ポリリズム
クニシマ
Leaves That Are Green
鮮魚コーナーのあたりなんて寒いほどなのに自動ドアが開いて一歩外に出たらむっとした熱気、夕方なんだからこれでもきっと昼間よりはましなんだろうけど九月になってもまだまだ夏で、駐輪場まで歩く間に体がすっかりあったまっている。近くをうろうろしている管理スタッフの人がやったのか、停めた場所からけっこうずれて自分の自転車を発見、重たいエコバッグを前かごに突っ込んで、鍵を外して左右の車体にぶつからないようにしながら引っぱり出して、サドルにまたがって漕ぎ出そうとしたそのときだった。ふと目にとまった、駐輪場のすぐ隣の小さな喫煙所の前、中に入るでもなくただ漏れ出てくる煙を浴びるみたいにしてぼーっと立っている若い女の人。私と同い年くらいだからたぶん二十歳そこそこ、涼しげなワンピースを着てかわいらしい雰囲気の——そこで気づいた、あれ、あさちゃんだ。
あさちゃんは小学校のときの友達で、小柄で華奢で、声が大きくて衝動的でいつも無謀で、勝気でおてんばなお姫様、そういう感じのすてきな女の子。私とは何もかも違って、でも同じマンションの同じ階に住んでいたから一緒に遊ぶことは多かった、親友だった。親友だって言ってくれたのはあさちゃんのほうだった気がする。だけど四年生の初夏、あれは午後の授業中、私はあさちゃんを怒らせた。前の席に座っていたあさちゃんの長い髪は窓から差す陽の光に照らされて透きとおるみたいに綺麗な明るい色で、染めたりしてるわけでもないのに外国の人みたいでかわいくて、どうしても近くで手に取ってずっとじっと見ていたくて、私は道具箱から取り出したはさみでこっそりその髪を切った。一本だけのはず、そのつもりで、けれど私のノートの上にはぱらぱらと何本か落ちてきたのが記憶にある。隣の席の子が全部見ていてあさちゃんに言ったから、あさちゃんは怒って喋ってくれなくなって、その日は一緒に下校もしてくれなかった。それで次の日の体育の授業のときだった、大縄で8の字跳びをやることになって、私は本当に8の字跳びが大嫌いだからどうしようか焦っている間に回し手も体育委員の子にさっさと取られてしまったのだった。たん、たん、たん、たん、規則正しく縄が地面を叩く音と、それに合わせてみんなが、はい、はい、今、はい、と催促するかけ声、それから誰かひとりが引っかかったときにはみんなでいっせいに残念がったりして、あれを聞くごとに足がすくむ。どうしてもあの回る縄の中に入っていけなくなる。しかも一度跳べたとしてそれで終わることはなくて、何度も何度も何度も順番は巡ってくる。私の前に並んだ子たちが四、五人、連続でぽんぽん跳んでいって、でも私は飛び込んでいけなくて、みんなのかけ声がどんどん大きくなっていく気がした、そのときに後ろから思いきり突き飛ばされた。あさちゃんがそうしたのだった。左目に縄がぶつかって、それがどれくらいの怪我だったのかはよく思い出せない。別に見えなくなったわけではないし、今はなんの支障もないけど、ただ覚えているのは家族に連れられて謝りに来たあさちゃんのそれまでに一度も見たことがなかった泣き顔だ。真っ赤な顔で目に涙をいっぱい溜めて、くちびるをきつく結んで黙っていて、なんでだかとってもかわいらしかった。でも謝らなくちゃいけないのは本当は私のほうだったのに、それからすぐにあさちゃんは引っ越していった。十年以上前のことになる。
目の前にいるあさちゃんはあのころとそれほど変わらなく見える。もちろん年相応に成長していて、でも前に立つとなんとなく緊張するような雰囲気は同じ、やっぱり魅力的な女の子。あさちゃん、
自転車を押して歩く私のポロシャツの胸ポケットの中身を見て、たばこ吸うんだね、とあさちゃんは言ったけど、あさちゃんが私のことに興味を示すのが意外で、そう、とだけしか返事できなかった。短いやりとりばっかりしてマンションの前まで歩いた。中庭の駐輪場に自転車を片づけて、外階段で二階に上る、その間あさちゃんはずっと懐かしそうにしていた。部屋に上がってもらって、テレビとか見ててよと言って私は台所に立ったけど、あさちゃんはにんじんを切る私に近寄ってきて、胸ポケットからたばこの箱とライターを勝手に抜き取った。それからたばこを一本、勝手に火をつけて、勝手にひとくちふたくち吸って、私の口にくわえさせて返してきた。すぐにんじんを切るのをやめて文句を言ったら、あさちゃんはにっこり笑った。それからたばこの箱とライターを私の胸ポケットに押し込んで、すたすた台所を出ていった。たばこの吸い口を見れば淡いピンク色のあとがついている。なんだかどぎまぎして、とりあえず再びにんじんを切る。ぐっと力を込めて、たん、たん、たん、……。
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