多喜亮珠、呉萠妃――合唱部①

「あ、もうこんな時間……今日、ボディカムないってことは、オーダー科のお勤めは?」

「休みにしてもらってます。元々、下校確認の番の翌日は放課後休みですから」

「そう、じゃあ時間ある?」


 アラームを止める操作をしながら大山先生からなにかに誘うような口調でそう尋ねられた。


「いえ、とくには」

「だってさ」

 と、呉先輩を見る大山先生。


「いいんじゃない。私が隣つくよ、音域はテノール? バス?」

「中学の音楽の授業では、テノールでしたけど」


「よかった、じゃあ大丈夫ね」

 そう言いながら、呉先輩と大山先生は顔を見合わせた。


 そのまま、ふたりに第一音楽室に連れ込まれる形で入った。

 真剣な顔でピアノを弾き込んでいた女子生徒が3人に気づいて手を止めた。そして不思議そうに多喜の腕を引く大山先生を見た。


「新人?」

「んふふ、今日はお試し」


 そういっている間に、呉萠妃が第二音楽室や屋上にたむろしていた生徒に声を掛け終えて、ぞろぞろと第一音楽室に集まってくる。


 誰もが大山先生の隣にぽつんと立ったオーダー科の灰色ずくめの制服をみて、びくりと一瞬身を強張らせていた。

 だが大山先生は構わず、彼らを手招きして教室に迎え入れた。


「じゃあ今日は、発声練習から始めるよ。多喜くん、帽子とカバン置いて萠妃の左隣に並んで」


 いわれるままに壁際に学生カバンと帽子を置き、列に入った。自分の隣に立ってくれるといった呉先輩以外は若干距離がある感じがするのは気のせいではないだろう。エアコンが効いているせいもあるが、多喜は若干の居心地の悪さで肌寒く感じていた。


 茶髪のこざっぱりした格好の、呉先輩と同じくらいの背丈の男の先輩が、多喜の左の隙間を埋めるように立ってくれた。多喜は(優しい人だな)と思った。


 オーダー科になってから、癖でこういう人と遭遇すると何気なく胸のボディカムの背面液晶を見てしまう。

 問題のある生徒に遭遇した時はもちろん記録目的で名前と顔認証を確認するのだが、きちんと1人の1年生として扱ってくれる先輩に遭遇したときも、その人の顔と名前を覚えたいという気持ちからボディカムをつい覗いてしまうのだ。

 いまもその仕草をしかけて、空っぽの胸元に目を落としていた。


「いま、カメラチェックしようとしたでしょ」


 呉先輩にそう言われて、急に恥ずかしくなった。


「え、そうなの? 不審者っぽく見える?」

 隣に入ってくれた先輩は、大げさなみぶりでそう聞いてきた。多喜は返事にこまって苦笑いして首をかしげるしかない。


「いやだって一人だけ明らかにおじさんじゃん」

「まって、老け顔かもしれないけどおじさんじゃない。まだお酒も飲めない年だから」


 多喜の頭越しにそんなやり取りが交わされる。


「え、おじさん?」

「あ、この人卒業生、部活の面倒見に顔出してくれてるの」


「ここの合唱部は、卒業生が現役生の雑用をやるっていうしきたりがあるんだよ」

「そうなんですか……」


「まあ、ヒマで大学が近い人くらいだけどね。離れたトコの大学行っちゃった人はあんまり顔見せてくれないけど」


 卒業生と紹介された男性の一人向こうの男子が茶化すようにそう言った。これに続いて別の男子が言う。


「その分、そういう人はお茶買ってきてくれたり、お茶菓子になりそうなもの差し入れしてくれたりするけどね」


「おーい、まるで俺が差し入れしてないみたいに言うねえ」

「えー、それは被害妄想じゃありませんかぁ?」

「えー、そーですかねぇ、え?」


 卒業生は周囲を巻き込んでじゃれ合いを始めた。それを見て、ピアノごしに咳払いをする大山先生。


「そこ、ちゃんと輪になって、女子見習って」


 そう促された女子の側は、大きな楕円の三日月の半分といった形に並んでいる。テノールを中心に男子のほうはじゃれている集団があきらかに輪の乱れとなっている。


「はい、それじゃあ、まずは一歩ずつ隣の人と距離とって、ハミングから、もえぴーとワトソンは多喜くんのフォローしてあげて」


 そういわれて、早速両肩にそっと手を置かれる多喜。その肩のハーネスにふれて、ワトソンと呼ばれた卒業生は多喜の顔を覗き込んだ。


「このバンドって、つけっぱなしじゃないといけないとかルールあるの?」

「あ……ボディカム用のハーネスですから、今日は別に外しても大丈夫ですけど……完全に外しちゃうのはちょっと……笛とか警棒とか付いちゃってるんで」


「そっか……留め具だけでも外せるかな、けっこう体に密着させて吊るしてるでしょ、これだと体が締め付けられちゃってリラックスした状態で声が出ないから」


 そういわれて、多喜は少しためらったが、ハーネスの留め具を外した。だるん、と肩からずり落ちそうなほどにハーネスが緩む。


「うん、オッケー、じゃあ続けようか、まずハミングは鼻から声を出すんじゃなくて、鼻の後ろの項に音を当てることをイメージして――」


 そのようにして、約1時間ほどかけての基礎となる発声練習に多喜は混ざった。


 中学までの授業の合唱とは明らかに違う、丁寧に身体感覚へ意識を向けることに注力した発声練習だった。

 特に声色を揃えて音程の違う声を重ねることで倍音を体感する過程は、行進練習とはまた違った方向性で人との言語外の交流のようなものを感じられる貴重な機会といえた。

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