第22話 未来を写すシャッター
灯台の最上階。
舞い踊る光の粒子が示す、あまりにも残酷で、しかし、あまりにも優しい解決策。
俺のカメラと、灯の写真。
それを「供物」として捧げ、暴走した俺の「願い」を、新しい「覚悟」で上書きする。
俺は、自分の首からぶら下がる、黒くて、冷たい金属の塊を、そっと握りしめた。
こいつは、ただの機械じゃない。
妹の
ループの中では、真実を写すための武器にもなった。
これを、手放す。
それは、俺の半身をもぎ取られることに、等しい。
一瞬、ためらった俺の心を、見透かしたように、隣に立つ
「……だめだよ」
「え?」
「私のせいで、遥斗くんの大切なものを、奪うなんて。そんなの、だめだよ。だったら、私、このままでいい。誰かが不幸になるくらいなら、もう、どこにも行かない。誰にも会わない。ずっと、家にいるから……」
彼女の瞳から、涙がこぼれ落ちる。
自分の「幸運」が、他人を傷つける呪いであると知った彼女が、どれほどの罪悪感に苛まれているか。
その優しさが、痛いほどに伝わってくる。
だからこそ、俺は、もう迷わなかった。
◇
俺たちは、灯台の冷たい螺旋階段を、ゆっくりと降りていた。
「……灯」
俺は、彼女の前に回り込むようにして、立ち止まった。そして、彼女の涙で濡れた頬を、そっと指で拭った。
「本当にいいの? カメラ、なくなっちゃうんだよ。遥斗くんにとって、それがどういうものか、私、知ってるよ……」
「いいんだ」
俺は、真っ直ぐに彼女の瞳を見つめ返した。
「俺はもう、ファインダー越しに世界を見る必要はないから。昔は、怖かったんだ。この目で、直接、現実を見るのが。でも、今は違う。俺には、お前がいる」
「遥斗くん……」
「この目で、直接、お前の笑顔を見ていたい。お前が泣いてたら、抱きしめたい。カメラなんていう、フィルターは、もういらないんだ」
それは、俺の、偽らざる本心だった。
「それに、これは犠牲じゃない。選択だ。俺が、選びたい未来のための。……お前と、共に生きていく、未来のためのな」
俺の言葉に、灯は、声を上げて泣きじゃくった。そして、俺の胸に、強く、顔を埋めた。
俺は、そんな彼女の背中を、ただ、優しく撫でてやることしかできなかった。
覚悟は、決まった。
◇
問題は、どの写真を、奉納するか、だった。
俺の部屋。パソコンのモニターには、これまで撮りためてきた、灯の写真が、何十枚も、何百枚も、映し出されていた。
二人で、その一枚一枚を、見返していく。
初めて会った、踏切での、あの奇跡のような一枚。
夏祭りの夜、花火を見上げる、儚げな横顔。
ループが終わった後の、日常の中の、穏やかな笑顔。
その全てが、俺たちの戦いの軌跡であり、宝物だった。
「……どれも、綺麗だね」
灯が、ぽつりと呟いた。
「ああ」
「でも……」
彼女は、何か言いたそうに、俺の顔を見た。俺も、同じことを考えていた。
ここに写っているのは、全て、「過去」の綾瀬灯だ。
俺たちが灯台の「意志」に示さなければならないのは、過去への執着じゃない。未来への、覚悟だ。
『灯に、ただ、生きていてほしい』という過去の願いを上書きするためには、過去の写真では、力が足りないのかもしれない。
俺は、パソコンの電源を落とすと、決意を込めて、立ち上がった。
「撮りに行こう」
「え?」
「今から、撮るんだ。俺たちの、未来のための、最高の一枚を。……そして、それが、このカメラで撮る、最後の写真だ」
俺たちは、夜の町へと駆け出した。
最高の写真を撮るために。
俺たちの、思い出の場所を、巡るために。
誰もいない夜の学校。笑いながら、廊下を走った。
初めてデートした、あのカフェのテラス席。もう一度、同じ場所に座ってみた。
そして、最後に辿り着いたのは、あの夏、二人で初めて花火を見た、神社裏の、小さな丘の上だった。
◇
季節は、もう秋。
夏の夜のような、蒸し暑さはない。空気が澄み渡り、眼下に広がる町の夜景が、宝石箱のように、どこまでもきらめいていた。
俺は、黙って、カメラを三脚にセットした。
これが、このカメラでシャッターを切る、本当に、最後の儀式。
不思議と、寂しさはなかった。
むしろ、卒業式を控えたような、晴れやかな気持ちだった。
俺は、カメラの前に立つ灯に、向き直った。
「灯。笑ってくれ。世界で一番、最高の笑顔で」
「……うん」
灯は、こくりと頷いた。その瞳には、うっすらと涙が浮かんでいる。でも、彼女は、唇の端をきゅっと引き上げると、これまで俺が見た中で、一番、美しく、そして、力強い笑顔を、見せてくれた。
それは、ただの笑顔じゃない。
悲しみも、絶望も、全てを乗り越えた先に咲いた、希望そのもののような、笑顔だった。
俺は、ファイン-ダーを覗かなかった。
この目で、彼女の笑顔を、魂に焼き付けるように、じっと見つめながら。
セルフタイマーのボタンを、押した。
十秒のカウントダウンが、始まる。
俺は、カメラの横に駆け寄り、灯の肩を、そっと、優しく抱いた。
『――カシャッ』
静寂な夜の丘に、最後のシャッター音が、澄み渡るように、響いた。
俺たちは、二人、身を寄せ合って、カメラの液晶モニターを覗き込んだ。
そこに写っていたのは。
満点の星空と、町の夜景を背景に。
寄り添いながら、未来だけを見つめて、微笑んでいる、俺と、灯の姿だった。
過去の、どの写真とも違う。
希望と、覚悟に満ちた、完璧な一枚が、そこにあった。
「……行こうか」
俺は、プリントアウトしたばかりの、まだ温かい写真と、カメラを、鞄にしまった。
「うん」
灯が、俺の手を、強く握り返す。
俺たちの未来を、迎えに。
二人で、あの白い灯台へと、再び、歩き出した。
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