第9話 老愛
今日は雲ひとつない晴天だ。暖かく、それでいて湿っけのない風が吹いている。長椅子に座り風に揺れる蛇腹傘の骨を見ている。手を長椅子の角にかざすと、あるはずのない団子が現れる。冥界の福利厚生とでも言おうか。串から一玉の団子を口でちぎる。柔らかく、微かに柏の香りがする。
トス..トス…
左を見ると遠くからまた一人の魂が来たようだ。近頃は事故死が多発していて、こちらも参りそうだ。
こちらにのそのそと歩いて来る彼は小太りで、つば付きのベレー帽は少し毛羽立っている。茶色いチェック柄のセーターからは襟が出ていている。黒く緩いズボンを腰高くまであげて、足元には緩んだ革靴を履いている。
四角い眼鏡をかけたその人は穏やかな表情で、横目で花を見ながらこちらに気づいたら。
ほんの小さいお辞儀をして、こちらに歩み寄ってくる。今回は雰囲気穏やかな人で安堵する。
『こんにちは』
「こんにちは」
『ここは素晴らしい。古今東西の花が咲いていて、まるで楽園だなぁこりゃ』
ふくよかな目尻にシワができる。
『まさか死後の世界がここまで色鮮やかだとはね、もっと冷徹な物かと思っていたよ』
「ありがとうございます、では早速ですが手続きを。」
『あ、あぁすまないね!ほら俺、お喋りが好きだから。いやぁお兄さんもいい格好してるねぇ。スリーピースの真っ黒スーツ、ここにお店でもあるのかい』
「こちらは制服、支給品のようなものです。」
『へぇ〜、かっこいいじゃん。あ、ごめんね、えっと』
ポケットをまさぐって紙を取り出すと両手で持って丁寧に渡す。
『はぁい、どうぞぉ』
「ありがとうございます」
笑い混じりに紙を受け取る。
高橋茂、没時満85歳。病死。
何処かで見た気がする名前だ。
『それさ、俺の事ぁ書いてあるんだろ?いやぁ小っ恥ずかしいな!ハハッ!』
「高橋茂さんですね、病死ですか。」
『そうそう、そうなんだよ。ガンになっちまってよ、でもほら病院嫌いだからさ。ほっといたらポックリ逝っちまったよ』
『いやぁ、女房にゃ悪い事したなぁ、ま!あいつなら一人で生きていけるさ!俺が死んでも寂しさなんてねぇだろうなぁ』
「すいません、差し支えなければ奥様のお名前を教えて頂けますか?」
『なんだぃ急に、きょーこ!響子ちゃんっていうんだ、綺麗な名前だろ。もちろんビジュアルも綺麗なんだよこれが』
高橋響子…
「その、響子さんとはバイク仲間で知り合ったのですか?」
茂さんは目を丸くした。
『お、お前響子の事知ってんのか!!』
両手を強く肩を掴まれる。しかし顔は笑顔のままだ。
「えっっはい、その、随分前に響子さんの手続きをさせて頂きました」
『で?で!?響子は何か言ってたか?』
食い気味に話を続ける
「えっと…….旦那様をぶっ叩きに行くと仰っていました。」
『ダァアッハッハッハッハ!!!さすが響子ちゃん!死んでも強い女だ!でもあれなんだな、俺が先に死んだってのにはあっちが先に行っちゃったのかい』
「そうですね、ここでは時間の流れが常世とは違っているので。」
『そうか、そうか。もっと俺についてなんか言ってなかったか?』
「そうですね…旦那様がいない人生は寂しかったと」
『えぇ??聞き間違いじゃねぇか兄ちゃん』
『…そうかぁ、寂しい思いさせちまったか、こりゃシバかれるな』
響子さんは原罪が多かったようで、少しお話聞かせて頂けませんか?
『原罪ぃ?あいつまさか一人で行ったのか、おっかねぇな』
「と言うと?」
『俺たちはさ、二人でバイク集団の頭張ってたんだよ。日本が合わねぇってだけで、テキサスの郊外で走ってたんだ。そうしたら現地のよう分からんギャングに喧嘩吹っかけられちまって、俺ぁ喧嘩は苦手だからよ、響子連れてしっぽ巻いて逃げたんだよ。』
「壮絶ですね」
『だろぅ?でよ、仲間数人やられてよ、でもあっちの奴らもやっちまったみてぇで、目付けられたんだ。そんな忙しい時に俺ちゃん急に変な所痛くなってよ。病院いったらガン言われてさ。』
「それで治療しなかったんですね」
『所詮は郊外の掃き溜めに住んでる身ださ、金もねぇし、そんな所で寝てたら殺されちまうよ。他の患者だって危ねぇ。』
『でもガタが来た身体じゃぁ耐えらんなかった。家のソファで寝て、気づいたらここにいた。冗談で言った遺言がまさかマジになるとはな』
「それで貴方様が亡くなられた後に響子さんは」
『一人でカチコミ行ったんだろうな、男の俺より肝が据わってらぁ』
『俺よ、最後までどうしようも無い奴だったよ。愛を行動にした事なんて記憶にねぇ、花も送った事ねぇ、響子を砂ぼこりの無い所で寝かせられた事もねぇ』
『それでも、バイクありゃあいつは満足なのかと思ってたんだ俺は』
両手をポケットに入れて道の先を見つめる。
『俺居ないと寂しいかぁ、もっと早く気付いてやれば良かったな』
「今からでも遅くはありませんよ、響子さんは8号線を終えて既に浄土へ向かわれました。あちらで相見えるかもしれませんね。」
『そうか…それなら安心だな!なぁ兄ちゃん』
「わかっています」
道半ばから鳴る重苦しいエンジン音。銀色のボディに伸びたハンドルが勇ましい。
その鉄の馬のようなバイクは彼の真横に止まった。
茂さんは慣れた手つきで跨る。
『見てくれ、いいチョッパーだろ。すげぇなぁ、俺のカスタムそのままだ。最後のドライブありがとうな兄ちゃん』
「彼女に会ったらよろしく言っておいてください。」
『おうよ!兄ちゃんも良く休んで、よく働けよ!』
ハンドルを回すと地面が揺れ動くような重い音が唸る。太陽に反射する鉄の塊は霧を抜けた後も暫く光り輝いていた。
奪衣(仮) 孔雀と煙 @Kujaku-kemuri
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