現代若者の心は戦争に向かいつつある

すどう零

第1話 女の十字路一歩先の落とし穴にはまってはならない

 私、千尋は男女共学普通科高校一年の女の子、将来は就職するか進学するかはまだ決めていない。

 身長は160㎝で高身長の部類ではなるが、クラスではいつも後ろから二、三番目である。

 中学のときの服装は、キュロットパンツかパンツルックだったが、今は高身長を生かしてひざ下20㎝のガウチョパンツをはくようになった。

 チェックや花柄のガウチョパンツは、一見ロングスカートのように見える。

 上は無地のブラウスかTシャツだと、どんなガラのガウチョパンツにも合うファッションである。


 千尋は、幼稚園のときあるキリスト教牧師から聞いた話を、今実感している。

「現在の日本は、表面は華やかで金持ちの国である。

 しかし、若者の心の実態は戦争中と同じである」

 確かに二十年たった現在、ゾンビ煙草など若者の麻薬の増加、望まない妊娠、ホストの売掛金などによる望む筈もない風俗勤務といい、若者の心の実態は戦争中と同じである。

 幼稚園のときは、戦争といってもまったくわからなかった。

 8月に入ると、ドキュメンタリー番組やドラマで戦争をテーマとしたストーリーが公開される。

 戦争前はインテリの部類に入る男性が

「日本は、世界中を相手に戦って、大日本帝国をつくるのだ。

 そうしたら、キリスト教などという西洋のバタ臭い宗教など、跡形もなく消え失せてしまうのだ。そのときになって後悔しても遅いよ」

と発言したという。

 

 このままでは、いつの日か戦争が勃発するかもしれない。

 嵐の前の静けさというが、表面的に平和にみえるときこそ、まるで根の深い植物のように、陰ではなにかがうごめいているような気がしてはならない。

 ちょうど性被害を受けた女性が、表面的には無言でいるが、陰では傷の根が広がり、犯罪に利用されるかのように。


 一日の終わりを迎えようとしている、夕暮れとき。

 大人の哀愁を感じさせるこの夕暮れときが、千尋は好きだった。

 同じ夕暮れときでも、繁華街はこの時間からネオンの灯り始める。

 今のところ、千尋とは縁のない世界である。

 しかし、大人への好奇心が、千尋の運命を左右することになるとは、このときは思いもよらなかった。


「おーい、千尋、困った事態になっちゃったぞ」

 千尋がときおりいくカフェ兼食堂で、声をかけてきたのは幼馴染の村木兄さんだ。

 近所であり、小学校のときはよく遊んでもらったものであり、中学に入学してからも、ときどき一緒に食事をしていた。

 千尋は食事のお返しとして、手作りの千尋特性おむすびーじゃこと大根葉を煮込んだ具入りかつおまぶしーを村木兄さんにプレゼントしたこともある。

 村木兄さんはいつも美味しいといって、食べてくれたので、千尋も工夫していろんな具入りおむすびをプレゼントした。

「実はオレ、リストラされちゃった。只今、求職中つらいねなんて、弱気になっちゃダメだね。人生ダメになっちゃうよね」

 報道番組の深刻なテーマが、現実となり目の前に迫ってくる。

「でも、この前お会いしたばかり。まだ若いんだから、広範囲にわたって求職すれば、仕事はある筈だと思うわ。といっても高望みしてはいけないけれどね。

 ドライバーでも介護職でも辞めていく人は多いが、そのすきまをかいくぐって、やる気のあるところを見せたら、採用になるかもしれないわよ」

 村木兄さんは納得しながら答えた。

「オレ、見た目が若そうに見えるけど、実年齢は二十三歳なんだ。

 それでね、水商売をしてみようかなと思ってるんだ」

 千尋は意外に思った。

「まあ、男性の場合は水商売でもそう危険じゃないし、大学生でも大金をつかんでるというわ。でも成功する人は、ほんのひとつかみだけね。

 なかには、女性客のつけを払ってもらえず、地方に逃亡中なんて人もいるくらいよ。今は、ホストといえばすっかりグレーゾーンだけどね」

 村木兄さんは少々、深刻な顔をして答えた。

「今に限らず、ホストは昔から灰色グレーゾーンだけど、今は闇の深いブラックゾーンになりつつあるよ。

 実は今、つきあっている彼女はるなが中絶体験があるなどと告げられ、どうしていいのか迷ってるんだ」

 暗い話だなあ。

 しかし、彼女の名前ーはるなまで口にするとは、よほど村木兄さんは、エキサイト状態にあるんだろう。

 現代は、望まない妊娠をした女性のためのアフターピルー緊急避妊薬もある。

 特に「ノルレボ」は未成年者でも薬局で購入することができ、値段も9千円あたりである。

 ただし、使用の際には薬剤師の許可が必要であるが、よほど切羽詰まっているのだろう。

 なかには、アダルトビデオの行為後「アフターピルを飲めばいいよ」という監督もいるという。

 まったく女性の身体をなんだと思ってるんだ。

 千尋は憤りと怖さを感じる。


 アダルトビデオ女優と言うのは、たいてい騙されて出演させられているという。

 渋谷の繁華街で「君、可愛いね。モデルになれるよ。うちは大手プロダクションの傘下の会社なんだ」という言葉に誘われ、プロダクション入社のサインをし、演技やボイスレッスンをしたあと「明日、初仕事が入った」と張り切っていたら、なんと内容はアダルトビデオだったというのが、定例パターンである。

 このことが国会でも取り上げられ、だまされたことに気づいた後、電話やメールで取り消せれば契約解除が可能になったという。

 元有名アイドルグループのメンバーでも、ある監督から写真集を出すという話があり、そのことをSNSで宣伝したら、ファンからさっそくメールが届いた。

 その監督というのは、有名なハメ撮監督(だましてアダルトビデオに出演させること)だったという事実を知らされ、さっそくメールで断ったという。

 身体が縮む思いだったが、やはりファンの存在は有り難いと心底思ったという。


 千尋はショックを受け、このことを世間話として村木兄さんに話してしまった。

 村木兄さんは、いつもと変わらず千尋の話を真面目に受け取ってくれる。


「話が本題から反れちゃった。軌道修正して話を元に戻さなきゃね。

 それにしても、ずいぶん正直な告白ね。まあ、女性は心の傷を隠しておくことができず、皮膚の割れ目から膿が噴きでるように、自分にとって不利なことでも、ペラペラとしゃべってしまうからね。

 こんなこと、隠しておいた方が得なのにと思うことでも、なぜかペラペラとしゃべりまくった末に、公表する人もいるくらいよ」

 村木兄さんは呆れたように答えた。

「彼女に中絶体験があるというのを聞いたとき、正直とまどいを感じた。

 しかし、今は彼女に同情心さえ湧いてきているっていうんだ。

 オレって昔から、お人よしな部分があるからなあ」

 千尋は、救われたような表情で

「愛する女性の重荷を背負いたいと思ったわけね。

 しかし、中絶させた相手の男も傷つくとはいうわ」

 村木兄さんは話を続けた。

「中絶させた相手の男は、だいたい見当がつくんだ。

 なんとそいつは、現在ホスト見習い中であるらしい」

 千尋は、好奇心半分で聞いた。

「ねえ、その人、イケメンなのかな?」

 村木兄さんは即座に答えた。

「ぜーんぜん、ふた昔前のオネエ系のお笑い芸人みたいだよ」

「正直言って、私は中絶させた男って苦手の部類に入るわ。

 だって、生活力がなくて中絶させるぐらいなら、最初からそういうことしなきゃいいんだし、若気の至りというけれど、授かり婚している若者もいるしね」

「まあ、オレもそういう奴は身勝手な奴だと思うし、深くつきあいたいとは思わないな。女の敵であることには、間違いないよ。

 そういう奴が、ホストをしたら失敗するか、反対に大成功するかどちらかだろうなあ。だって、女の機嫌をとって夢中にさせ、多額のつけで貢がせた挙句の果て、

『肝臓や腎臓売って金にしてこい。おまえが五体不満足になってもオレたちの知ったことか、海外で稼いで来い』なんて血も涙もないことを言うじゃない。

 こういう冷血漢に魅かれる人って、なぜかいるのよね。

 でも今は、具体的に売春を強要、いや要求すると売春教唆という違法行為になりかねないけどね。

 まあ、冗談半分に身体で払ってよという程度ならそれに当てはまらないが、具体的に、例えば、風俗〇〇店で、〇月〇日まで売春し、〇円稼いでこいと強要すると、売春教唆になるんだって」

 村木兄さんが答えた。

「こういうケースはバックにスカウトマンがついているケースが多いな。

 スカウトマンは、風俗嬢の給料の十分の一が収入になるから、一度その罠にはまると抜けられないケースが多いから、そういった法律ができたんだろうな。

 しかし、ホストの立場からしても、女性客につけを踏み倒されるとこちらが払わなければならない。払えなくなって、行方不明になるんだよね。

 このことを「とぶ」というらしいけどね。

 同じ寮の部屋で、朝目覚めると相手がとんでしまっていなくなったりすることもあるよ。

 しかし誰がとんだかということは、ホストクラブの横の連絡網ですぐわかるので、とんだ張本人がどこのホストクラブに面接に行っても、不採用のことが多い」

 千尋が答えた。

「まあ、そうだろうなあ、店にしたら損害だものな。

 ホストクラブにとって警察は敵のようなものだが、抜き打ち検査があるんだって。メニューと売上伝票を提示するという内容だけど、店同志で連絡網ができあがってるってさ。思えば狭い世界だからねえ」


 村木兄さんは話を続けた。

「オレも最初は彼女の口から直接、中絶体験があると聞いてとまどったものだけど、今は彼女を中絶させた男が憎い。といってもレイプだったら加害者になるが、彼女の場合は一概にそうとは言い切れないといっても、証拠はないけどね。

 どんな男か見てみたいという好奇心から、その男と同じホストクラブに、新人ホストとして勤めようと思ってるんだ」

 千尋は、ミステリー小説みたいだと感心した途端、村木兄さんの彼女であるはるなってどんな字を書くのか、興味にかられた。

 春奈、晴菜、陽菜・・・想像をめぐらしたが、今の時点でこれを聞くのは、あまりにもデリカシーがなさすぎるような気がして、喉元まででかかった言葉をぐっと飲みこみ、自分から話を振った。

「要するに、好奇心半分の復讐物語ね。

 でも、復讐はやめた方がいいわ。相手を傷つけたら、その傷ついた相手が余計に悪事を働くかもしれない。復讐に成功してスーッとするのは、そのときだけ。

 あとからになって「あいつが人を傷つけたのは、自分も身近な人に傷つけられたという過去のトラウマがあったからじゃないか、また、悪党に唆され、脅され、身の危険を感じて実行せざるを得なかったんじゃないか」という後悔に襲われたりするかもしれない。

「復讐はあなた(人間)のすることではない。私(神)のすることである。

 あなたは自らの手を汚してはならない」(聖書)」

 村木兄さんは答えた。

「天罰てきめんってわけだよね。

 しかしオレは、その中絶男に復讐する気はないよ。

 ただ、どんな男か見てみたいだけさ。

 そしてあわよくば、自分もホストで稼げるかもしれないなんて、甘い夢を見てるんだ」

 千尋は、思わず反論した。

「ホストというと、今はすっかり悪者扱い。

 だって、NHKのドキュメンタリー番組でも、500万円以上のつけを背負わされた女性に「肝臓や腎臓を売って来いだの、海外売春してこい」などと強要するらしいわ。まあ、シャンパンタワーが最低100万円という世界で、女性客には許可をとることなく、1本20万円ものするシャンパンを注文した挙句

「君のために注文したんだよ。僕の顔を潰すきかい。

 僕がナンバーに入らなかったら、君とも店で会えなくなり、君との関係は切れてしまうよ」だの、女性客の実家に行って、家族に偽の婚約届を渡し

「二人で店を経営しよう。その資金を調達するために、風俗で働いてくれないか」などと風俗行きを勧めるものだというわ。

 風俗で働くとスカウトマンは、風俗嬢の十分の一の収入が入るから、がんじがらめになって辞めることができなくなってしまうというわ」

 村木が答えた。

「しかしこの恋愛商法やスカウトマンによるバックも、辞めさせようとする法律ができたそうだよ。売掛金(つけ)禁止と同様にね」

 言い換えればそれだけ、警察にマークされているということである。

 まるで闇の職業みたいだなと千尋は思った。


 一か月後、村木兄さんは仰天したかのような千尋のもとにきた。

「聞いてくれ、オレは中絶男と同じホストクラブで働き始めたんだ。

 一か月でナンバー5になっちゃったよ。すごいだろ」

 えっ、にわかに信じがたい。

 でもいくら女性客から指名がかかっても、女性客からのつけを払ってもらえず、給料0どころか、赤字まみれのホストもいるという。

 千尋は答えた。

「で、聞くけど中絶男はナンバーに入ってるの?」

「兄貴の話によると、ナンバーにも入ってないよ。

 ときどきヘルプとして呼ばれる程度だって。まだ客はついてないみたい」

「ねえ、その中絶男は村木兄さんが、中絶させた自分の元彼女の彼氏だってことは知ってるの?」

 村木兄さんは一瞬、ウーンと考え込んで答えた。

「たぶん知らないと思う。でもいつかこの事実が暴露するときがくるかもしれない」

 千尋は、この御言葉を思いだした。

「隠れていたものは、あらわにされるためにあるのであり、覆いをかけたものは、覆いを取り外されるときがくるのです」(聖書)

 村木兄さんは話を続けた。

「でも、中絶男にしたら、後輩に先を越されて立場がやばくなっていることくらいは、自覚してるみたい。

 後輩に先を越されてばかりじゃ、退店に追い込まれるものな」

「要するに、ライバル視しているってわけね」

「そうだよ。だって、この世界って最初の三か月は新人というだけで、固定給がでるけど、それはあくまで売上ホストのおこぼれをもらっているようなもの。

 だから三か月たって、客がつかなくて売り上げが最低五万円ない人は退店に追い込まれちゃうよ」

「でも、一か月でナンバー1だったら、二か月目、プレッシャーがかかるわね」

「オレもそれを心配してるんだ。あとは落ちていくしかないものな。

 だから店ではできるだけ、腰を低くしているみたい。先輩を立て、新人には自分からあいさつするしな。

 礼儀を間違えれば、いくらナンバー1でもその店にいられなくなる」

 千尋は村木に言い聞かせるように言った。

「でも今は、中絶男に対する敵意をむきだしにしてはダメよ。

 どんなことをされても、ニコニコしていることよ。

 昔、ナンバー1ホストだった城崎仁は、客の前で先輩に囲まれ、

「こいつすごいよ。若いのにナンバー1なんだから」と客に見えないように背中を叩かれたが、その手が骨にひびくほど痛かったりしたそうよ。

 でも、どんなにいじめられても先輩の前ではニコニコしていたというわ。

 つぶされる原因になるからね」

 村木はうなづいた。

「わかってるよ。しかし入店一か月でナンバー5入りなんて、異例だものな。

 中絶男が僕を敵意に思わないはずはない」

 千尋もこの意見に納得した。

「人気稼業というのは、何年たっても人気のでない人はクビみたいなもの。

 だから、売れない先輩なんかは、嫉妬のターゲットにしちゃうだろうな。

 それでなくてもホストというのは、昔から社会的信用がないとはいわないまでも、社会的にはいいようには思われていない。

 だから、本気の恋愛もままならないし、貯金目当てなんて勘繰られることもある。

 また大学生で企業で内定をとっても、ホストをしていたということがばれれば、内定取り消しなんてことがあるんだよ。

 まあ、企業側はそれをうやむやにしているがね」


 

 

 

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る