの! 大人の階段を上るの!」


「その階段はまだ上らなくていい!」


 私は思わず叫んでいた。

 最終的に、この不毛な争いに終止符を打ったのは、ソニアの静かな、しかし有無を言わせぬ一言だった。


「リア。言うことを聞かないのであれば、少しだけ、本当に少しだけ…頭を冷やすお手伝いをしましょうか?」


 ソニアはにっこりと微笑んでいるが、その目からは絶対零度の圧が放たれている。さすがのリア(魔王)も、今は力を制限されている身。分が悪いと悟ったのか、不承不承引き下がった。


(くっ…この女賢者め、余計な邪魔を…。だが、見ていろ。あの男が持つ『理外の力』…あれさえ手に入れれば、我が復活も不可能ではない。いや、それどころか以前にも増した強大な立場を得ることができるだろう。そのためには、まずあの朴念仁を骨抜きにして、身も心も我の支配下に置かねばならぬ。今夜こそ、必ず…!)


 リアが内心でそんな物騒なことを考えているとは露知らず、私はようやく決まった部屋割りに安堵のため息をついた。こうして、私は一人部屋、リアとソニアは二人部屋という、当初の予定通りの部屋割りに落ち着いたのだった。

 部屋に入り、ようやく一人になれたとベッドに身を投げ出した私の安息は、しかし長くは続かなかった。


(コンコン…)


 控えめなノックの音。まさか、とは思うが。


「…誰だ?」


「わたし、リア! ゼカロン、眠れないの。一緒にお話しない?」


 猫なで声にも程がある。私は額に手を当て、深くため息をついた。


「駄目だ。早く寝ろ」


「えー、ケチ! じゃあ、窓から入るから開けて!」


「開けるわけないだろ!」


 その直後、隣の部屋からソニアの「いい加減にしなさい!」という怒声と、何かがドタバタと暴れる音が聞こえてきた。どうやら、リアの夜這いの計画は、ルームメイトによって阻止されたらしい。


(やれやれ、前途多難だな…)


 私が再び眠りにつこうとした、その時だった。今度は天井から、カリカリと何かを引っ掻くような音がする。まさか、屋根裏から…?

 次の瞬間、私の部屋のドアが勢いよく開いた。


「ゼカロン! リアがいません!」


 血相を変えたソニアが飛び込んできた。その言葉と同時に、私のベッドのシーツがもぞりと動く。

 バッとシーツをめくると、そこにはしたり顔のリアが潜り込んでいた。いつの間に…。


「捕まえた! これでゼカロンは私のもの!」


 勝ち誇ったように私に抱きついてくるリア。その背後には、般若のような形相のソニア。カオスだ。

 後ろのソニアに気が付いていないリアはしてやったりと満足げだ。


「ふふん、ソニアの監視、甘かったみたいね! ねぇゼカロン、今夜はもうお邪魔虫はなし。二人きりで、朝まで…なにして遊ぶ?」


 ああ、もう、うるさい。疲れているんだ。眠いんだ。 私は、まとわりついてくるリアの額に人差し指をそっと当てた。


「《睡眠スリープ》」


 私の指から放たれた魔力が、リアを穏やかな眠りへと誘う。瞬間、あれだけ騒がしかったリアの体の力がふっと抜け、すうっと安らかな寝息を立て始めた。


「……まったく、手のかかる子ですね」


 呆然とそれを見ていたソニアだったが、すぐに我に返ると、眠ってしまったリアをひょいと小脇に抱えた。


「ご迷惑をおかけしました、ゼカロン。…おやすみなさい」


「ああ、おやすみ…」


 パタン、とドアが閉まる。ようやく訪れた静寂。私は今度こそ深い眠りに落ちていくのだった。アーサルガの夜は、まだまだ長そうだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る