おうと君 - 1234年

　それは霧の向こうのように曖昧で、触れようとすると消えてしまう。ただ一つだけ確かなことがあるとすれば、僕は人としては生まれなかった。そして、何かが起きたのだ。従者たちは決して語ろうとはしないが、彼らの目に映る僕の姿は、きっと恐ろしいものなのだろう。

　誰よりもゆっくりと成長しながら、これから永遠に生きていくということ。それが祝福なのか呪いなのか、最初の十数年間は考える余裕すらなかった。血の施しを受けながら、太陽を避け、激化する迫害から逃れて果てしない夜の旅を続けるだけだった。

　最初の記憶は、穴倉の中で今にも消えそうなかがり火の側で、鉄臭いものを口にしたことだ。むき出しの梁は湿気ていて今にも腐り落ちそうだし、瀝青のようなものに満ちた石櫃からは悪臭が立ち込めている。それまであの中に僕がいたことは明らかだった。母は知らず、父は誰かが殺した。抱き上げられた手は華奢な女性のもので、黒くべたついている僕の体を水差しでちょろちょろと流しながら拭ってくれたのを覚えている。

　おそらく九歳になったときに初めて、日のもとを歩けない体であることに疑問を抱いた。放浪の生活こそ、僕にとっては当たり前のことだったが、行く先々で人々に出会うたびに、自らの異質さに気付かされる。畏怖や尊敬、ある種の神格化のようなものを従者にさえ向けてくるのである。確かに僕は祀り上げられていた。よそよそしく接してくる従者たちと親しいとは言えないだろう。あれこれ指示を出せば従順だが、日向ぼっこしてみたい、みたいな、暗黙に敷かれた一線を越えることはできない。従者は僕を守り、世話をする。しかし、彼らの献身的な態度の裏には、常に恐れや、欲が潜んでいるのだ。

「猊下、じきにピサへと先行させていた者どもと合流できます」

　僕の乗った御輿を見上げるようにして、従者の男が言った。

「うん」

　従者の言葉に頷きながら、更けた夜空の下でじっと押し黙って座っていた。僕を担ぐ４人は、悪路に苦戦しているらしい。ぬかるみから足を引き抜くたびに不快な音がする。ここまで海沿いは目立つからと道なき道を進んできたため、彼らは明らかに疲労していた。

「街でいくらか過ごした後、さらに南下します」

「北に行きたい」

「何をおっしゃいますか。我々は追われているのですよ」

　従者は、先ほど僕らの前を横切っただけの人を賊と断じて斬り殺した手で口元を隠しながら、ご冗談を、と笑うのだが、僕は笑えなかった。追われているのは僕ではなく彼らだし、いや、止める術を持たない僕も同罪なのかもしれないが。

　僕らの一行は潮の香りのする海岸沿いの街道へと出た。寝静まった街道とはいえ、人の気配に従者たちは警戒を強める。残されている轍を月明りを頼りに目で追い続けていると、彼らの足が止まった。

「しばしお待ちください。先行した者どもが迎えに参ります」

　従者の言葉通り、しばらくすると男たちが姿を現した。誰も斬りかからないところを見るに、仲間であるらしい。同士で短く言葉を交わしあうと、御輿を地に下ろした。

　僕は差し伸べられた手を取って立ち上がる。そのまま前にしゃがみ込んだ男の背中へと身を預けた。彼は知恵の回らぬ大男だ。立ち上がると、御輿とあまり変わらないくらいの高い視線になる。これは慣れた背中だった。彼からは強烈な血の匂いがし、僕が何度も噛みついた跡で首筋はぼろぼろだ。

「フリグス」

　その傷痕を指先でなぞった。さぞくすぐったかろうという僕の悪戯に彼は応じる。

「お、お……」

「北へ行くぞ。走れ」

「う、おぉ」

「この者をあまりからかわないでください」

　僕のお願いは、方角など知らない彼の知能だけでなく別の従者によっても遮られた。

　先行していた者たちが道を示し、数人ずつに分かれて街の中へと忍び込むように進んでいった。道はいつしか石畳に変わっている。フリグスは何度も注意されながら、足音を殺して進んでいく。白大理石で美観を誇るような建物は避けて通り、漆喰の壁ばかりを探すように狭い路地に入ると、生暖かい風が吹き抜けて、魚の腐った匂いがした。

「こちらが宿にございます」

　先導が立ち止まって小声で告げた。簡素な作りの平屋だった。かわいい窓が路地に面している。中に入ると、やせ細った男の死体が出迎えてくれた。首筋からたくさん血を流したのだろう。服が真っ黒だった。降ろされた僕は大きく伸びをする。蝋燭の灯りを頼りに椅子を探して腰掛けると、僕から解放されたフリグスが死体を担ぎ上げて家から出て行った。それとすれ違いに他の従者たちも入ってくる。彼らは手際よく荷物を運び入れ、来たる夜明けに備えて窓に厚手の布を幾重にも重ねて吊るしていく。フリグスと僕を含めて五人が一緒だった。他の従者たちもそれぞれの民家を宿として使っているようだ。

「猊下、少しお休みになられては」

　年老いた従者の一人が僕に声をかけてきた。

「いや、大丈夫」

「しかし、ここまでの道中でお疲れのことでしょう」

「僕は疲れない。座っていただけだ」

　従者は一瞬困ったような表情を浮かべ、すぐに恭しく頭を下げた。

「では、血を拝呈いたしましょう」

　別の従者が申し出る。

「いらない」

「斬り捨てた賊のものでは足りなかったでしょうに」

「平気」

　彼は素直に引き下がったが、その動作には明らかな失望が滲んでいた。彼らは僕の言葉に首を傾げ、お互いに目配せを交わしている。きっと、僕が普段以上に寡黙なことを不審に思っているのだろう。かといって、話したところで何になるというのか。

「フリグス、乗せて」

　戻ってきたところ呼び止める。のそのそと歩いてきて、ひざまずいて背中を見せる彼に乗ると、僕は部屋の中をぐるぐる回らせた。そして、首筋のかぷりと嚙みついた。

「お……お……」

　フリグスは倦怠感を感じたのか、少しふらつく。珍しいことだった。歩き続けてきたから流石に疲れているのだろう。僕は早々に切り上げると、彼から降りたのだった。

「猊下、次に月が隠れた時に街を離れましょう」

「なぜ逃げる？」

「それは……我々は追われているのですから」

「誰に？」

　従者は困ったように眉を寄せる。彼らの判断で行く先々で、見知らぬ人を殺しながら、また逃げ出す。いつまで繰り返せばいいのか、いい加減うんざりする。

「お前たちは何のために僕に従っているの？」

　部屋の中が静まり返った。皆が困惑したようにこちらを見、何かを言いかけてはやめてしまう。

「それは、猊下は……我々の……」

　誰も続きを言えないようだ。彼らの目には恐れと慈しみと得体のしれない欲望のようなものがある。僕はそれらの視線に押しつぶされそうになる。

「何を求めているの？」

「我々は、ただ猊下にお仕えするのみです。理由など必要でしょうか？　永遠の生を得た特別なお方であるからこそ、我々がお守りし、お仕えすべきなのです」

「知らないことばかりだ」

　それっきり会話は途切れる。彼らは目を伏せ、まるで答えを知っているのに口にすることを恐れているかのようだった。沈黙が空気を重苦しくし、僕は窓際によって外を覗き見た。静けさの中、月明りで路地が照らされている。先の従者の言葉からして、僕は永遠に理解し合えない関係性の中で生きていくことになるのだろう。従者たちは僕を守り、世話をしてくれるけれども、その奉仕の裏にある一定の距離について、彼らは決して僕を他者としては見ず、棚の上に飾られた人形として解している。

　思うほど、胸に瀝青が満ちていくようだった。

　数日が過ぎた。昼の街は商人たちが行き交い、とても賑やかなのだそうだが、僕には見る術もなかった。外には出れないし、夜になれば石畳を歩く者はまばらなので、窓の布をめくって覗いてもあまり面白みがない。せいぜい耳を澄ませて、商いの跡片付けの音を聞いてみようとするくらいだ。従者たちは交代で外の様子を伺って、僕の身を清めようとする。その世話も退屈で仕方がないのである。

　寝台に横たわったまま、天井の梁を眺めていた。従者たちは本来通りの生活に戻りつつあり、部屋が彼らの寝息に満ちている。玄関ドアの前で控えている者さえ、居眠りをしている始末だ。そして、フリグスのいびきがうるさすぎる。

　僕はそっと立ち上がった。誰も気づかない。窓際まで忍び足で近づき、布をめくりあげて外を覗いた。今宵は月が高い。通りのすぐ向かいの家も、窓が布で塞がれている。人は歩いていないようだった。僕は音を立てないように玄関ドアを開けた。冷たい風が少し吹き込んできて、居眠り従者の前髪を揺らした。が、起きることはなかった。僕は家の外に出ることに成功したのだった。

　夜の街は静まり返っているようでいて、実はいろんな音が聞こえてくる。猫の声、ネズミの走る音、やけに響く誰かの咳払い……。隠れながら、迷路のように入り組んだ路地を思うままに進んだ先で、灯りの漏れている建物をいくつか見つけた。夜更かしをしている人だっているだろう。その中でも、ひときわ綺麗な家屋があった。壁は磨かれたばかりの石材であり、装飾こそ控えめだが作りの良い窓が付いている。

　中を覗き込むと、仕立てのいい寝間着に身を包んだ老人が部屋の真ん中でぽつんと椅子に座っている様子が見えた。彼は夢想でもしているのか、目を瞑ったまま少し上を向き、片手で突き出した顎をつまんでいる。もう片方の手の平を宙で揉むように動かしている。

　なんだか面白くなってその様子を眺めていると、急に彼がぎょろりと目を見開き、視線同士がぶつかった。

　彼は、きっと僕の存在に気付いただろうにも関わらず、すぐには窓に近寄っては来なかった。むしろ、立ち上がるとよろよろと部屋の中を歩き始めたのだ。杖も無しに歩く様子を見ると、まだ足腰は達者なようだ。彼は何かを書くみたいに指先を動かしながら、白髪を握ったり離したりし、時折立ち止まっては何かを呟いている。こちらのことが見えていないのではないかと思い、僕はそっと窓をノックしてみた。一瞬こっちを見たような気がしたが、それでも動じないのでもう少し強く窓を叩く。やっぱり無視するので、割れても仕方がないくらいの勢いで叩きまくった。

「うるっさいわ！」と老人は叫んだ。

　僕はびくっとして手を止めたが、彼は怒鳴り散らさんとこちらに向かってくる。こんな真夜中に迷惑だろうと思って、僕はジェスチャーでなんとか気持ちを収めてもらうように努めた。口の前に指を立てて、さらに空が暗いことをアピールする。

　怒りの表情のまま止まらず近づいてきた彼は、裏腹にそうっと窓を開ける。

「子どもが、こんな時間に何をしている？　まったく、せっかくの思考が途切れてしまっただろう。さっさと帰れ。子どもも大人も寝る時間だ」

「僕は夜の人だから」

「夜の人だと！　馬鹿なことを言いなさんな。本当にそうだとしたら、突き出してやったっていいんだぞ。帰り道が分からないって言うんだったら教えてやるし、その前にここはまっすぐな一本道だがな。いや、あっちのほうは入り組みまくってるから、わしにもよく分からんけれど、お前さんの恰好を見るにいいとこの坊ちゃんだろう。だからこそ忠告しとくがな、夜の人なんてもう一度言ってみろ、誰かに聞かれたら大変だぞ？　それがどうして分からんものかよ。お前さん、今、わしだって寝る時間じゃないかとか失礼なことを考えているふうに見える。いいか、わしら老人は、長く寝れてもせいぜい四時間なのだ。日の出頃にベッドに入ることでしか、良き睡眠は得られぬ。若かりし日にこそ、この能力は欲しかったものだ。数（すう）の世界に身を投じるために削った睡眠時間が、もっと少なくなるということなのだから。単純な数（すう）の問題だが、わかるかね？」

　毒気の強かった語気が、だんだんと早口でまくし立てるようなものになり、僕は最後の質問の意味が理解できないまま首を振った。

　彼は憐れむような顔になって、ぶつくさと文句を言いながらも玄関へと僕を誘導して部屋に招き入れた。座れと指定された椅子は背の高いもので、僕の足は宙ぶらりんだった。

「で、お前さんは誰だ」

「僕は……」

　名乗ろうとして、ふと躊躇った。すると彼は意外にも、少し愉快そうに笑ったので、歯の抜けた口元が見えた。

「まあいい。どうせろくな名前でもあるまい。わしだってレオで十分だ。本当に夜の人であるならば、もっとろくでもない名前が必要になるだろう。排泄物……小便……ウンチ……いや、これは流石に拙いな……吐瀉物くらいならちょうどいい塩梅かもしれぬ。であれば、嘔吐なんかお前さんにぴったりじゃないか？」

「え、あ、はい」

　レオ爺さんは酷いことを僕に言っているのだが、不思議と悪意は感じなかった。

「さて、わしは数への思索に戻る。お前さんは気のすむまでそこで足をぶらぶらさせていたまえ。邪魔をするなよ、ここはわしが一人で数と向き合うための部屋、そのために拵えた家だから、たとえ助けを呼んでも誰も来ないぞ。高所得老人の最後の趣味に付き合わされる哀れな子どもよ」

　彼は最初に見たときみたいに椅子に座って目を瞑った。外からでは分からなかったが、呼気と同時に何らかの言葉を発しているようだった。何もせずにじっと見ているとこちらの頭がおかしくなりそうだった。

　僕は椅子から降りて、壁際の机に散らばった羊皮紙の山を眺めてみることにした。謎の記号がたくさん書かれていることから察するに、レオ爺さんは気が狂っている。

「これは何？」

　僕が問うと、彼は一瞬むっとした表情を見せたが、すぐにため息を吐いて立ち上がった。こちらに来て、羊皮紙を漁り、下の方から一枚引っ張り出して謎の文字を指差す。

「見れば分からんか？　数字だ。この愚かな地ではまだ一般的ではない、というか、わしの書さえ読めん連中にこれはまだ早すぎるのかもしれん。知ってるやつは推してくれてるんだがね」

　彼は不満げに文字について説明を始めた。１から９までの数字と、何もない状態を表す０という記号についてである。これらを組み合わせれば、どんな数でも表すことができるのだという。

「石畳がいくつあるのかも？」

「ふん。大して難しい問題でもなかろうて」

「よく数えてみるけど、永遠に続くみたいに感じる。それを表せる？」

「永遠とな。ふむ、面白い。永遠に続くものはたくさんあると思わないか。うさぎの一生は短いが、うさぎ全体としてみれば永遠に続いていくのだろう。それが分かる。実にシンプルな問題なのだ。つがいのうさぎがいて、これが二ヶ月目から子を産む。そして生まれた子うさぎも成長し、また二ヶ月目から同じように子を産む。待て、ちゃんと聞け。ここが重要だ。毎月生むのだ。毎月だぞ？　現実にそんなことがあるのか気になるみたいな顔をしていやがるな、そこは些末な問題なのだ。大事なことはだね……いいかね、最初の月は一つがい、次もまだ一つがい。ここまでは簡単だ。だが三ヶ月目だ！　ここから面白くなってくる。最初のつがいが子を産むだろう。すると二つがいになる。四ヶ月目はどうなる？ ここで計算方法が役立つのだ。黒海の商人どもに教えてやったこともあるが、まったく理解が遅い。お前さんなら少しは分かるだろうか？　子どもは何でもすぐに習得できるものだし、余計なことまで知らんうちに覚えてくるものだ」

　レオ爺さんは羽ペンにインクを付け、時折白髪を握りながら、震える手つきで数字というものを書き並べ始めた。

「これとこれは？」

「１だ」

「こっちとこっちにもある」

「それは１３と２１。どうだ、完璧にうさぎの数が書き記されている。そして、この配列の姿に、どうしてお前さんはうっとりしないのか？　美、あるいは神秘をこの数に感じないのだろうか？　うさぎの繫栄は永遠だ。それはこの数字で表すことができている。実際全部書き記すなんていうのには、わしの寿命が足りんがね。夜の人ならば可能だろうな。彼らは先に取っ捕まって燃やされないかどうかを心配した方がいいと思うけれど、まあ、わしには関係ないことだ。そう、わしには関係ないこと……」彼は僕を一瞥して言葉を続けた。「この神秘は、いろいろなところで見つかるだろう。ひまわりの種の並びでも、松ぼっくりのうろこの渦でもな」

「ひまわり？」

「ひまわりも知らんのか！　うん、そうなのかもしれん。南の方の花でな、首が太陽を追いかけてくるくると回る。夜の人にそんなことを話しても仕方のないことだがね、あるいはそういう連中にこそ、この神秘性を理解できるのかもしれんか。血を飲み永遠の若さを保つという連中の言い分が本当であるなら、わしよりも随分と多くこの数の配列を目にすることになるだろう。今からわしが連中になるというのは、ちょっときついものがあるがね。日の出から日没まで何時間あると思っている？　永遠に四時間しか寝られない夜の人など、さっさと灰になった方がよかろうて。待て、待て、話が逸れた。とにかくだな、この数の配列の中には、もっともっと面白いものが隠れているはずなのだ」

　レオ爺さんはよたよたと机の向こうまで歩いて行った。羊皮紙を引きずり出して広げ、そこに描かれた渦のような図を僕に見せる。

「夜の人は太陽を見られない。だが、これがひまわりの姿だ。見てみろ、この渦を。ここにうさぎの繁栄が現れてくる。これは、神が刻んだ数なのだ。この地にも、お前さんの故郷にも、どこにでもある。きっと神は見ておられるのだろう。わしのような人間は、こういう事実にこそ興奮してしまうのだよ。商人の数でも、神学者の数でもない、世界の数である。夜の人にも昼の人にも、等しく与えられた真実。ともすれば、神は夜の人にこそ遺したかったのかもしれぬ」

　僕はその渦を見つめた。ぐるぐると、まるで永遠に続くことを象徴するみたいに、中心から外へと広がっていく。

「しかし」レオ爺さんは急に口調を変えた。「この渦には終わりがある。ひまわりだっていつかは枯れるだろう。うさぎだって死ぬし、殺し尽くせばいなくなる。わしだってな。これを無限に書き続けることはできない。だが、お前さん、いや、夜の人ならどうだろうか。それは呪いか？　祝福か？」

　彼は僕の顔を覗き込んできた。その目は鋭く、まるで僕の永遠を見透かすかのように光っている。

「僕は……」

　レオ爺さんが羊皮紙を巻き上げて、また新しい紙を広げる。それは既にいくつものスケッチが描かれていた。それでも構わず羽ペンを振り上げて袖を捲り上げると、大きく長方形を描き始める。

「よい。答えなくともな。わしは数を愛する高所得老人だ。数さえ分かれば他のことはどうでもいい。お前さんが誰であろうと、この数列の美しさは変わらないのだ。見るがいい。この比率こそ神が世界に刻んだ完全な調和である。この数列から生まれる比率が、どこまでも同じ姿を作り出していく。建築家たちは柱を立てるときにこの比を用いる。まあ、連中にとっては暗中模索でたどり着いたいい感じのやり方だと思っているだけだろう。その背後にある真実に、神の刻印に気付いちゃいない。このスケッチを見よ、貝殻を見よ、木の枝を見よ。みな同じ数に従っている」

　彼は長方形の中に線を引き、どんどん分割していく。老人の震える手つきとは思えない正確さで、同じような形がどんどん生まれていく。

「見よ、見よ。この小さな矩形と大きな矩形の関係が、またここに現れる。そしてここにも。永遠に繰り返される。アラビアの賢者たちは、神の意志を見た。でもな、これを理解するものは彼らと、わしと、新たに一人増えたお前さんくらいのものだろう。商人たちは利益利益と喚き散らし、十字軍や修道士たちときたらこんな研究は異端の業だと責め立てる。もし、お前さんが永遠を手にしているのならば」

「違う。きっと僕は、ひまわりと同じ」

　太陽に焼かれれば死ぬ。そういう運命だ。

「それじゃあ、途方もないとでも言い換えるかね？　ともあれ、これは比喩ではないぞ。わしは噂を聞いている。この街道を北から抜けて、シチリアを目指して逃避行をする者たち……彼らが道中で何をしでかしているのかも、ある程度は想像がつく。彼らは夜の人などではない！　お前さんが途方もなく生きるのならば、きっと、退屈、あるいは果てしない闇の中を彷徨うということなのかもしれぬ。しかし、この数の配列を見よ。見よ！　永遠に続くものなれども、決して闇ではないだろう。そんなものにわしが夢中になるはずがないのだ。むしろ光である……ああ、そうだ、ひまわりのように」彼は目を細める。「不思議だとは思わないかね。それは闇の中でも次の光を信じている。お前さんにはそれが見えなくても、世界はその法則の上で回り続ける。うさぎの繁栄が、真実として美しく確かである。これを理解することは、闇の中で光を待つことに似ているのかもしれぬ」

　僕は黙って聞いていた。レオ爺さんの言葉は、時に支離滅裂で、皮肉に満ちていて、それで妙に心に染みた。僕は永遠に生きる。永遠に太陽の下で空を見上げることは叶わない。でも、彼の語る数の世界は、光も闇も超えて存在している。

「お前さんはどうやって生きていくのだ？」

「わからない」

「これからの途方もない退屈をどう過ごすのだ？　お前さんに分からんのなら、わしに分かろうはずもない。分からんが、この数のようにどこまでも続く何かを見つければいい。ひまわりは太陽を追う。わしは数を追う。お前さんは……」

　レオ爺さんは言葉を切った。まくし立てて疲れたのか、ふらふらと椅子に戻る。

僕は机に散らばった羊皮紙をもう一度覗き込んだ。彼の震える手で描かれた図が、まるで僕について描かれているみたいに思えた。

「僕はひまわりになりたい。わがままかな？」

「わがままかどうかは知らんがね、悪くは無いだろう。いいかね、あの数列のように完全なものは、黄金のように錆びることなく、それ自体が永遠なのだ。大切なことは、わし自身がその意味を見出したということだ。待て、待て、わしが数の配列を発見したということではない。黄金の話だ！　分かるだろう？　ただそこにあるだけのものを、わしが意味あるものとして掬い上げた。しかし、すべてのものがそうではないか？　信仰とは、そうあるべきなのではないか？　形を変えながらも、その本質は失われぬ。太陽は沈んでもまた昇る。花は枯れても、種が新しい命を育む。これらはすべて、神が定めた完全性による調和である。お前さんはな、永遠の中で暗く深いところに沈んでいくのかもしれん。だが、それこそ間違った行いなのだ。光を追い求め続けるべきだ。持て余す時間を使って、刻印を探すべきだ。……追えばよかろう。ひまわりのように、太陽を」

　レオ爺さんは僕の方を向いて、優しく微笑んでいた。

　きっと、僕は嘔吐した。吐瀉物は瀝青であった。

　熱くてぼやけた目を擦って、鼻をすすって、どういうわけか、口角を上げずにはいられなかった。

「レオ爺さん」僕は決意を込めて言った。「僕も、数の世界を学びたい」

「ほう？　だが、わしにはそう長い時間は残されておらんとおもうがな」

「それでもいいんだ。僕には時間がたくさんあるんでしょう？　それこそ無限に……爺さんの教えを、ずっと先まで持っていけるさ」

「なるほど、それは良い考えだ。ではまず、数を読むところから始めなくてはな。どれ、今そっちへ行こう」

　月の光が窓から差し込み、机の上の羊皮紙を柔らかく照らしていた。僕は小さな体を乗り出して、彼の説明に耳を傾けた。これこそが、新しい夜の始まりだったのだ。