第14話 白い灯台の記憶

俺たちの住む町を見下ろすように、岬の突端に立つ白い灯台。

子供の頃は、遠足の定番スポットだったその場所も、新しいGPS航路標識ができてからは役目を終え、今では訪れる者もほとんどいない、寂れた廃墟と化していた。

俺と綾瀬あやせあかりは、草いきれのむせ返る、獣道のような細い坂道を登っていた。

目指すは、あの謎の女性が見つめていたという、白い灯台だ。


「ここに来るの、小学生の時以来だな」


額の汗を拭いながら、俺は言った。


「私も。なんだか、探検みたいで、ちょっとだけワクワクするね」


綾瀬さんは、こんな状況でも、前向きな言葉を口にする。彼女のそういう強さに、俺は何度も救われてきた。

だが、灯台に近づくにつれて、俺たちの口数は自然と減っていった。

潮風に晒され、白かったはずの壁はところどころ黒ずみ、窓ガラスは割れている。まるで、時代の流れから取り残された、巨大な墓標のようだった。

なぜ、あの女性は、こんな場所を?

ここには、一体何があるというんだ。


錆び付いて、ぎい、と悲鳴のような音を立てる鉄の扉を押し開け、俺たちは灯台の中へと足を踏み入れた。

中は、ひんやりとした空気に満ちていた。外の喧騒が嘘のように、静かだ。

螺旋階段の壁には、子供が書いたであろう落書きが、いくつも残っている。その中に、見覚えのある拙い字で、『みつき』と書かれているのを見つけ、俺は心臓が締め付けられるような痛みを感じた。

そうだ。あいつも、この場所が好きだった。


俺たちは、ゆっくりと螺旋階段を登っていった。

最上階。かつて、巨大なレンズが光を放っていたはずの場所は、今は空っぽの展望室のようになっている。割れた窓ガラスの向こうには、俺たちの住む町と、どこまでも続く青い海が一望できた。


「……すごい、景色」


綾瀬さんが、感嘆の声を漏らす。

まさに、絶景だった。だが、俺たちの目的は、景色を見ることじゃない。

何か、手がかりはないか。

あの女性が、ここを訪れていたという、何らかの痕跡が。


俺たちは、手分けをして、埃っぽい部屋の中を調べ始めた。

だが、見つかるのは、鳥のフンや、錆びた機械の部品ばかり。めぼしいものは、何もなかった。


「……やっぱり、何もなしか」


俺が諦めかけた、その時だった。


「ねえ、水瀬くん。これ、なんだろう?」


綾瀬さんが、部屋の隅に置かれた、古い木製の机を指差した。その机の、固く閉ざされた引き出しを、彼女は懸命に開けようとしている。


「開かない……。鍵でもかかってるのかな」


俺は、近くに落ちていた鉄の棒を使い、テコの原理で、半ば強引に引き出しをこじ開けた。

バキッ、という音と共に、引き出しが開く。

中に入っていたのは、一冊の、分厚いノートだった。


表紙には、『灯台業務日誌』と書かれている。

おそらく、最後にここにいた灯台守が、日々の記録をつけていたものだろう。

パラパラと、ページをめくっていく。天気、船の往来、機械のメンテナンス記録。退屈な記述が、延々と続いていた。

俺たちは、望みをかけて、妹の美月みつきが死んだ、数年前の『八月十五日』のページを探した。


あった。

インクが少し滲んだ、その日のページ。

書かれていたのは、いつものような業務記録ではなかった。

そこには、灯台守の、動揺と後悔に満ちた、生々しい心の叫びが、記されていた。


『八月十五日 晴れ。酷い一日だった』


その書き出しに、俺と綾瀬さんは息を呑んだ。


『昼過ぎ、いつものように、岬の下の川で遊ぶ二人の女の子の姿が見えた。一人は、確かこの近くに住む水瀬さんちの子。もう一人は、最近、あの子とよく一緒にいる、相沢あいざわさんちの……』


――相沢あいざわ

知らない名前だった。


『楽しそうな声が、ここまで聞こえてきていた。微笑ましい光景だと思っていた。だが、ほんの少し目を離した隙に、悲劇は起きた。水瀬さんちの子が、川に落ちたのだ。もう一人の子が、必死に助けを求めて叫んでいた。俺は、慌ててここを飛び出し、川へ走った。だが、間に合わなかった』


ページをめくる、俺の指が震える。


『俺が川に着いた時には、もう、あの子は……。隣で、相沢さんちの子が、ただ呆然と、その光景を見ていた。自分のせいだ、とでも言うように、声も出さずに、ただ、泣いていた。俺は、何もしてやれなかった。二人を、救ってやれなかった。この灯台は、船の安全を守るためのものだ。なのに、俺は、目の前の小さな命一つ、守れなかった』


そして、日誌は、こう締めくくられていた。


『あの子の名前は、確か、相沢あいざわ美咲みさき。忘れてはならない。俺が、守れなかった、もう一人の少女の名前だ』


「……相沢あいざわ……美咲みさき


綾瀬さんが、その名前を、か細い声で繰り返した。


そうか。

あの日、あの場所にいたのは、美月と俺だけじゃなかった。

もう一人、いたんだ。

美月の友達だった、相沢美咲という、一人の少女が。

そして、その子が、大人になった姿こそが、地蔵に花を供え続けていた、あの謎の女性に違いない。


俺は、ずっと、自分だけが、美月の死の目撃者だと思っていた。

俺だけが、あの日、あいつを救えなかったという罪悪感を、一人で背負っているのだと。

だが、違った。

同じ地獄を、同じ絶望を、共有していた人間が、もう一人、いたのだ。


俺と綾瀬さんは、顔を見合わせた。

ようやく、繋がった。

ループ、美月の死、赤いボール、そして、謎の女性。

全ての点が、今、一つの名前の元に、線として結ばれた。


「……探そう」


俺は、決意を込めて言った。


「相沢美咲、という人を」

「うん」

綾瀬さんは、力強く頷いた。

俺たちの夏休みは、まだ終わらない。

全ての謎の鍵を握る人物の名が、今、明らかになったのだから。

俺たちは、灯台業務日誌を固く握りしめ、再び、町へと駆け下りていった。

真実の光は、もう、すぐそこまで来ている。そんな確信を、胸に抱いて。

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