第22話 未来を写すシャッター

灯台の最上階。

舞い踊る光の粒子が示す、あまりにも残酷で、しかし、あまりにも優しい解決策。

俺のカメラと、灯の写真。

それを「供物」として捧げ、暴走した俺の「願い」を、新しい「覚悟」で上書きする。

俺は、自分の首からぶら下がる、黒くて、冷たい金属の塊を、そっと握りしめた。

こいつは、ただの機械じゃない。

妹の美月みつきを失って、色褪せた世界の中で、俺が唯一、現実と繋がることを許してくれた、命綱のようなものだった。

ループの中では、真実を写すための武器にもなった。

これを、手放す。

それは、俺の半身をもぎ取られることに、等しい。

一瞬、ためらった俺の心を、見透かしたように、隣に立つ綾瀬あやせあかりが、震える声で言った。


「……だめだよ」

「え?」

「私のせいで、遥斗くんの大切なものを、奪うなんて。そんなの、だめだよ。だったら、私、このままでいい。誰かが不幸になるくらいなら、もう、どこにも行かない。誰にも会わない。ずっと、家にいるから……」

彼女の瞳から、涙がこぼれ落ちる。

自分の「幸運」が、他人を傷つける呪いであると知った彼女が、どれほどの罪悪感に苛まれているか。

その優しさが、痛いほどに伝わってくる。

だからこそ、俺は、もう迷わなかった。



俺たちは、灯台の冷たい螺旋階段を、ゆっくりと降りていた。

「……灯」

俺は、彼女の前に回り込むようにして、立ち止まった。そして、彼女の涙で濡れた頬を、そっと指で拭った。

「本当にいいの? カメラ、なくなっちゃうんだよ。遥斗くんにとって、それがどういうものか、私、知ってるよ……」

「いいんだ」

俺は、真っ直ぐに彼女の瞳を見つめ返した。

「俺はもう、ファインダー越しに世界を見る必要はないから。昔は、怖かったんだ。この目で、直接、現実を見るのが。でも、今は違う。俺には、お前がいる」

「遥斗くん……」

「この目で、直接、お前の笑顔を見ていたい。お前が泣いてたら、抱きしめたい。カメラなんていう、フィルターは、もういらないんだ」

それは、俺の、偽らざる本心だった。

「それに、これは犠牲じゃない。選択だ。俺が、選びたい未来のための。……お前と、共に生きていく、未来のためのな」

俺の言葉に、灯は、声を上げて泣きじゃくった。そして、俺の胸に、強く、顔を埋めた。

俺は、そんな彼女の背中を、ただ、優しく撫でてやることしかできなかった。

覚悟は、決まった。



問題は、どの写真を、奉納するか、だった。

俺の部屋。パソコンのモニターには、これまで撮りためてきた、灯の写真が、何十枚も、何百枚も、映し出されていた。

二人で、その一枚一枚を、見返していく。

初めて会った、踏切での、あの奇跡のような一枚。

夏祭りの夜、花火を見上げる、儚げな横顔。

ループが終わった後の、日常の中の、穏やかな笑顔。

その全てが、俺たちの戦いの軌跡であり、宝物だった。


「……どれも、綺麗だね」

灯が、ぽつりと呟いた。

「ああ」

「でも……」

彼女は、何か言いたそうに、俺の顔を見た。俺も、同じことを考えていた。

ここに写っているのは、全て、「過去」の綾瀬灯だ。

俺たちが灯台の「意志」に示さなければならないのは、過去への執着じゃない。未来への、覚悟だ。

『灯に、ただ、生きていてほしい』という過去の願いを上書きするためには、過去の写真では、力が足りないのかもしれない。


俺は、パソコンの電源を落とすと、決意を込めて、立ち上がった。

「撮りに行こう」

「え?」

「今から、撮るんだ。俺たちの、未来のための、最高の一枚を。……そして、それが、このカメラで撮る、最後の写真だ」


俺たちは、夜の町へと駆け出した。

最高の写真を撮るために。

俺たちの、思い出の場所を、巡るために。

誰もいない夜の学校。笑いながら、廊下を走った。

初めてデートした、あのカフェのテラス席。もう一度、同じ場所に座ってみた。

そして、最後に辿り着いたのは、あの夏、二人で初めて花火を見た、神社裏の、小さな丘の上だった。



季節は、もう秋。

夏の夜のような、蒸し暑さはない。空気が澄み渡り、眼下に広がる町の夜景が、宝石箱のように、どこまでもきらめいていた。

俺は、黙って、カメラを三脚にセットした。

これが、このカメラでシャッターを切る、本当に、最後の儀式。

不思議と、寂しさはなかった。

むしろ、卒業式を控えたような、晴れやかな気持ちだった。


俺は、カメラの前に立つ灯に、向き直った。

「灯。笑ってくれ。世界で一番、最高の笑顔で」

「……うん」

灯は、こくりと頷いた。その瞳には、うっすらと涙が浮かんでいる。でも、彼女は、唇の端をきゅっと引き上げると、これまで俺が見た中で、一番、美しく、そして、力強い笑顔を、見せてくれた。

それは、ただの笑顔じゃない。

悲しみも、絶望も、全てを乗り越えた先に咲いた、希望そのもののような、笑顔だった。


俺は、ファイン-ダーを覗かなかった。

この目で、彼女の笑顔を、魂に焼き付けるように、じっと見つめながら。

セルフタイマーのボタンを、押した。

十秒のカウントダウンが、始まる。

俺は、カメラの横に駆け寄り、灯の肩を、そっと、優しく抱いた。


『――カシャッ』


静寂な夜の丘に、最後のシャッター音が、澄み渡るように、響いた。


俺たちは、二人、身を寄せ合って、カメラの液晶モニターを覗き込んだ。

そこに写っていたのは。

満点の星空と、町の夜景を背景に。

寄り添いながら、未来だけを見つめて、微笑んでいる、俺と、灯の姿だった。

過去の、どの写真とも違う。

希望と、覚悟に満ちた、完璧な一枚が、そこにあった。


「……行こうか」

俺は、プリントアウトしたばかりの、まだ温かい写真と、カメラを、鞄にしまった。

「うん」

灯が、俺の手を、強く握り返す。


俺たちの未来を、迎えに。

二人で、あの白い灯台へと、再び、歩き出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る