第26話 最終局面―忘却の審判―

 深淵の記録庫全体が震えていた。

 巨影の全身が赤黒く脈打ち、無数の瞳がぎらりと光る。

 胸から腹にかけて裂けた口はさらに広がり、広間そのものを呑み込む勢いで開いていく。


――抗う声よ、最後に証明してみせろ。

――お前たちの“記録”に価値があるのかを。


 その声は地鳴りのように響き、頭の奥を揺らした。

 兵士たちが次々と揺らぎ、存在を失いかける。

 蓮の胸にも鋭い痛みが走り、喉から血が滲む。


「ぐっ……これが“忘却の審判”か……!」


 リィナが本を胸に抱き、低く唸った。

「……ここで沈めば、すべて消える。私も、お前も、この図書館も」


「だったら……残すしかねぇだろ!」

 蓮は血で濡れた唇を歪め、カードを掲げた。


 だが光はすぐに闇に呑まれた。

 索引の力すら、審判の前では霞む。


「……足りない……!」


「蓮!」リィナが彼の肩を掴む。

「お前一人では抗えない! 二人の意志を完全に重ねろ!」


 蓮は息を荒げ、青い瞳を見返した。

「……リィナ、お前がいなきゃ俺はここに立ってない。

 だから一緒に――声を残そう!」


 彼女の頬がわずかに赤く染まり、強く頷いた。


 二人は同時に声を張った。


「俺は藤堂蓮! 忘却に屈せず、すべてを守る!」

「私はリィナ! 記録を守り、声を未来へ繋ぐ!」


 光と鎖が重なり、兵士たちが再び立ち上がる。

 だが今回は違った。

 兵士たちの身体そのものが光となり、二人の声の化身と化したのだ。


――我らは声。

――我らは記録。

――忘却の審判を切り裂く刃!


 咆哮が広間を震わせ、巨影の赤い瞳が揺らいだ。


 巨影の口から、闇の奔流が放たれる。

 空間全体を覆い尽くす、忘却の津波。


「来るぞ!」リィナが叫ぶ。


「上等だ……! 残業の最終ラウンドだ!」


 蓮は笑みを浮かべ、カードを床に叩きつけた。

 文字が浮かぶ。


『すべてを繋げ』


 リィナも本を開き、声を刻む。


『記録を未来へ』


 二人の意志が重なり、光が巨大な柱となって立ち上がった。


 闇と光が衝突する。

 轟音が広間を揺らし、本棚が次々に砕け散る。

 黒いページが吹雪のように舞い、空間そのものが裂けていく。


 蓮は歯を食いしばり、声を振り絞った。

「俺は藤堂蓮! 忘れさせない! 絶対にだ!」


「私はリィナ! 記録を刻み、未来に繋ぐ!」


 その声が共鳴し、光が津波となって闇を押し返す。


 巨影の赤い瞳が悲鳴のように揺れ、口の奥に亀裂が走った。


――馬鹿な……声ごときが……深淵を……!


 巨影が呻き、崩れ始める。


 広間を満たしていた闇が一気に引き、赤い瞳が次々と消えていった。

 裂けた口から黒い霧が漏れ、巨体が崩れ落ちる。


 蓮は膝をつき、荒い息を吐いた。

「……終わった、のか……?」


 リィナも肩で息をしながら彼を支えた。

「……いや、まだだ」


 崩れゆく巨影の奥で、さらに濃い闇が渦を巻いていた。

 それは、深淵のさらに奥。


「……本当の審判は、これからだ」


 リィナの言葉と同時に、黒い渦が大きく口を開いた。

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