第10話
翌朝の警察署は、書類の束とコーヒーの匂いで充満していた。
しかし、その中でマコーミーの顔色は異様に悪かった。夜が明けるまでの数時間、彼は休む間もなく動き回っていた。
ジムの大暴れで負傷した部下を夜間診療所に運び、報告書をでっちあげ、そして――トマス・ハインズの死体を“表向きの手続き”から外して隠す。
やるべきことは山のようにあり、時間は容赦なく過ぎていった。夜は明け、疲労は骨の奥にまで染みていた。
ようやく自分のデスクに腰を下ろした瞬間、内線が甲高く鳴り響いた。
「……今は誰も通すな」
マコーミーは受話器越しにそう告げた。声はかすれている。
だが受付嬢の返答が、血の気を引かせた。
「ダニエル・スターリングさんが、昨日の件でどうしてもお話したいと」
心臓が一拍遅れて脈打つ。
慌てて受話器を取り直し、回線を繋ぐ。
「やあ、マコーミー」
落ち着き払った、しかし刃のように冷たい声。
「お前は……」
「ジムが全部話してくれた。トマスは私を雇う一方で、あんたたちにも声を掛けていたらしいな。だが、あんたはトマスを出し抜こうとした」
「お、俺は……トマスを殺してはいない! 本当だ!」
声が裏返る。
「信じるさ。犯人は他にいる」
「じゃあ、俺は一体どうすれば……」
「明日、すべてを明らかにする。その時、あんたたちが収賄と死体遺棄はやったが、殺人まではしていないこともな。協力すれば職は失うが、刑務所行きは免れるかもしれない」
その言葉と同時に、ダニエルは一方的に電話を切った。
――署内の喧騒が戻るまでに、数秒の空白があった。
マコーミーは受話器を握ったまま、冷たい汗を額ににじませていた。
電話を終えたダニエルは、受話器を置き、机の向こうに目をやった。
そこには、所在なげに椅子へ腰掛けている大男――ジムがいた。
その眼差しは、昨夜の喧騒とは裏腹に落ち着いている。
「……お前は、ジョンとトマスを殺した奴を知ってるってわけか?」
「ああ。これまでの調査で、大方は明らかになった」
ジムはわずかに眉をひそめた。
「言っとくがな、西ドイツの連中は関係ないぞ。ジョンはユダヤ人だ。今流行りの“ナチスの残党”なんかと付き合うはずがない」
「それも知っている」
「じゃあ、誰が……」
ダニエルは椅子の背に深くもたれ、煙草を一本、指先で回した。
「すべては明日、警察署で明らかになる」
灰皿に灰が落ちる音だけが、事務所の中に響いた。
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