妖祓い師

「迷子」の鹿

第1話

東国の山々は連なり、尽きることがない。

その中で人々が最も畏れ敬うのは――**蒼穹山(そうきゅうざん)**であった。

この山は七つの峰が聳え、雲霧に包まれる。晴れの日には絵のように美しく、曇りの日には獄のように陰惨。人々が仰ぎ見れば、峰の上には白雲が渦巻き、まるで神の宮殿のごとし。だが、凡俗の者でそこに登った者は一人としていない。

その威容ある山麓五十里の地に、寂しい村があった。名も平凡な――草祠村(そうしむら)。

村には四十余りの家があり、男は木を伐り、女は薬草を採り、子供たちは山林で追いかけっこをする。人々の心は素朴だが、蒼穹山に対しては畏れを抱いていた。なぜなら時折、山から蒼穹院の弟子たちが現れるからだ。

彼らは**狩衣(かりぎぬ)**をまとい、**符を駆使し、風を御して(かぜをぎょして)山嵐の中を駆け下りる――妖を祓い、祟りを鎮める。村人たちはいつしか彼らを「山の神人(やまのしんじん)」**と呼び、仙人のように敬った。

だが、この日の草祠村の静けさは破られた。

――空は曇り、黒雲が西の峰から押し寄せる。陽光はまるで巨獣に呑まれたかのように消え、村の鶏犬は一斉に騒ぎ立てた。

「止めろ! 止めるんだ――!」

叫び声が村の東から響いた。

一本の角を持つ黒い山羊が、柵を破って飛び出したのだ。赤く濁った眼を光らせ、四つの蹄を乱打させて荒野へと駆けていく。

木杭はへし折られ、柵は粉々に砕け、土埃が舞い上がる。

数人の子供たちが後を追っていた。竹竿や木の棒を握りしめ、必死に叫ぶ。

先頭を走るのは十歳の少年。眉目は整い、瞳は星火のように輝く。彼の名は玄次郎(げんじろう)。幼いながら森で狩りをし、同年代よりはるかに胆力があった。

「左から回り込め!」と走りながら声を張る。

その後ろを、八歳の小柄な少年が必死に追う。彼は小凡丸(こぼんまる)。息は荒く、今にも転びそうになりながらも食らいついている。顔は真っ赤に上気し、額から汗が滴り、竹竿を握る手は震えていた。

「ぼ、僕がやってみる……!」と声を震わせながらも離れまいと必死だった。

他の子供たちは息も絶え絶えで泣きそうになっていた。黒山羊の脚は速く、このままでは森に逃げ込んでしまう。

玄次郎は叫んだ。

「凡丸! あの山に入ったら、村の皆に殺されるぞ!」

小凡丸の胸は“どきり”と跳ねた。

あの黒山羊は他人のものではない。彼の家にとって唯一の家畜。父はいつも言っていた――この羊一頭で米も塩も手に入る、まさに家族の命の根。もし失ったら……両親は決して許さないだろう。

胸を焦がした小凡丸は、気力を振り絞り、羊の角めがけて突進した。

その時――山羊は突然、村の東にある廃れた祠へと飛び込んだ。

かつて神を祀ったとされる小祠。だが長き年月のうちに像は崩れ、香火は絶え、瓦は崩れ、草が覆い尽くしていた。

村の子供たちは普段近寄ることを恐れ、「幽霊が出る」と噂していた。だが今は必死で、躊躇なく駆け込む。

「ドン――!」

黒山羊の角が古びた扉を打ち砕き、冷たい**陰風(いんぷう)**を伴って祠に突入する。

子供たちも飛び込み、目にしたのは――

崩れかけた神像の胴体、砕け落ちた首、塵に覆われた表面。蜘蛛の巣が垂れ、草が生え放題。天井の穴からは雨水がぽたりと落ち、虚ろな空間に響いて太鼓のように鳴った。

「めぇ――!」

黒山羊は鳴き、突然立ち止まった。見えぬ壁にぶつかったかのように硬直し、四肢を震わせる。

子供たちが追いついたその刹那――

冷たい風が全身を包み、骨の髄まで凍える。

「……りん・びょう・とう・しゃ・かい・じん・れつ・ざい・ぜん……」

低く古びた呪声が、寂しい祠の中に響き渡る。声は決して大きくない。だが耳元で轟くかのようで、子供たちの心臓を激しく打ちつけた。

玄次郎ははっと立ち止まり、顔を蒼白にして竹竿を取り落とす。

「だ、誰だ……誰が呪を唱えているんだ……!」

仲間たちは互いに身を寄せ、震え上がる。小凡丸は大きく目を見開き、冷や汗に全身を濡らした。

黒山羊は再び鳴き、だが恐怖に怯えながら後退する。まるで目の前に、目には見えぬ恐ろしい存在が立ちはだかっているかのようであった。

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