古風な二人

八島唯

第1章 目覚める二人

第1話 二人で二つの世界

 もう少しで夏休みが来ようとしている。

 教室の窓の外をじっと見つめる少女。

 にぎやかな休み時間、少女はただ外を見つめていた。

「イちゃん」

 自分の名前を呼ぶ声。

「次の時間、移動教室だからそろそろ移動しない?」

 イと呼ばれた少女はゆっくりと立ち上がる。草野イ、それが彼女の名前である。

 長い黒髪。それが机の上に流れる。

『高校二年生の夏休み、何するか決めた?』

『東京に遊びに行く!』

『予備校の夏期講習に行かないと......』

 廊下を通ると、いろいろな声が聞こえる。

 私立清萩学園高校。男子よりは女子の数が多い。聞こえてくる声は少女のものがほとんどだった。こういう学校では男子は肩身が狭いものである。

 そうすると活発な子も出てきやすいもので。

「ふぎゅ!」

 いきなり背中に衝撃を感じるイ。誰かが後ろから勢いよく跳び上がり、相手の背を飛び越えて、目の前にすっと着地する。

「やっほ!イ!廊下の真ん中、ぼーっとして歩いていちゃだめだぞ」

 周りがざわめく。

 声の主はこの学園でも有名人――イの友人でもある永井憂衣那、その人であった。

「......人をまたぐのやめろといっただろう......」

 やや切れ気味にイは吐き捨てる。明らかに『怒り』の表情だ。

「えー、しょうがないよね。かわいいのがゆっくり歩いていると飛び越えたくなるよね、ねー」

 周りの女子たちに、憂衣那は同調を求める。

 わーと歓声が上がる。

 憂衣那は人気者だ。

 ちょっとくすんだ髪色を短く整え、身長は高め。運動ではこの学校一番といってもよい能力の持ち主である。

 女子高ではないが、大多数の女子たちには『王子様』的な扱いを受けていた。

 一番の友人であるイを除けば。


 授業が終わり、図書館に足を運ぶイ

 この時間こそが、彼女にとって何よりの幸福な世界であった。

 誰もいない図書館。今日は図書委員もさぼっていないようだ。

 普段はかけない眼鏡を取り出す。

 昨日からの読みかけ。外国文学。

 このような時間があることに、イは何よりありがたく感じていた。

 なぜなら――それこそが、生まれ変わったイが、何よりも強く欲した、たった一つの願いだったから。

「また、一人で読書かい」

 窓の桟に腰を下ろし、くすんだ色合いのショートカットが、夏の風にさらわれてゆく。

 その髪は柔らかく揺れ、頬をかすめては外の陽射しに淡く光った。まるで漫画から抜け出た王子様のような少女。

 その声の主は――憂衣那だった。

「読書中につき、無視します」

 小さな声でそうイは宣言する。

 ふうん、と憂衣那は鼻を鳴らし、床に足をつける。

「まあ、しょうがないよな。これほど平和な時代だ。好きな小説でも読んで暮らしたいと思うのが『普通』だよな」

 そう言いながら、イのそばに近寄る、憂衣那。

「前の世界では殺し合いばかりだったしな。それに比べれば天国だよ、この世界は」

 耳元でささやく憂衣那。イがかすかにふ震える。

「なあ、エリーアス=フォン=ヒルベルト中尉どの」

 きっ、と憂衣那のほうをにらみつけるイ

 憂衣那はその様子をにやにやしながら見つめるのだった。


 回想。

 物心ついた頃からイには、記憶があった。

 それは不思議な世界。

 ヨーロッパ風の世界で、戦争をしている。飛行機や戦車らしきものものがあったから、大昔ではないようだ。

 しかし聞いたことのない地名がたくさん出てくる。

 イはその世界では『男性』であり『軍人』であった。

 エリーアス=フォン=ヒルベルトという名前の軍人。

 年齢は二四歳。貴族の出身だった。

 オストリーバ帝国という国の陸軍中尉。戦争はもう四年も続いていた。

 オストリーバ帝国の周辺諸国を丸ごと敵に回した大戦争。当時の人達は『大陸戦争』と呼んでいた。

 数ヶ月で終わるはずだった戦争は長期化する。

 機関銃や戦車、そして飛行機や毒ガスといった新兵器が登場し、戦争は長期化していった。

 そんななか、前線に派遣されたイ――つまりエリーアス=フォン=ヒルベルト。

 海沿いの陣地で海軍と共同戦線を貼っていた前線であった。

 秘密情報が漏れ、部隊は戦場で孤立する。

 弾薬が尽き、食料も尽きる。降伏するにも敵は狂信的な共産主義者たちである。

 塹壕の奥で壊れた椅子に身を預けるエリーアス=フォン=ヒルベルト中尉。貴族育ちの整った顔は汚れ、軍服も硝煙にまみれていた。

 頭には包帯を巻き、天を仰ぐ。

 部下たちはみな逃げさせた。運が良ければ生き残れるだろう。

 しかし、中隊長たる自分はそうもいかない。

 震える手で煙草に火をつける。

 二三吸いしただけで放り投げ、ホルスターに手をかける。

 大型の軍用銃。最後の射撃が自分の頭になるのかな、とすべてをあきらめトリガーに手をかける――

 その瞬間、手から拳銃が消える。

 驚いて目を開けると、そこにいたのは――戦友の姿であった。

「危ないねぇ、もう少しだった」

「......返せ」

「いやだね」

 目の前の人物――所属こそ違うものの、偶然この戦場で一緒に戦うことになった『昔から』の友人である。

「海軍少佐ローベルト=フォルクヴァルツとして命令する。エリーアス=フォン=ヒルベルト中尉、生きて復讐を果たせ」

 厳格な物言いの後に、破顔するローベルト。黒く焼けた肌とあいまって、まるで少年のようにも見える無邪気さである。

「まあ、それはともかく、逃げるぞエリー」

「その呼び方はやめろ」

 いまいましそうにエリーアスは吐き捨てる。どうやらかなり親しい仲らしい。

「......腹に一発食らってしまった。動脈ではないが、足が動かない。だからここで自決することにした」

「なんだ、そんなことか」

 そういいながらローベルトはよいしょっと肩にエリーアスを担ぐ。大きなローベルトの背中がエリーアスには見えた。

「逃げるぞ。痛いのは少し我慢しろ。最愛の親友にこんなつまらん戦場で死なれちゃかなわん」

 そういいながらローベルトは走り出す。肩にエリーアスをまるで人形のようにかつぎながら――



「あの時、助けてやったろう」

 放課後の図書室。夕方の赤い空を背に、窓のさんに手をかけながら憂衣那は回想する。くすんだ色の髪が風に揺れる。それをそっと抑えながら。

 戦場の記憶。

 それは現代ではなく、日本でもなくどこかほかの世界。

 その世界の名前はローベルト=フォルクヴァルツ――この世界では永井憂衣那。

 顔をしかめる、草野イ

 彼女こそか、一命を助けられたエリーアス=フォン=ヒルベルトの記憶を持つ少女である――

 

 

 

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