覚悟という錯誤

森本 晃次

第1話 プロローグ

この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和6年6月時点のものです。お話の中には、事実に基づいた事件について書いていることもあれば、政治的意見も述べていますが、どちらも、「皆さんの代弁」というつもりで書いております。今回の事件も、「どこかで聞いたような」ということを思われるかも知れませんが、あくまでもフィクションだということをご了承ください。実際にまだ標準で装備されていないものも、されることを予測して書いている場合もあります。そこだけは、「未来のお話」ということになります。さらに今回の「性風俗」というものに関しての考えは、かなり、作者の偏見が入っているところがあるといってもいいでしょう。ご容赦を。つまりは、「架空の物語」ということで読んでいただければ幸いです。


 あれは、梅雨入り前の、五月晴れがそろそろ終わり、じめじめした嫌な季節に入りかかると思った時期だった。いつものように仕事を終えて、ゆっくりとうちに帰ろうとしていた時のことだった。

 一人暮らしの坂上にとって、家に帰ると、寂しいという気持ちがあるくらいの年齢だった。

「彼女でもいればな」

 という思いはまだまだ若い証拠だということであろう。

 年齢的には、32歳。

「結婚したい」

 というところまでは思わないのは、今までに、そんなに彼女がいなかったからであろう。

 彼女がいないというか、女性と付き合ったという経験がほとんどないということからで、実際には童貞ではなかったが、それは、あくまでも、

「素人童貞だ」

 というだけであった。

「お前、30歳にもなって、女を知らんのか?」

 と、会社の先輩が、忘年会のある日、そう声をかけてきたからだった。

「ええ」

 というと、

「情けないな、寂しいとは思わんのか?」

 と言われるので、

「そうですね」

 と曖昧に答えた、

「寂しいという気はあまりなかったが、女を抱いてみたいという気持ちは、他の男並みにある」

 といってもいいだろう。

 ただ、気持ちとしては、それ以上でもそれ以下でもないという、実に薄っぺらいもので、女を抱くということに対しては、興味はあるが、だからといって、

「女性を付き合いたい」

 とまでは思わなかった。

 つまり、

「女性は性欲処理」

 という程度にしか思っていなかった。

 そんな坂上の様子に、先輩は気づいたのかも知れない。

「一度くらい、女を抱いてみてもいいんじゃないか? お前みたいなやつのために、風俗というのはあるのさ」

 ということだった。

「風俗」

 と、少し顔をゆがめた。

 女性を、性欲処理としてしか見ていないくせに、風俗というものを毛嫌いしていた。坂上の中には、そんな

「精神的な矛盾」

 というものがあった。

 その矛盾の正体は、

「根性なし」

 なところが見え隠れしているということで、ただ、

「意気地なし」

 ということでもないようだ。

 いつも、どこかにあきらめの心境があり、

「何をどうしていいのか分からない」

 という気持ちが根底にある。

 そうなると、

「何もできない」

 と考えたとしても、それは無理もないことなのであった。

 友達の中には、

「風俗はいいぞ」

 といっているやつもいて、本当であれば、そんなやつも毛嫌いするのが普通なのかも知れないが、毛嫌いするよりも、却って一緒にいないと、却って寂しさを増幅してしまいそうで、そのために、

「友達というのはいるんだ」

 と思っていた。

 だから、坂上という男は、まわりの人間の存在を、必ず、自分に対してどのような立場なのかを考え、その相手を遠ざけるか、一緒にいることにするのかを、推し量っているのであった。

 まわりが、どう坂上のことを思っているのか、自分では分からない。

 少なくとも、

「まわりも俺のことを利用しているんだろうな」

 と思うと、

「お互い様なんだ」

 と感じるのだった。

「人間関係なんて。お互いに、利用し、利用しあうものさ」

 と考えるようになったのは、いつからだったのだろう?

 そんなことを考えていると、虚しさのようなものが沸いてくるのだが、その気持ちを感じる間もなく、

「何もしたくない」

 という気持ちに変わっているのだった。

「何もしたくない」

 と感じることで、

「それは、何をしていいのか分からない」

 ということであり、それが生きていく上で、

「自分を疑心暗鬼にさせるんだ」

 と感じた。

 何をしていいのか分からないから、寂しさを感じても、あまりまわりとかかわりたくないと思うのだった。

 だから、友達というのはいても、親友はいない。

 親友というものは、お互いに束縛しあうような関係にあっても、それでもいいと思える相手でないとお互いに務まらないと思っていた。

 坂上にとって、そんな人はおらず、当然、坂上に対して、そんな律儀な思いを持ってくる相手がいるはずもなかった。

「親友というのは、お互いに気持ちが通じ合ってこその親友だ」

 ということは、理屈で分かっているからであった。

 だから、友達というと、

「挨拶をしあうだけの相手」

 というものか、それとも、

「お互いに利用価値であったり、利害関係の一致した相手を友達というのだ」

 ということで、そもそも、

「その時だけの関係」

 と考えていた。

 だから、

「幼馴染」

 であったり、

「十年来の友達」

 などというのは信じられない。

 もちろん、信じられないという顔を見せたりはしないが、心の中では、本当に信じられないと思うのであった。

 だから、

「今までで友達が多かった時期」

 というと、

「受験時期」

 であったり、

「大学時代の就活時期」

 だったりしたのだ。

 お互いに、

「情報というものが必要で、それを補い合える人を、相手も求めている。これこそ、利害関係の一致」

 ということで、これこそが、

「お互いを補い合える関係だ」

 といっていい。

 しかし、実際に、受験や就活が終わってしまうと、それまでだった。待っているのは、

「新しい生活」

 ということで、そこにはまた別の仲間がいることになる。

 そう。坂上にとっての、

「友達」

 というのは、

「お互いを補い合い仲間」

 ということになるのだ。

 だから、

「自分にとって必要なのは、友達ではなく、仲間なんだ」

 と思っていた。

 しかし、就活などの時には、一人の孤独が身に染みた。

 受験の時の勉強は一人でもできるが、就活は、お互いに助け合い、情報を出し合わないと成功しない。

 逆に勉強は一人でするもので、就活は、仲間がいないと、うまくいかない。

 それは、就活は、

「自分の進む道を見つけるものだ」

 ということだからだ。

 つまりは、就職することも大切だが、就職から先が、

「自分の進む道」

 つまりは、就活とは、それを見つけることなのだ。

「学力というものだけで、ランクを分けられる受験とは違い、就職は、文字通り、一生の選択」

 といってもいいだろう。

 いくら、

「終身雇用」

 などというのは、

「あってないようなものだ」

 と言われているが、まさにその通りなのだろう。

 大学を卒業して、そこからが、

「人生の本番」

 と言われるが、そこから先が、

「自分の進む道」

 ということだからだ。

 なんといっても、

「働くということは、お金をもらう」

 ということであり、金を出して勉強する学生時代までとは、まったく違うものなのだ。

 坂上は、そのことは、いやというほど分かっていて、

「できれば、社会人になんかなりたくない」

 と思っていた。

「社会というのは、そんなに甘くない」

 というもので、その理由として、

「自分がやりたいことができないからだ」

 ということであった。

「そもそも、30歳を過ぎた今でも、自分が何をしたいのか? ということが分かっていないのだから、世話ないわ」

 と思っていた。

 だからなのか、就職してから、

「思ったよりも、会社で仕事をすることが嫌ではないな」

 と感じていた。

 むしろ。

「普通にしていれば金ももらえるんだから、別にいやじゃないか」

 と思っていた。

「上司のいうことを、ただやっていればいい」

 ということで、

「そこに、感情さえ働かなければ、いやに感じることもないだろうな」

 ということであった。

 別に、

「誰かに褒められたい」

 という気持ちであったり、

「上司から嫌われたくない」

 などという感情さえ持たず、

「ただ言われたことをやっていればいいんだ」

 と思っていれば、それでいいのだ。

「若いうちであれば、何か失敗しても、上司がかばってくれる」

 と思っていた。

 逆に、自分の保身に走る上司は、さらにその上から叱責され、へたをすれば飛ばされる。そんなことを見ていると、

「俺は上司にはなりたくないな」

 と思ったが、それでも、まだ。

「年功序列」

 というものは存在していて、適当にやっている自分も、27歳になれば、主任という肩書がついたのだった。

 主任というと、管理職ではないが、少なくとも、

「下に部下が付く」

 ということになる。

 そして、

「第一線の責任者」

 という意味の肩書だということが分かると、

「なってみると、悪くもない」

 と感じていたのだ。

 これが、係長ということになると、今度は、

「現場の責任者」

 ということになる。

 仕事にもよるが、

「現場の中に、さらに部署があり、それが、一つの部隊」

 ということで、第一線というのは、坂上にとって、居心地のいいところであった。

「ということは、この仕事を好きだということなんだろうか?」

 と考えた。

 そもそも、

「何かを作る」

 ということが好きだった坂上は、大学を卒業してから入った会社で、最初は、漠然と、

「が通ってきた道」

 ということで、

「営業志望」

 ということを言ってきた。

 しかし、実際に配属が決まると、そこは、システム開発というところだったのだ。

 最初こそ、違和感があった。

 学校で、パソコンの授業で、早々に脱落したという苦い経験があったからだが、実際に赴任してやってみると、

「思ったよりも、謙虚な気持ちで打ち込める」

 という、最初の勉強期間に、少しびっくりしていたのだ。

 というのは、

「お金をもらっているからだ」

 と考えるようになった。

「学生時代というのは、親が出してくれたお金で勉強していたので。どこか、勉強というものが押し付けられていると感じていたのだ」

 それも当たり前で、

「受験勉強」

 というものこそ、

「押し付けというものの元凶だ」

 と思っていたからだ。

 しかし、お金をもらって働いていると思うと、押し付けられているという感覚ではなく

「やればやるほど金になる」

 と思うようにしていたことが、システムの勉強に、謙虚な姿勢になれるのであった。

 実際に、覚えるたびに、

「偉くなった気分になる」

 という感覚があったのだが、それをどうして感じたのかというと、

「学校であれば、皆が勉強することであるが、会社に入ると、その中で、選ばれた人間が勉強する」

 という専門性というものを感じさせられたからだった。

 それを思うと、大学時代にも同じ専門性があったはずなのに、そこまで感じなかったのは、やはり、

「金に対しての立場」

 というものだろうと考えたのだ。

 だからといって、坂上が、

「守銭奴」

 というわけではなかった。

 別に小金をためているというわけでもなく、逆に、

「もらった分は、使い切っている」

 といってもよかった。

 貯金しようと思うとできないわけではないが、

「いつの間にか使い切っている」

 というところであろうか。

 だから、

「お金に困る」

 ということはないが、

「金に執着する」

 ということもない。

 確かに、

「金をもらうことで仕事に謙虚になれはするが、それだけのことであり、あくまでも金というのは、もらえる」

 という事実だけが、坂上に与える精神的な考えであった。

 坂上という男は、30過ぎになるまで、彼を知っている人から見れば、

「仕事人間」

 と見えたかも知れない。

 勉強などは謙虚であったが、仕事に関しては、そこまでまじめということではなかった。

 ただ、出来上がったものに対しての思い入れはあったが、それは、他の同僚と、ほとんど変わるものではなかった。

 だから、

「仕事をしているとはいえ、充実感は得られるが、満足感を得ることはできない」

 といってもいいだろう。

 それを考えると、

「学生時代に自分に感じていた、ものぐさな感覚を、働き始めても、時々感じている自分がいる」

 というのを思うようになったのだった。

 そんな坂上を、先輩は、

「じゃあ、童貞を卒業させてやろう」

 と言われ、昔であれば、

「面倒くさい」

 と思ったかも知れないが、

「童貞である必要もない」

 ということで、

「これはせっかくの機会」

 ということで、断ることはしなかった。

 ここで断ってしまうと、

「本当に一生童貞かも知れないな」

 と思ったのだ。

 別に童貞でも構わない」

 とずっと思ってきたが、先輩に声を掛けられた時、急に、

「捨てるなら今だ」

 と思ったのであって、それが、

「捨てるのはいまだ」

 と感じたのが、

「別に童貞でもいい」

 と感じるよりも

「一瞬前だった」

 ということが、その理由だといってもいいだろう。

「そっか、物事を判断する時というのは、いつも、裏表を考えて、先に来た方を選んでいるのかも知れないな」

 と考えた。

 そして、

「だから、あとから来た方を意識しないわけで、選択するというのは、どこか曖昧なところがあるというのは、そういうところなのかも知れない」

 と思った。

 本当であれば、いろいろ考えて悩むだろう。

 だが最後には、どこかで決めなければいけない。

 それを、

「覚悟」

 というのだろうが、その覚悟をするためには、一度は、

「裏表を通したすべてを見ないといけない」

 ということになり、

「実際に見ているのか見ていないのか、意識することなく、最後は自分で決めている

 ということになる。

「最後にその決定を考えるのは、あくまでも、自分の考えであり、その考えを決定する時、意識がないのも、人間の特徴なのかも知れない」

 と考えた。

 その時、先輩がどのようなつもりだったのか分からないが、その時、坂上は、

「何かうろこが落ちた」

 という気がした。

 それを、

「相手が与えてくれたものなのか?」

 それとも、

「自分で感じたことなのか?」

 ということを考えると、

「どちらにしても、相手は誰であってもいいというわけではない」

 と感じた。

「だからこそ、そのきっかけを与えてくれた人に感謝すべきであり」

 ひょっとすると、

「友達になれるかも知れない人なのかも知れない」

 ということを考えてしまうのだ。

 ただ、先輩だったので、そこまでは感じなかったが、その時の感覚が生まれたことで、それからすぐに友達ができた。

 実際にその友達というのは、

「俺も、ずっと友達がいなかったからな」

 ということで、

「どこか、他人のような感じがしないな」

 ということを言い合うような仲だったのだ。

 他人のような気がしないというのは、相手も同じことを思っているようで、そのことを相手から言われて、坂上は、有頂天になった。

 それは、

「自分が考えていることを相手も考えていた」

 ということであり、

「まさに、こういう関係を友達というんだろうな」

 と感じたからだった。

 友達というものを初めて持ったことで、

「何かが変わるかも知れない」

 と感じるのだった。

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