Episode.24 ― 星々の静寂、そして兆し
◆ 戦後処理 ― 煙の消えた街 ◆
帝国軍との死闘から一夜が明けたミッドウェル街には、まだ硝煙と焼け焦げた匂いが漂っていた。
街路は至る所にひび割れ、建物の壁は砕け、瓦礫の山が積み上がっている。
だが、その中で泣きながら再会を喜び合う人々の姿もあった。
崩れた石壁の影で家族を抱きしめる声、瓦礫から救い出された子どもが笑う声――。
それは確かに、街が生き残った証だった。
工房の仲間たちは休む間もなく散っていき、それぞれの役割を果たしていた。
マルタは街の広場に簡易厨房を設け、大鍋でスープを作り続けていた。
疲れ切った兵士や街人に椀を差し出しながら、ふくよかな手で背中をさすり、声をかける。
「さぁ、食べなさい。空っぽの腹じゃ、心まで負けちまうよ」
湯気と共に広がる香ばしい匂いが、街全体を少しずつ落ち着かせていく。
リーは黒髪を団子に結い、袖をまくって瓦礫を片っ端から運んでいた。
拳法の修練で鍛えられた腕はしなやかで力強く、数人がかりでやっと動かせる石材を軽々と運んでいく。
「ほらよっ! 次はこっちだ!」
その豪快な声に、街の青年たちが引っ張られるように集まり、救助の手が加速していった。
バルドは巨体を活かし、倒壊した建物を支えながら人々を救い出していた。
「下がってろ……オレが持つ!」
地鳴りのような声が響き、彼の肩の上で崩れそうな梁が持ち上がると、隙間から子どもたちが次々と引き出された。
ユリウスはカインと共に夜警の布陣を組み直していた。
焼け残った木片を囲んで地図を広げ、即席の見張り台に新兵を配置する。
「襲撃の二度目は必ずある。街灯代わりに火を灯せ。動く影は俺が撃ち抜く」
カインは黙々と兵たちに指示を出し、警戒の網を張り巡らせていた。
ティナは救助の声を拾って駆け回り、メリアは物資の仕分けを一手に担い、ジークは泥だらけになりながらも子どもを背負って走る。
ロザンナは負傷者のそばに立ち、冷静に矢じりを抜いて止血を助け、ガレットは斧で邪魔な瓦礫を叩き割って道を開いた。
――その全ての中心に、ネルフィは立っていた。
白衣は煤で黒ずみ、頬には汗と疲労の跡が刻まれている。
それでも彼女は指揮を執り、錬金魔法で崩壊した壁を仮補強し、残った機材を再稼働させて街の照明を点した。
「この通りは今夜までに使えるようにして……あっちの広場には仮設診療所を。――次の瓦礫搬出はガーディアンにやらせる!」
ガレットが彼女の肩に手を置き、心配そうに声をかけた。
「社長、少しは休めよ。お前が倒れたら、みんな立ち止まっちまう」
ネルフィは一瞬目を閉じ、深く息を吐いた。
だが次に開いた瞳には、疲労を押し殺してなお、強い光が宿っていた。
「まだやることがあるの。……街を守るのは、私たちの責任だから」
小柄な背中に宿る決意に、仲間たちはただ頷き、再び作業に戻っていった。
――硝煙に覆われた街の中で、アウルディーン工房の旗は確かに立ち続けていた。
◆◇◆◇
◆ 夜の静寂 ― 二人の時間 ◆
復興の掛け声が一つ、また一つと消え、やがて街は静寂に包まれた。
瓦礫の匂いがまだ残る風の中、ネルフィは工房の裏口からこっそり外へ出る。
(少しだけ……一人になりたい)
小さな足音が石畳を渡り、街外れの小丘へ。
そこから見下ろすミッドウェル街は、まるで壊れかけた玩具を無理に継ぎ合わせたように痛々しい。
それでも、ちらほらと灯る焚火の光が、人々の「生きたい」という強さを物語っていた。
「……やっぱり、怖かったんだな」
ネルフィはぽつりと呟く。
戦場では胸を張って指揮をとっていた。
けれど、こうして一人になると、震えそうになる本音があふれ出す。
――その時。
「ネルフィ」
背後から声がして、ネルフィはびくりと肩を揺らした。
振り返ると、そこにはレオンが立っていた。
剣を腰に差し、肩に羽織った外套を揺らし、手にはもう一枚の外套を持って。
「こっそり抜け出すなんて、らしくないな」
彼は苦笑しながら、ネルフィの肩に外套を掛けてくる。
「っ……ありがと」
ネルフィの頬が一気に赤くなる。
「で、でも……レオンだって疲れてるでしょ!」
「俺は平気だ」
彼は短く言い切り、彼女の隣に腰を下ろした。
「むしろ、こうしてお前の隣にいる方が落ち着く」
「……っ」
不意打ちの言葉に、ネルフィの心臓が跳ね上がる。
顔を背けながらも、耳まで真っ赤に染まっていた。
「……レオン、そういうの、簡単に言わないでよ。心臓に悪い……」
「本当のことを言っただけだ」
(ずるい……そうやって、真っ直ぐ言うところ……)
ネルフィは視線を夜空に逃がす。
けれど、どうしても言わずにいられなかった。
「私も……」
か細い声が、夜風に揺れる。
「レオンが隣にいてくれると安心する。だから……どこにも行かないで」
その一言に、レオンは一瞬固まった。
そして次の瞬間、彼女の小さな手をぎゅっと握りしめる。
「行かない。絶対に。……お前を一人にはしない」
ネルフィは俯き、真っ赤な顔のままごにょごにょと呟いた。
「……もう、ほんと、ずるいんだから……」
レオンがくすっと笑う。
「なにがだ?」
「だって……そんなの、勘違いしちゃうじゃない……」
「勘違いじゃない」
レオンは真剣な眼差しで、彼女を見つめた。
ネルフィの胸がきゅっと締め付けられる。
思わず彼の胸に額を預けると、彼もまた迷わずその小さな身体を抱き寄せた。
二人の間に流れる沈黙は、不安でも気まずさでもなく――ただ甘く、温かいものだった。
「……ねぇ、レオン」
「ん?」
「もし……もし私が、街を守るためにまた無茶しそうになったら……その時は止めてくれる?」
「止める」
「即答!?」
「当たり前だ。……ただし、無茶しても俺が隣にいる。だから一人で背負うな」
ネルフィは思わず吹き出し、頬を膨らませる。
「ずるいって言ったのに、またそうやって……」
「お前も同じこと言っただろ」
レオンがニヤリと笑う。
二人は顔を見合わせ、思わず同時に笑った。
星空の下、その笑みは互いの胸をさらに熱くする。
――戦いの炎よりも強く、
――街を照らす松明よりも優しい。
その夜、ネルフィとレオンの距離は、確かにひとつ近づいた。
◆◇◆◇
◆ 古代図書施設 ― 星々の知識 ◆
アウルディーン=ネクサスの最深部。
そこは地下深くに隠された「知の大聖堂」だった。
神殿にも似た荘厳さと、研究所のような緻密な設計が同居し、光の回路が壁や床を走り続けている。
天井は見えぬほど高く、宙には無数の光の書物が漂っていた。
一冊一冊がまるで星々のように瞬き、近づく者に応じて自然とページを開く。
ネルフィは息を呑み、小さな靴音を響かせて歩みを進めた。
白衣の袖をぎゅっと握りしめ、震える指で一冊の書を撫でる。
途端に、光が弾けるように古代文字が宙に舞い、視界いっぱいに流れ込んできた。
――《この世界の名は〈アストレイア〉》
「……アストレイア……」
声にした瞬間、胸の奥で何かが震えた。
ただの無名の“世界”ではない。
自分が立っている舞台に、明確な名が与えられたことは、責任の輪郭を突きつけることと同じだった。
さらに次の書が開き、天文図が広がる。
蒼き惑星の姿が浮かび上がり、その名が刻まれていた。
――《我らが星の名は〈オルディナ〉》
「オルディナ……これが、私たちの星……」
その瞬間、ネルフィの目に涙がにじんだ。
今まで漠然と「この世界を守る」と言っていた。
けれど今は違う。
守るべきものに確かな名があり、確かな姿がある――それは幼い少女にとって、背負うにはあまりにも重い現実だった。
壁面いっぱいに映像のような記録が走る。
大陸群が裂け、海に沈む姿。
かつて空に浮かんでいた都市群が墜ち、瓦礫となって散った痕跡。
そして――その度に人々が立ち上がり、血と祈りで再び星を結び直してきた歴史。
――《アストレイアは幾度も滅び、幾度も再生した。
勇者と魔王の戦い。
神々と邪神の戦い。
そのたびに星は裂かれ、再び紡がれた》
ネルフィは肩で息をし、胸の奥が熱く締め付けられた。
だが記録はさらに続く。
――《最大の災厄は、人間自身が招いた。
古代文明は神すら恐れた兵器を作り出し、互いを滅ぼすために解き放った。
それを〈禁忌戦争〉と呼ぶ。
星を焦がす炎。
時を逆流させる術。
魂を兵器に組み込む禁呪。
彼らは知識に酔い、誇りを失い、己の文明を自ら焼き尽くした》
ネルフィの小さな拳が震える。
「……人間が……自分で……ここまで……」
胸が痛かった。
だが――彼女は目を逸らさなかった。
唇を噛み、涙で濡れた瞳を力強く上げる。
「だったら私は――絶対に繰り返さない。
禁忌の力じゃなく、未来を守る力を作る。
オルディナを、アストレイアを……守るんだ!」
その決意の声は、石造りの空間全体に響き渡った。
背後から、静かな気配。
レオンが歩み寄り、彼女の肩に手を置く。
「……お前がその知識を背負うなら、俺は隣で剣を振るう。
呪われたこの力だって……お前のためなら使える」
ネルフィの瞳が揺れる。
彼の「腐蝕」の呪いを知っている。
制御を誤れば暴走する恐ろしい力。
けれど、それをエネルギーへと変える道を自分が見つければ――彼の存在は、未来を切り拓く力に変わる。
さらにアルスが人間体で姿を現し、冷静に告げた。
「ネルフィ様。禁忌戦争の記録は、未来への警告でもあります。
知識は刃。だが、それを握る者が正しい選択をするなら――未来は変わる」
ネルフィは涙を拭い、ぐっと頷いた。
「うん……私が変える。
そのための発明をする。
二度と同じ轍は踏まない」
彼女は光の本を閉じ、新しい設計図を広げた。
震える指で最初の線を描きながら、小さく呟く。
「試作機……名前は《アルカナ・レゾナンス》」
レオンが驚き、彼女を見やる。
「……二人乗り……か?」
ネルフィは微笑んだ。
「うん。私とレオンで一緒に操縦する。
レオンの“腐蝕”の暴走エネルギーを動力に変えて、私の錬金魔法で制御する。
それで――世界を震撼させる新しいシステムを作るの」
ネルフィはペンを走らせ、図面に新しい文字を刻む。
「《リアルタイム創成システム》。
戦場で状況に合わせ、即席で武器を錬成して切り替えられる。
剣も、大砲も、盾も、飛行ユニットも……戦場そのものを錬金の工房に変える」
レオンは思わず笑い、少女の髪をくしゃりと撫でた。
「お前らしいな。無茶苦茶だ……でも、確かに世界を変える力だ」
ネルフィは頬を赤らめながら肩を竦める。
「ねぇレオン。アルカナ・レゾナンスの本当の名前、もう少し一緒に考えよう。
だって……これは二人で作るものだから」
レオンは真剣な眼差しで彼女を見返し、静かに頷いた。
二人の視線が重なり、図面の上に見えない誓いが刻まれる。
――古代の知識は、破滅の禁忌ではなく。
未来を守るための希望として、新たな形へと受け継がれたのだった。
◆◇◆◇
◆ アルカナ・レゾナンス ― 限界試験 ◆
アウルディーン=ネクサスの深部。
普段は誰も足を踏み入れることのない封印実験区画が、今夜だけは静かに息を潜めていた。
黒曜石のような天井には、蜘蛛の巣状の光回路が脈動し、心臓の鼓動のように一定のリズムで瞬き続けている。
床面には複数の結界障壁が展開され、戦場を模した障害が立ち並んでいた。
ネルフィは白衣を脱ぎ、深呼吸を一つ。
特製の操縦服を纏うと、布地の内側からひんやりとした感触が背筋を這った。
「……よし」小さく呟く声が、広大な空間に吸い込まれていく。
隣で、レオンが無言で装備を整えていた。
胸元のベルトを引き絞り、剣士のように迷いなく腰を据える。
だがその手の甲には、淡い黒の紋様――彼を蝕む呪いが薄く浮かんでいた。
「本当に……俺でいいのか?」
声は低く、けれど揺れていた。
ネルフィは振り返り、迷いのない瞳で即答する。
「レオン以外にいないよ」
きっぱりと。
「これは二人のための機体。だから――一緒にやるんだ」
漆黒の巨体が、静かに光を帯びて立ち上がった。
――《アルカナ・レゾナンス・プロトタイプ》。
錬金術と魔導工学が融合した未知の炉心が唸りを上げ、背部の推進器から青白い光が迸る。
二人は並んでコックピットに乗り込む。
前席のネルフィは錬金インターフェースを握り、後席のレオンは神経接続レバーに手を置いた。
途端、視界に流れ込む膨大な魔導式。
脳髄を直接揺さぶるほどの情報量が、二人の感覚を同調させていく。
「動力……同期開始!」
ネルフィの声が震える空気を突き抜ける。
彼女の指が走り、魔導陣が鮮烈に展開した瞬間――レオンの胸が熱に灼かれた。
「ぐっ……!」
腐蝕の呪いが蠢き、黒い紋様が腕にまで広がる。
「レオン!?」
振り返るネルフィの声に、彼は荒い息を吐きながらも頷いた。
「……暴走はしない。お前が……抑えてくれるなら!」
轟音。
アルカナ・レゾナンスは初めて大地を踏み鳴らし、床全体を震わせた。
試験用の無人ドローンが数十機、結界から次々と出現する。
ネルフィは額の汗を拭うこともなく叫んだ。
「――リアルタイム創成システム、起動!」
空に奔る錬金式。
次の瞬間、巨腕に“錬金大剣”が形成された。
「レオン!」
「任せろッ!」
斬撃一閃。
光の奔流が走り、ドローン十数機をまとめて両断する。
すかさずネルフィが両手をかざし、錬成陣を組み替える。
大剣が粒子となって砕け散り、瞬時に長距離砲へと変換。
レオンが引き金を引くと、蒼い光弾が一直線に放たれ、障壁を粉砕した。
だが――甲高い警告音が響く。
「エネルギー暴走値、上昇ッ!」アルスの声が通信を揺らす。
レオンの身体を黒い紋様が覆い始める。
「くっ……制御が……!」
ネルフィは迷わず、後ろのシートへ手を伸ばした。
彼の手を、強く握りしめる。
「――大丈夫! 一緒に制御する!」
二人の心拍が同期する。
ネルフィの錬金回路と、レオンの呪いのエネルギーが共鳴し、暴走しかけた炉心が徐々に安定を取り戻していった。
「……っはぁ……!」
「ふぅ……落ち着いたな」
その刹那、最後のドローンが蒼光に飲み込まれて爆散した。
実験区画は一面の煙に覆われ、轟音の余韻が静寂へと変わっていく。
ネルフィは必死に操作盤を叩きながら報告する。
「出力……安定! 制御、停止!」
赤点灯だった警告灯が、ゆっくりと青に切り替わった。
アルカナ・レゾナンスは跪くように静止する。
コックピットの中、荒い息を吐く二人。
「……ギリギリだったな」レオンが呟く。
「あと数秒遅れてたら……暴走してた」ネルフィも胸を押さえ、息を整える。
だが次の瞬間。
シートベルトの固定が外れ、ネルフィの身体が勢いよくレオンの胸に倒れ込んだ。
「きゃっ!?」
「うわっ……!」
至近距離。
ネルフィの額が彼の胸にぶつかり、顔と顔は指先ほどの距離で止まる。
煙の中で青白い光が瞬き、時間が止まったように静寂が訪れた。
「ち、違うの! 今のはアクシデントで――!」
真っ赤になって慌てるネルフィ。
「わかってる」レオンは苦笑しながらも、彼女の手を放さない。
「でも……正直、悪くなかった」
「な、なに言ってるのよっ!」
ネルフィの心臓は炉心よりも激しく脈打ち、暴走寸前。
さっきまでの戦闘制御より、ずっと難しい速さで胸を焦がす。
短い沈黙の後、ネルフィは俯き、かすかに囁いた。
「……ありがと、レオン。あんたが隣にいてくれなきゃ……私は、ここまで来れなかった」
レオンは微笑み、彼女の肩を優しく抱き寄せる。
「……これからも隣にいる。だから、一人で背負うな」
ネルフィは視線を逸らしたまま、唇を尖らせる。
「でも……無茶はやめない。だって、私……もっとすごいのを作りたいんだもん」
レオンは小さく笑い、その手を握り返す。
「なら俺は、無茶するお前の隣で支える」
二人の声が重なり、静かな余韻がコックピットを満たした。
光回路の残滓が淡く瞬き、まるで二人の誓いを刻むかのように揺れている。
――秘密裏の限界試験は成功。
だがこの場に残されたのは、戦闘データだけではなかった。
胸の奥に刻まれた「二人だけの秘密」こそが、最も大きな成果だったのだ。
◆◇◆◇
◆ 日常へ戻る ― 不器用な二人 ◆
限界試験の翌朝。
アウルディーン工房2号店は、まだ正式オープン前の「準備営業」の段階にもかかわらず、すでに人でにぎわっていた。
「いらっしゃいませーっ!」
ティナが看板娘のように元気よく声を張り上げる。試験運用中の小さな売り場だが、その明るさに引き寄せられる客は多い。
バルドは両腕で木材の束を抱え、店先に並べながら「ここ置く?」と短く声をかける。力強い姿に客たちが「おぉー」と歓声を上げ、彼は耳まで赤くして俯いた。
リーは異国訛りの柔らかな声で接客しながら、客同士の言い争いが起こると「喧嘩するなら外で」と拳を軽く鳴らす。その一睨みに客は大人しくなり、すぐに和解。場の空気が自然に笑いに変わる。
ユリウスはすかさず口八丁でまとめる。
「まぁまぁ、ここの商品は全部“掘り出し物”だからな! 買って損なし!」
その調子に客たちは苦笑しつつ財布を開いた。
セレナは会計と店全体の指揮を執り、メリアは在庫の帳簿を整え、ロザンナは冷静にフロアを警備する。
ガレットは工具を片手に棚を直し、ジークは慣れない手つきで客の荷物を運んでいた。
マルタは仮設厨房から香ばしい匂いを漂わせ、双子の受付嬢レイナとエレナは「番号札、こちらです!」「次のお客様どうぞ!」と声を合わせる。
――そして店の一角。
ネルフィとレオンは、黙々と荷物整理をしていた。
ただの仕分け作業――のはずが、二人ともどこかぎこちない。
ネルフィが木箱を持ち上げようとすると、レオンが反射的に手を伸ばす。
「……重いだろ、俺が持つ」
「へ、平気だってば!」
意地になったネルフィは持ち上げるが、箱の角で指をぶつけてしまい、「いたっ」と声を上げる。
すぐにレオンがその手を取った。
「見せて……ほら、赤くなってる」
大きな掌に包まれると、ネルフィの頬は瞬く間に真っ赤に染まる。
「だ、大丈夫! ちょっとぶつけただけ!」
強がるが、昨日の「限界試験」での至近距離の出来事が頭をよぎり、まともに目を合わせられない。
レオンも同じだ。
ただ指先を握るだけなのに、胸の鼓動が異様に速い。炉心の暴走よりも抑えにくい心臓の早鐘に、自分でも戸惑っていた。
「……ありがと、レオン」
小さく呟いたその一言に、レオンの耳まで赤く染まる。
「べ、別に……仲間だから当然だ」
だがネルフィはぷいと横を向き、頬を膨らませる。
「……仲間、ねぇ。ふーん」
からかうような声に、レオンはますます言葉を失った。
二人のやり取りを、カウンターの奥からセレナが鋭い視線で見ていた。
腕を組み、ニヤリと笑みを浮かべる。
「ふぅん……“仲間”ねぇ」
ティナやガレットたちも、いつの間にか二人を見てクスクス笑っている。
「青春だなぁ……」ガレットがぼそりと呟き、ジークが真っ赤になりながら「い、いや! 見ない方が!」と慌てていた。
「ち、違うからっ!」
ネルフィとレオンが同時に叫び、顔を真っ赤にして慌てる姿に、工房の仲間たちの笑い声が重なる。
――戦場では冷徹に判断を下す発明家と、
その隣で命を賭して剣を振るう騎士。
けれど日常に戻れば、ただの不器用な二人。
互いの存在を強く意識しながらも、まだ素直になりきれない。
そのぎこちなさこそが、工房の日常を温かくしていた。
◆◇◆◇
◆ 不安の影 ― 途絶えた通信 ◆
その夜。
工房の喧噪がようやく収まり、仲間たちが疲れを癒すように眠りについた頃。
ネルフィだけは眠りにつけず、ひとりアウルディーン=ネクサスの奥深く――古代図書施設に足を運んでいた。
無数の光の書物が静かに浮遊し、青白い光を放っている。
だが、彼女の胸に広がるざわつきは、知識の海に触れても決して収まらなかった。
机の上に置かれた水晶通信器。
ネルフィはそれを食い入るように見つめ、やがて小さな声を漏らす。
「……リュシェルと、連絡が取れない」
石壁に反響した自分の声が、やけに大きく響いた。
いつもなら数日に一度、王都から届く賑やかな声。
「ネルフィ〜! 聞いてよ!」と、取り留めのない愚痴や噂話が夜を彩っていた。
だがここ数日は、まるで時間が止まったかのように沈黙が続いている。
「忙しいだけ……ならいいんだけど」
口に出した瞬間、胸がきゅっと痛んだ。
言い訳のようで、自分に嘘をついているようで――。
ネルフィは小さな手を強く握りしめた。
「……まさか、帝国に……」
嫌な予感が喉まで出かかる。
その時、背後から控えめな足音が近づいた。
「ネルフィ」
振り返ると、レオンが立っていた。
寝間着の上から外套を羽織り、髪は少し乱れたまま。
表情には心配と、彼女を責めるつもりのない柔らかさが滲んでいた。
「また、一人で考え込んでたな」
ネルフィは慌てて視線を逸らし、肩をすくめる。
「べ、別に。ただ……ちょっと、ね」
「リュシェルのことだろ?」
あまりに的確な言葉に、ネルフィは息を呑んだ。
「……なんでわかるの」
「顔に出てる」
レオンは苦笑し、彼女の隣に腰を下ろした。
「俺だって心配だよ。でも……お前が潰れちまう方が、もっと怖い」
その言葉に、ネルフィの胸が熱くなった。
「……ずるいな、レオン」
「何が」
「そうやって……隣にいるって言ってくれるの。……安心するから」
かすれた声は本音だった。
彼女は強がりをやめて、素直に気持ちを吐き出してしまった。
レオンは少し照れたように視線を逸らしながらも、ネルフィの手を取った。
温かく、大きな掌。戦場で幾度となく剣を振るいながらも、この手だけは彼女を優しく包み込んでくれる。
「安心していい。……何があっても、俺は隣にいる」
ネルフィは唇を噛み、目を伏せる。
次の瞬間、彼の手を強く握り返した。
「……ほんとに? どんなことがあっても?」
「どんなことがあっても」
レオンは迷いなく答え、彼女の瞳をまっすぐに見つめた。
沈黙の中、二人の心拍がゆっくりと重なっていく。
古代図書施設の光は淡く瞬き、まるで二人の不安を少しでも和らげようとするかのようだった。
けれど、ネルフィの胸の奥にはまだ不安の棘が残っていた。
リュシェル――幼馴染であり、親友であり、この世界で最も大切な絆のひとつ。
その声が途絶えた意味を、帝国の影と結びつけずにはいられなかった。
「……リュシェル、お願いだから無事でいて」
小さな祈りは、静かな空気に吸い込まれて消えていく。
だがその時すでに、遠く王都エリムハイドでは異変の歯車が動き出していた。
ネルフィもレオンもまだ知らない――嵐は確かに迫っていた。
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