コンサートホール①

 夏休みに入ってまもなく大山先生と合唱部にとっては過酷な日々となった。


 この年の全国合唱コンクールの地区予選が7月の4周目の後半に設定されており、夏休みに入って早々に合宿となったためだ。また演劇部もまた9月に全国演劇大会の地区大会が控えており、その稽古に余念がない状態に入っていた。そのためこの間、多喜はもとより萠妃も部活動には参加していなかった。


 代わりに無事抜糸とバレエ初級コースでの体慣らしを終えた萠妃は、夏休みに入ると連日音楽学校の二次試験に向けた声楽とバレエのレッスン漬けとなった。

 この間彼女は努めて電車移動を避け、自転車を利用していたため多喜が電車でエスコートするということもなかった。

 多喜も統合コース編入のための夏季課題を除けば富山、渡辺らと映画を見に行くくらいで大した予定もない日々を過ごした。


 そして合唱部の合宿が終わると、それぞれに差し入れを持参して合唱部に顔を出したが、2人が久々に顔を合わせたのは合唱コンクール予選本番前日までなかった。

 その本番前日も、音楽室の合唱部員達は緊張感に満ちており、二人は客席として設えられた椅子に座って合唱部の練習を黙って見守る以上のことはできなかった。


 この間、萠妃は学校では音楽学校の二次試験の話はしても、別れを意識させる言動はなかった。

 まず二次試験自体が9月の下旬であり、二学期がはじまってからもしばらくは通学することになる。その上、仮に合格したとしても音楽学校の秋季入学式は10月の中旬に設定されているため、別れを惜しむのも気が早すぎる上に取らぬ狸の皮算用という段階でもあった。


 それに萠妃はこの夏休みに入ってからややナーバスになっていたせいもあるだろう。

 練習漬けで気が抜けないというせいもあるが、過去2年分お預けを食らっていた夢の音楽学校の本校試験ということを意識しすぎている傾向にあった。


 そういう状況下で、久々に萠妃が電車で移動するという事態が生じた。

 合唱コンクールの本番、郊外地域の大きなコンサートホールまで応援に出向くためである。

 大事をとって、多喜は渡辺と富山を連れ立って3人で彼女を自宅の『金鐘』まで迎えに行った。


 まるで合唱に興味のないオーダー科の2人には申し訳ない話だったが、利用路線が例の切りつけストーカーと遭遇する可能性のある路線だと説明したところ、嫌味一つ言わずに一緒に行くと揃って名乗り出てくれた。


 既に警棒もボディカムも制服も返却しており、警棒代わりに折りたたみの日傘くらいしか持ち歩けないような状況だったが、2人がついてくれたのはありがたかった。


「こんなに大勢じゃなくてもいいのに」


 と自分の地元駅に現れた3人を見て萠妃は呆れた様子だったが、なにかあってからでは遅い。相手が刃物で来るとなったら備えはしっかりとしているに越したことはなかった。


 そうして4人は電車にて合唱コンクール会場のコンサートホール最寄り駅を降り、無事に会場入りした。会場は当然のことながら制服姿の生徒が数多居た。だがその中にあって上は白シャツ下は黒と揃いながらも派手髪を含む集団は見つけるのにそう苦労しなかった。


 出場校は控室のかわりに前寄りの客席を用意されており、4人はそこまで降りていって先生や部員たちに挨拶をした。


「ごめんねー、混ざれなくて」

「いいよいいよ、歌劇団の受験控えてたら仕方ないよ」


 そんなやりとりを女子部員らと交わしている萠妃を尻目に、多喜らは客席から会場内を見渡した。


 会場には各校の夏服と思しき白半袖にスカートないしスラックスという格好の中に、ぽつりぽつりと灰色の上下の制服姿も目についた。

 国防コース所属の他校の合唱部員である。学校指定の制服が間に合わなかった子らは灰色の制服のままの出場を認められていた。


 多喜は一見して、意外と多い、と感じたが、見渡した限り、当局から転送されてきた駅の防犯カメラ映像の犯人と思しき国防制服の体格に見合う人物は見当たらなかった。


 しばらくきょろきょろと遠目に灰色の制服姿を注視している横で、富山が一人の若い男に声をかけられた。白木である。

 二人は知り合いのようでなにか話し込んでいた。


 そうしてほどなく開演時間となり、4人は白木と共に後方の一般観覧席についた。念の為、富山と渡辺は萠妃の真後ろの席に座り、後方から襲われることに備えた。


 各校の歌唱中、萠妃と白木はしばしばひそひそと感想を言い交わしていた。例えば大所帯の学校は課題曲、自由曲で生徒の入れ替わりがあるし、自由曲の定番曲ながら難易度の高い曲を選んだ学校などには惜しみなく称賛の拍手を送っていた。


 多喜は正直に言って合唱の良し悪しというものがよくわからなかった。

 実際、歌声の重なり連なる合唱では歌詞もよく聞き取れないし、会場の反響と低声部の聞き取りにくさも歌詞理解の難しさを加速させていた。


 ふと気になって後ろを振り返ると、ふたりともさすがに携帯電話までは見ていなかったが、富山は死んだ魚のような目になっており、渡辺にいたっては拍手のたびにびくっと身震いして目を覚ますうたた寝状態だった。

 実際、外の炎天下を思えばエアコンが効いて椅子の座り心地も悪くない会場内は昼寝には程よいというのもよくわかる。


 各校が順番に登壇し、また登壇順の数組前になったら会場から出て会場常設のリハーサル室に入って軽く声出しや通しでの最終確認をし、会場の上手側袖に控える。

 そしてプログラム順の前の学校が終わり、下手側へと履けていくと、校名を呼ばれて舞台上に入場する。


 その流れを見て、多喜は内心萠妃が出場すると言い出さなくてよかったと思っていた。

 犯人にこの動線の流れを把握されていたら、万が一ということもありうると思えたのだ。その時出場者ではない多喜には、彼女を守ることはできない。


 途中、1度の休憩時間を挟み、無事合唱コンクールの地区ブロック予選は全プログラムを終えた。それから更に審査待ちの休憩時間を挟み、受賞校が発表された。

 薔舎学園高校は銅賞を獲得した。銅賞といっても、金賞銀賞と合わせて出場全校の3分の1は受賞できるという賞ではある。


 審査が終わると早々にコンクールの閉めの全員合唱が行われ、コンクール終了の挨拶と宣言をもって終了となった。


 出場校生徒、観覧客はそれぞれに規制退場という形でコンサートホールの施設外へと押し出されるように出てきた。


 特に出場校生徒は各校数名程度の講評待ちを除いてコンサートホール自体のホワイエやエントランスでの待機が禁止されていた。やむなく大半の出場者と身内の客は会場を出ざるをえなかった。


 そして会場前の、一般のアーティストのコンサートなどのときには入場前の待機列などが構成されるような広場に、各校生徒達が集まって講評を聞きに行った生徒を待ったり、証書を掲げて集合写真を撮りあったりしていた。


 皆、日傘をかついでいる子が非常に多かった。まるで半分雨でも振っているかのようだった。


 萠妃も、当然のように薔舎学園高校合唱部のその輪に他の女子生徒と同様に日傘をかついで混ざっていた。

 その彼女がふいに集団の輪を離れて、コンサートホールの方へと向かおうとした。

 多喜は慌ててその手を引いて止めた。


「ちょっと待った、どこいくんです?」

「どこって、おトイレ」


 それを聞いてほっと安堵して念の為に富山と2人で彼女に付き添ってホール内へと戻ろうとした。


 2人揃ってコンサートホールの回転扉をくぐるために日傘を閉じたその時だった。


 不意に、人垣をわけて猛然と回転扉めがけて走るデニムにティーシャツ姿の男が現れた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る