第5話

 いつものように、俺とナズナは屋上で昼食を共にしていた。すでに、この状況は当たり前のことになりつつあった。手作りの弁当を食べながら、他愛のない会話を交わす。それが俺たちの日課になっていた。


 ナズナは当然のことのように、俺の隣に座っていた。その距離が近いことにも、もはや慣れてきていた気がする。

 俺は、給水室の壁に背を預けながら、彼女の作った弁当を食べていた。今日も趣向を凝らした料理の数々。特に目を引いたのは、ゴールデンブラウンに揚がった唐揚げ。


 俺はその唐揚げを箸でつまんで口に入れた。


「これはうまいな。」


 思わず声が漏れる。外はカラッと揚がり、中はジューシー。何より、スパイスの香りが食欲をそそった。


「そうですか!そうですよね、先輩。実は、今日の唐揚げには特別な仕込みをしたんです。」


 ナズナの声が弾む。料理の話になると、ナズナ様の解説が入るのだ。


「いつもの唐揚げよりも美味いぞ。」


 俺は、素直な感想を述べた。うま味が濃縮されている。これはうまい。


「それは良かったです!なにしろ、この味付けは、私の特別製ですから。」

「そうか、そうなのか。」


 素晴らしい、と俺は思った。


「その唐揚げはですね、一昨日から下味を付けておいたんです。下味であるスパイスは大事なんですけど。でも、油も重要なんですよ。」


 目を輝かせながら説明するナズナを見ていると、なんだか微笑ましくなる。普段の明るさとは違う、真剣な表情がそこにはあった。


「へえ、そこまでやるのか。」


 たぶん、ナズナは料理が好きなんだろう。いやでも、その屈託のない笑顔を見ていると、こちらまで温かい気持ちになった。


「ほら、この大根の甘酢漬けも食べてください。油モノを食べたらこっちも食べないと。」


 箸で小さく刻まれた大根の甘酢漬けを指す。確かに、さっぱりとした味わいが油っこさを消してくれそうだ。


「お前、本当に料理上手だよな。」

「そんなことないですよぉ。でも、先輩がそう言ってくれるの、すごく嬉しいです。」


 照れくさそうに髪をかきあげるナズナ。そこには自然な可愛らしさがあった。


 こうして二人で昼食を共にする時間。もはや、今では俺の大切な日常と化している。

 この彼女と過ごしている時間では、遠くから聞こえる部活動の声も、心地よいBGMのように感じられるのだ。


「ふーむ。」


 俺が完食して、満足げな昼休みを過ごしていた。

 さて、これからは、ナズナと他愛もない会話フェーズへと入っていくのがいつもの流れ…。


「この青い空に、あの雲が…。」

「あっ!先輩。そういえば、先輩。図書室での資料の話、覚えていますか?」


 俺の話は、彼女に完全無視された。


「ああ、あの変な本か。」


 俺は頷きながら答えた。確かにあの本は奇妙だった。古い絵の中なのに、現代的なセーラー服の少女が描かれていて、それでいて真面目な資料のような体裁を取っていた。あの本のことは、まだ俺の中でも謎のままだった。


「それで、私は考えました。」

「うん。」

「この学校の校庭にある、祠についてです!」

「うん?」

「祠と神社。きっと、あの祠は神社と関係があるに違いありません!」

「うん???」


 あまり、話にはついていけていなかったが。

 ナズナの声には、どこかワクワク感というものがあった。


「あまり、よく分かっていないようですね、先輩。」

「うん?ああ?まあ。」


 よく分からないが、そう生返事だけする。


「そもそも、先輩は校庭の隅にある祠、知っていますか?」

「ああ、知ってる。あの呪われるやつだろ。」


 確かに校庭の隅には、小さな祠があった。俺が新入生のころに聞いた話。

 いや、正確には教室で話されているのを盗み聞いた話だ。


 なにせ、同じ教室にバカでかい声で会話しているやつがいたのだ。


 怪談ってそんな、おおっぱらに話すものなの?


 …って、当時の俺は思ったけれど。


 まあ、とにかく、そいつの話を盗み聞いた俺は祠について知ることになったのだ。


 だから、俺は知っていた。

 この学校の校庭の隅にある祠に近づくと、失踪するとか、呪われる。


 馬鹿げている。

 そんな危険なものが学校の校庭に放置されているはずもない。

 ただ、一つだけ言うならば、学校の七不思議という観点からは、妥当な内容の怪談だな、とは思う。


「えっと、その祠なんですけど…。私、青白い光を見たって噂を聞いたことあるんです。」

「はぁ?青白い光?」


 俺は思わず聞き返した。そんな噂は初耳だった。


「そうなんです。なにかあると、その祠から光が漏れることもあるらしいですよ!」


 ナズナの目が輝きを増していく。なんだか楽しそうな様子だった。

 やっぱり、彼女はオカルトが好きなんだろうなぁ、と思った。


「でも、そんなの、ただの噂だろ?」


 俺の答えに、ナズナはまるで待っていたとばかりに、話を続けた。


「ふふ!先輩?違うんですよ!図書室で見つけた資料と、この祠って、なにか関係があると思いませんか?」


 ナズナの推理は、俺の予想もしない方向へと進んでいった。


「あの絵に描かれていた神社は、間違いなくあったんです。だから、今も祠が残っている。」

「うん。」

「神社の一部が祠になった。あるいは、祠が神社の一部で、残っている。そう考えるのは自然ですよね?」

「うーん。」


 俺が、そのナズナの適当な推理について考察を進めようとしたとき。

 昼休みが終わるチャイムが鳴った。


「ああっ、もう時間ですね。じゃあ、先輩!明日、一緒に見に行きましょう!」

「まあ…いいけど。」


 結局、そう答えていた俺がいた。断るという選択肢は、どこかに消えていた。



 次の日。

 幸いなことに天気が晴れていて、快晴だ。


 ああ、晴れてよかった。


 なんて、ナズナ様のお言葉を頂きながら、屋上にいた俺とナズナはいつものように、唐揚げなどの手作り弁当を食した後…。

 約束通り、俺とナズナは昼休みに校庭の隅にある祠へと向かうことになったのだ。


 普段なら気にも留めない場所。校庭の隅にある、そこには確かに小さな祠が建っていた。


 周囲には人がいない。

 やはり、迷信深い生徒しか、この学校にはいないのだろうか?

 呪いの祠なんて、見に行ってもおかしくないと思うのだが。

 俺には分からなかった。


 隣にいるナズナは、ニコニコとしている。

 おいおい、呪いの祠の話を信じていないのか?

 

 …俺は信じてないけど。


 そんな感じで、二人で祠に近づいていく。


「あ、ここですね。」

「そうだな。」


 適当に答える、俺。周囲を改めて見ると、意外とその存在感の大きさに気がつく。

 確かに小さな祠なのだが、石造りのごつごつした感じが厳かな印象を与えている。


 ナズナが祠の前で立ち止まった。


「これ、長い間掃除されていないんですね。落ち葉とかがたくさん積もってる…。」

 

 感傷に満ちた、ナズナの声。


 確かに落ち葉が積み重なっているし、周辺には校庭から飛んできたのか、こまごまとしたゴミも散らばっていた。

 祠全体が少し汚れているように見えた。


 ナズナが優しいからだろう。この放置されている祠を見て、悲しくなったらしい。


 まあ、呪いの祠だし、しょうがないのかな?

 誰も、ここへ近寄ろうとすらもしていないし。


「そういえば、誰も掃除してないよな。」


 俺は当たり前のように言ったのだが、ナズナの表情がさらに曇った気がした。


「先輩、このままじゃダメですよ。私…。」

「ああ、なら…。今日の放課後にでも掃除するか?」


 思わず口にした提案だった。自分でも意外だったけれど。

 ただそれは、ナズナのその感傷的な表情があまりにも可哀そうだったからだ。


「本当ですか?」


 ナズナの目がぱっと輝いた。その表情は、まるで俺のその言葉を待っていたかのように嬉しそうだった。


「ああ。そんな大したことじゃないだろ。」

「先輩…!」


 なんだか、思った以上に喜んでくれているようだ。


 放課後、掃除をすることになった祠。

 隣にいるナズナは、何か掃除とか好きなのかもしれない。

 やる気満々という感じだった。


 …呪いの祠だけど。


 いや、まあ、いいか。

 俺は適当に考えるのを止めた。結局のところ、この状況も悪くはないと思えたからだ。



 放課後の校庭には、いつものように部活動をしている生徒たちの元気すぎる掛け声が聞こえる。

 帰宅部の俺からすれば、なんでそんなもんを彼らがやっているのか…。俺には全く理解できなかったが。


 まあ、とにかく…。

 そんな活気のある校庭の片隅に、俺とナズナがいた。

 もちろん、これから祠へと向かうのだ。


 掃除をするために…。


 その掃除道具は、校庭の片隅にあるプレハブ小屋から、勝手に借りてきたものだ。

 確かにナズナの言うとおりに、その小屋の中には、体育用具や掃除道具が雑然と置かれていた。その小屋の存在を、ナズナは知っていたらしい。俺にとってはただの謎の建物でしかなかったが。

 もちろん、用意周到な俺は、その小屋にあったゴミ袋も勝手に持ってきていた。


「では、始めましょう!」


 ナズナの声は、どこか嬉しそうだった。


 俺たちは掃除を始めた。

 ああ、これから俺とナズナは…。この祠の近くの落ち葉をひたすら、箒で掃いていくのだ。


「落ち葉、すごいな。」


 俺は呟いた。


 実際に履き始めてみると、分かった。

 本当にたくさんの落ち葉が積もっていたことに。

 落ち葉を掃いていくと、次々と新しい落ち葉が現れる。まるで終わりがないかのようだった。


 ああ、面倒くさいなぁ。

 

 俺は、そう思いながら、なんとなく手を動かしていたが。

 しかし、ナズナはどこか楽しそうに箒を使っていた。


 彼女の仕草には無駄がなく、まるでこれが日課であるかのような自然さがあった。背筋を伸ばして、きびきびとした様子で掃除をする彼女は、まるでこの祠の管理者のように見えた。

  

 …まあ、制服姿なのが、ナズナの立場を物語っているのだけれど。


「先輩、こっちもお願いします!」


 箒を片手にナズナが指さす方向には、小さなゴミが転がっていた。

 いったい、どこから飛んできたのやら…。


 ポテチっぽいお菓子の袋から、空き缶などなどがチラホラと。


「ああ。分かった。」


 そういって、俺は落ち葉を掃き。ゴミを回収する。


 そうしていると、時折、風が吹き、落ち葉が舞う。それをまた掃いていく。


 正直、俺はもう飽きてきていた。…ああ、もうやめたい。


 それでも、ナズナはまったく疲れを見せない。むしろ楽しんでいるようにも見えた。


「こうやって、一緒に何かするの、楽しいですね!」


 ナズナの声には純粋な喜びが溢れていた。


「ああ。」


 かろうじて、俺はそれだけ答えた。


 そのまま、俺とナズナは延々と掃除を続けた。


 そして、そのまま時間をかけて掃除を続けた結果。


 小さな祠は見違えるほど綺麗となった。

 周囲に散らばっていた、落ち葉や小さなゴミが片づけられた、本来の姿を取り戻したように見える。

 祠は、どこか厳かな存在感すら感じた。


「よかった…。」


 思わず耳を澄ませてしまうような、ナズナの呟くかのような声。まるで誰かに聞かせるわけでもなく、自分自身に言い聞かせるような、そんな声色だった。

 その表情には、単なる満足感とは違う何かがあるような気がした。


「ナズナ?」


 俺が声をかけると、ナズナは心なしか表情をやわらかくした。


「えへへ。先輩。今日はありがとうございました。」


 彼女は笑顔を見せながら、手にしていた箒をそっと持ち直す。ナズナはゴミ袋も片手に持って、校舎の方を見た。俺たちが使っていた掃除道具は、元の場所に戻さないといけない。


 その掃除道具のあったプレハブ小屋へと、互いに掃除道具を手分けして持って歩いていった。

 ナズナを先導に、俺も黙って手伝った。

 薄暗い小屋の中で、掃除道具を元の場所に戻していく。

 埃っぽい空気の中へと掃除道具を詰め込み、ようやく片付け終えた時、だった。


「あ、そうだ!先輩、私、ちょっとこれから用事があって…。職員室へ行ってきます。」


 ナズナは、申し訳なさそうに告げた。


「ああ、分かった。」


 俺がそう答えると、ナズナは小さく会釈をして、校舎へと向かっていった。

 彼女の制服姿が校舎の中へと消えていく。


 俺は少しの間、その場で待っていた。まあ、このまま帰るのも、悪い気がしたのだ。


 そんな時、スマホが震えた。画面を見ると、ナズナからのメッセージが届いていた。


『先に帰りますね。また明日!』


 短い文章だった。でも、なんだかナズナの嬉しそうな様子が文面から伝わってくるような気がした。


 俺は返信をしようとして、しばらくスマホの画面と向き合っていた。


『了解』


 俺はそれだけ送った。先に帰ってしまった、ナズナに何か思うこともないわけではないけれど。

 しかし、また明日、結局、俺と彼女は屋上で会えるのだから。そんなことを思いながら、俺も帰り支度を始めた。


 夕暮れの校庭には、部活動の声がまだ響いている。その音を聞きながら、俺の中では今日という一日が、確実に幕を閉じようとしていた。

 帰り際に、校庭のほうを見ると、変わらずに祠があった。

 掃除をしたからか、心なしか綺麗に見えた気がした。

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