別荘にて(1)

カイメから馬車で1日の山間に、その別荘はあった。

小さくてもしっかりした石レンガのその館は、見た目だけなら砦といわれても頷ける。実際は一度も戦などに使われたことはなく、貴族の手を転々として今に至る。


「おおー城みたいだ」


ビクトルは何でも感動するので、これも絶対に喜ぶとは思っていた。3階建てのそれのてっぺんを見ようとしているが、首が痛そうだしひっくり返りそうだ。

今日訪ねると先に連絡していたので、ポーチにはお手伝いの数名が並んでいた。

……懐かしい顔ばかりだ。


「おかえりなさいませ、マキア様」


いっせいに頭を下げられる。

やめてほしい。


「うおー!」


横でやっぱり喜んでいる。


「……数日だが世話になる」

「誠心誠意、お世話をさせていただきます。……おかえりなさい、マキア坊ちゃん」

「坊ちゃんやめろ」

「坊ちゃん!」


横で大喜びしている。

にこにこと、記憶と変わらず人の良さそうな顔をしてとんでもない執事だ。

まあ執事といっても、普段はふもと村の住民だが。


「はじめまして、ビクトル様。私はこの別荘で管理と使用人の頭を任されております、アイドンと申します。ご滞在の期間中、快適にお過ごしいただけるよう一同励みますので、何卒よろしくお願いします」

「あ、恐縮です……その、俺も平民なんで、そこまでしていただかなくても大丈夫なんで」

「いえ、マキア坊ちゃんとご一緒に来てくださる、同年代のご友人でいらっしゃるビクトル様には、感謝の意をお伝えせねばと……」

「……」


なぜか整列の端のほうでハンカチを目に当てている。

ビクトルの困惑した目を無視して、さっと足を動かした。


「まずはお部屋にご案内させていただきます」

「あ、どもっす」


マキアが館に入ると、アイドンと使用人たちはぞろぞろとついてくる。ビクトルはメイドに言われてやはり館に入る。


ひとり余計な男がついてきているが……3年ぶりの『帰宅』に、懐かしさを覚えるのは止められない。

マキアが6年近く住んだ、別荘だ。




別荘に行け、と男爵の端的な指示に、多少反発を覚えないでもなかったが、ようは男爵がしたいことにマキアが街にいると不都合なのだろう。

保護して面倒を見てくれたマーヴァだが、それは義務感と少しばかりの哀れみでしかないのはマキアにはすんなり理解できたし、むしろそのほうがよかった。

いちいち人の気持ちに思いを馳せるほうがむずかしいので。


ついでとばかりに用事も申し付けられた。行き先はそれなりに愛着はある館だ、文句は言うつもりはない。

ただ……ビクトルが当然のようについてきたのはいかがなものか。

護衛だし、と誰もマキアと一緒にいるビクトルのことに突っ込まない。成人男性がお姫様よろしく守られるのもおかしいし、衛兵とただの一住民である。

周囲が事情を知るものばかりだから突っ込まれないということに気づき、ならばところ変わって別荘なら……と、思ったこともあったのだが。


「へぇービクトルさんってコーヒーもお好きなんですねぇー!男らしいです!」

「あー女性は苦手って人多いんすね、妹が一回試したんだが、見るだけも嫌って言うようになって」

「妹さんいらっしゃるんですね!私も苦手だから親近感湧いちゃいます」

「でも、この前コーヒー屋の店主が――」

「わあ!気になります!今度――」

「それなら、今回の残ったコーヒーの豆……」

「あ、豆ってさ、――」


メイドとほんの一時間で話せるビクトルが化け物に見えた。

食堂で休息にとお茶をもらったが、楚々と持ってきた給仕をつかまえ、もうひとり巻き込み、楽しそうに話している。

お客だからと懇切丁寧に世話を焼かれるといい、と思っていたら、ほとんど街で見るような風景である。

いつの間にか店の周辺で顔が利くようになっていたビクトルは、近くに来るたび誰かと話をしている、今のように。


「……」


胸のあたりが重い。

きっと、この館でも誰もビクトルの異様さに気づかないと分かってしまったからだ。

マキアの人付き合い能力の欠如のため、ビクトルのような誰でも話せる人間は、普段相手にしているいわくつきよりも不可解だった。むしろ恐怖だ。


ビクトルが人好きはするが、そこまでおかしくもないということをマキアは知らなかった。


「坊ちゃん、ビクトルさんに館の中をご案内されては?」

「……」


アイドンまでもがすでにビクトルと親しげな空気を醸している。

彼もこれがちゃんと貴族の客人なら丁寧に恭しく接したが、ビクトルが望んでいないのを察して対応を変えたのだ。これで普段は麓の村の小間物屋の主人だというからよく分からない。

面倒だ……と思っているのを見透かされ、アイドンに無言の圧力を受けて、仕方なく頷いた。


お茶を飲みきったタイミングで、約1日ぶりにビクトルに声をかける。


「……中を案内する」

「え、見れるのか!?楽しみだ!」


相変わらずマキアの言葉にも嬉しげだ。

散々無視している男より、笑ってくれるメイドのほうがいいだろうに。

メイドたちも当然客人がすることを邪魔するような者たちではないので、ちゃんとお辞儀をしてビクトルを送り出す。

なんとなく胸が苦しいままだった。


しかも案内すると言ってしまったために、話しかけなければならない。


「あっちが客室。こっちは食堂と談話室。……」

「あれ?食堂ってさっきのとこじゃねえの。ホントだ、ここもだ」

「……大量に人が来たら使う」

「すげー」


ふんふんと興味深そうに見て回るビクトルは、マキアのおざなりな案内にもやはり気分を害したわけじゃなさそうだ。


怒れ、嫌いになれ。

ずっと願っているのに、そんなことは知らないとばかりに。


なぜ、この館は3階もあるのか。広い。

苦しさは増すばかりで、とうとう全部中を回って、1階に戻ってきたとき。


「ペチカちゃんも来れたらよかったな」


そのビクトルのつぶやきは、なんの裏もなかったんだろう。

なんなら、マキアに聞かせるつもりもなさそうだった。


「……どうしてお前はここに来たんだ。ペチカは街にいる」

「……マキア?」

「これだけ無視されて、いないみたいにされて、怒らないのか、おかしいぞ」

「……どうしたんだ、急に」


まだ、この期に及んでマキアを心配そうに見る彼の目が――たまらなく嫌だ。


「これだけしても分からないのか。俺はお前が――きらいだ」


言うつもりはなかった。自分でもそんなつもりは毛頭なかった。

けれど、口に出してしまった。

彼の顔、その愕然とした表情を見て……暗い喜びを覚えた。

これを、ずっと見たかったのかもしれない。


踵を返す。

部屋に走って戻って、まだ開いていなかった荷物から封じの札を取り出す。ナンリが書いたそれに触れようとした手は発光していて、ぱちっと小さく弾ける。かまわず握る。


「……小さくなれ」


自分の書いたものは自分の術だから、魔力に馴染んでしまって効き目がない。自分より達筆の札にしびれるような感覚を覚えながら、念じる。


小さく……消えてしまえ。

このときおり出る魔力暴走は、自傷行為だと言われた。


(たかが、こんなことで)


傷ついたのは自分じゃない。

傷つく資格もない。


ばちっと音がして、札がちぎれた。

さほど持ってこなかった札だが、どうしようもなくて数枚まとめて使う。ひとしきり念じて、ようやく収まった。


「……っは」


――最悪の気分だ。

こんなことで。


でも、これでビクトルはマキアに構わなくなるはずだ。いくらお人好しだろうが、自分を嫌う相手に付き合うほど暇じゃない。

そう、なんならさっさと街に帰るだろう。


――吐きそうだ。

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