悪役令嬢「ただひとりの君へ……」

美女前bI

 


 断頭台に蹲るお嬢様と目が合った。私に頷くと、彼女は視線をゆっくり移動させ今度は王子と見つめ合う。その瞬間、彼女の表情が変わった。それはそれは涼やかで上品な笑顔だった。


 王子は思わず一歩後退り、震えるその視線を自身の部下へと彷徨わせる。


「や、やれ……」


 王子の弱々しい声が聞こえ、彼女の首はまるで庭園に咲くお花のようにぼとりと落ちる。少し遅れて観衆は騒ぎ立てた。泣き叫ぶ者まで現れる。


「きゃあああ、死んだわっ。ようやく死んだわ」

「やったぞ。わがままなメスガキがとうとういなくなったぞ」


 お嬢様の本当の苦労も知らずに、噂だけを信じた者達は皆歓喜している。ざまあみろとでも言っているかのように聞こえた。本当に愚かな人達。

 

「皆のものよく聞け。贅沢を極め、国を滅ぼそうと企んだビジュエルホーンアルツェヴルマッルァシピリチェッリクォッンクルットッルェはもういない。今後は安心して過ごすがよい」


 王子はお嬢様のかつての許嫁だというのに、転がっている彼女の顔を踏みつけてそう叫んだ。


 無力。


 一介のメイドに出来ることは何もない。それがとても悔しかった。


 だけど私は我慢の限界を超えていることを自覚している。それは怒りに似た感情から来るものだった。


 自らの命を差し出すことなど惜しくもない。お嬢様はもういないから。これ以上失うものなど何もないのだ。


「王子、よく聞こえませんでした。もう一度お願いします」


 私の声はこの騒音の中でもよく通る。当然それは王子の耳にも聞こえていた。彼は舌打ちをすると、こちらを睨む。だが、叫んだ者が私とまでは特定できなかったようだ。


 興奮している多くの観衆は、私の台詞に続いてもう一度聞かせてくれと叫び始める。王子にとってはまさかのアンコールではないだろうか。


 彼はギリッと奥歯を噛んだように厳しい表情を見せると、まるで演劇の俳優のように大袈裟に手を横に振った。


「静まれ!」


 彼の大声が響くと、民衆はぴたっと声を、物音さえも立てるのもやめた。静まり返る私達。誰かの生唾を飲む音が聞こえた気がした。


 聴衆が見守る中、彼は血の気が引いた青白い顔をそれでも堂々と真っすぐに向けて口を開く。


「ビ、ビジュエル、ホーン、エ、じゃなくて。アルツェヴル、えーと、マッルァチじゃなくてシ、シピリチェッリクォッ、フ違った。ン、クルットッルェはもういない。今後は安心して過ごすがよい」


「え、なんて?」


 私は言った。言ってやった。


 私の声にびくっと震える高貴な彼の情けない姿が舞台の上で映える。


 今ならお嬢様の気持ちが痛いほどわかる。これはハマっちゃう。ムダに長いご自身のお名前。スムーズに言えるのはこの国ではお嬢様の他に私だけだった。


 しかし王子は彼女に揶揄われ続けて5回に1回は言えるようになった。さっきスムーズに言えちゃったから悔しくてしょうがなかったけど、やはり奇跡は続かないのね。


 『さあ、どうかしら。静まれと言ったのはあなたよ。このしんとしたプレッシャーの中であなたは噛まずに言える?』


 この状況で私が思い出したのは、かつてお嬢様が王子に放ったそのセリフだった。


 やばい。めっちゃ楽しい。羞恥で赤くなる王子の顔がとにかくたまんない。


 お嬢様は一度知った快感を何度も止めようと苦労なさっていた。落ち度と言えるのは本当にそれだけ。だから贅沢なんてしていない。でも国が滅びる寸前だったのは本当。同じように、他国の王侯貴族も虐めて楽しんでしまったのだから。


「ビ、ジュ、エ、ル、ホーン、ア、ル、ツェ、ヴ、ル、マッルァ、シ、ピ、なんだっけ?えーと、ア、ル、ツェ、ヴ、ル、マッルァ、シ、ピ、リ、チェッリ、クォッンク、ルットッルェだ!」


「うわあ、置きに来た」


「お前かあ! とうとう見つけたぞ。さっきから私をあの女のように弄りやがって。名を名乗れ、私が直々にその首を落としてやる」


 バレてしまった。余計な一言に反省はしてるが後悔はない。


 お嬢様、すぐに参ります。この手土産、是非とも美味しく召し上がってくださいませ!


「はい、私めにございます。名前はペッンリッイェッグォッルガガカダタカーッソ・リピートアフタミーでございます。さあ、どうぞ処刑なさってください。王子に名前を呼んでいただけるチャンスをいただき、大変嬉しゅうございます」

「――そ、そうか……ならば、そ、そなたの勇気を称えて不問とする。さらばだ!」


 そう言って、逃げるように素早く立ち去った王子。


 わざわざ名前を考えたのに。わざわざその名前を呼びやすく誘導したのに。


「なんて卑怯者だ。私は絶対に許さない……」




 2か月後、この国は敵国の襲撃に遭い、たった九時間で滅んでしまったと風の噂で聞いた。四百年続いた歴史の突然の終焉。世界の国々も驚愕したようだ。


 かつての王都の片隅にひっそりと佇む墓地。


 私がお墓を磨いていると、一人の紳士がお花と紙のようなものを携えてこちらへと向かっていることに気付いた。


 誰だっけ。どっかで見た気がするんだけどなあ。


「お嬢さん。ビジュエルホーンアルツェヴルマッルァシピリチェッリクォッンクルットッルェのお墓で間違いないかな?」


 ん?


 私以外にお嬢様の名前をスラスラ言えるのは、この国にはもう誰もいないはず。


「ええ。本名はエリーゼ様ですが」

「え、エリーゼ? それは本当かい?」


 彼の正体に気付いたのはもちろんお嬢様の名前を言えたことだが、その手に持っている一枚の紙で確信に至った。だからつい誂うように嘘を言ってしまった。もちろん後悔はしていない。


 この人はこの国を滅ぼした張本人だし。


「エリーゼ様は生前仰っておられました。バレたオネショを隠すために、その都度メイドを殺して一人ぼっちになるような殿方しかここに来な……いと。ぷふっくくく、ふふ」


 話してる途中、自分の体への衝撃と同時に赤いものが数滴飛んだのが見えた。それはさっきまで磨いていた墓石にも付着している。


 お嬢様、お墓を私の血で汚してしまってごめんなさい。でも、最高のお土産ができました。それを持って、あなたに会いに行きます……


 真っ赤な表情で返り血を浴びた男は手紙で剣を拭き取ると、その紙を無造作に捨てたようだ。


 強風が吹いたのはこれ以上ないほどの出来過ぎたタイミングだった。倒れている私の顔に着地したのは風のいたずらで運ばれた真っ赤な手紙。


 ふふ、やっぱり……


 それは私の書いた手紙だ。


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 メイド殺しのひとりぼっちの君へ


 私はまだ生きています。


 毎日が楽しくてたまりません。


 あなたの羞恥に悶える醜くい顔が、いつまでも脳裏に焼き付いて離れませんわ。


 この国を滅ぼすと宣言してからどれだけ経ったかしら。本当に口だけの男……がっかりしちゃった。


 がっかりしすぎて、オネショしちゃいそう。


 ビジュエルホーンアルツェヴルマッルァシピリチェッリクォッンクルットッルェ


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 人の気配が消えた。瞼越しに見える眩しい光は間もなく闇に包まれようとしている。殺されることに不満はない。むしろお嬢様の近くで殺してくれることのほうが今は嬉しい。感謝を込めて彼にはまたおねしょするように祈っておこう。


 思い残すことはない。私はこれでようやく務めを果たし終えたのだ。


 やりきった人生に満足していると懐かしい気配を感じた。そう、お嬢様だ!


「エリーゼ。あなたばかり楽しい思いをしてズルいわ。でも、最高の表情だったわね。あなたのお土産は文句無しに絶品よ!」


 よかった。喜んでいただけた。


 気付けば神々しくも温かく優しい光に私達は包まれていた。私の心は幸せで満たされているようだ。


 もしも生まれ変わったら、またお嬢様の近くで一緒に過ごしたい。今度はおばあちゃんになるまでお嬢様と楽しみたいな。口に出してないのにお嬢様は頷いてくれた。なんとなく彼女が何を思ってるのかもわかる気がした。


 もしも生まれ変わったら、またエリーゼと共に生きていきたい。出来れば次は夫婦がいい。ただひとりの君へ、君だけが喜ぶ特別なものを次は私から贈らせてほしい。


 ああ、どうやら来世も同じ結末になりそうだ。


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