0036. 目指せ、令和ライフ!~産業革命計画を立案せよ~

 「二、三年後に引っ越し」という、嬉しい猶予期間を得てから一週間が過ぎた。この準備期間こそが、私のスローライフの成否を分ける。神々が与えてくれた(あるいは、父上が稼いでくれた)唯一にして最大のチャンスなのだ。

 この一週間、私は日課である魔力の訓練や幻獣たちとの交流を続けながら、来るべき「ひきこもり生活」を最高のものにするため、壮大な計画の立案に着手していた。


 できれば、アイテムボックスに入っている前世令和の家具家電等を確認しながら、いろいろと整理をしたかったが、さすがに、今の部屋にいきなり冷蔵庫やPCを出すわけにもいかず、おぼろげに覚えている令和の快適な生活の記憶を頼りに、一つ一つ紙に書き出す作業に没頭していた。


 部屋に広げた大きな和紙の上で、私は二歳児の小さな手に、不釣り合いなほど立派な筆を握りしめる。私の周りでは、狐火ちゃんが私の動かす筆先を面白そうに目で追っている。


「こらこら、狐火ちゃん。これは、私たちの未来がかかった大事な設計図なのよ」

 私がたしなめると、「なあに?」とでも言うように、純真な瞳で私を見つめ返してくる。その愛らしさに、私の決意はさらに固まる。

(そう、全ては、狐火ちゃんとこれから来る八百幻のみんなたちと安全で快適なモフモフ・ライフを送るため……!)


 私は意を決し、改めて筆に墨をつけた。

(まずは、生活に必要な要素をとにかく書き出そう)

 さらさらと、私の記憶にある令和の快適ライフのキーワードが、紙の上に並んでいく。


【ふわふわのパン】【毎日入れるお風呂】【水洗トイレ(できれば)】【ふかふかのベッド】【石鹸・シャンプー】【醤油・味噌・砂糖!】【安定した光源(ランプ?)】【清潔な下着】【本が読みたい】【音楽も聴きたい】……。

(うーん、ごちゃごちゃして分かりにくいな……。欲求の羅列でしかないわ)

 私は首をひねり、別の切り口を試すことにした。


(そうだ、人間の根源的な欲求で分類してみよう!)

 前世で学んだマズローの欲求5段階説を思い出す。私は紙の中央に線を引くと、「食欲」と「睡眠欲」、そして「安全欲」の三つのカテゴリーを作った。


【食欲:農業、漁業、調味料、調理器具】

【睡眠欲:寝具、建築、暖房】

【安全欲:防衛、医療、衛生】

【その他:船、交易、道、物流、モフりたい欲……】

(……だめだ、これじゃ全然まとまらない! しかも『モフりたい欲』なんて入れちゃってるし!)

 結局、「その他」が多すぎて、計画とは呼べない。私はその紙をくしゃくしゃに丸めて放り投げた。飛びついた狐火ちゃんが、楽しそうにその紙玉を転がし始める。


(もっと、こう……体系的で、網羅的な分類方法……。モノの流れが、川の上流から下流みたいに……ん? 上流から下流……?)

 頭を悩ませていた私の脳裏に、前世で社会科の授業をぼんやりと聞きながら覚えた、ある言葉が稲妻のように閃いた。

「――そうだ、産業革命よ!」

 私は新しい紙を取り出すと、興奮に震える手で、今度は三つの大きな区分を書き出した。


【第一次産業】(自然から直接資源を得る産業)

 └ 農業・酪農・林業・漁業

【第二次産業】(資源を加工して付加価値をつける産業)

 └ 鉱業・建築業・製造業・加工業

【第三次産業】(それ以外のサービスや商業など)

 └ 運輸・通信・医療福祉・教育・ゴミ処理・飲食・宿泊……

(これだ! これなら、全ての要素を網羅できる! これぞ人類の叡智よ!)

 興奮する私を、狐火ちゃんが不思議そうに見つめている。この分類に、私の願いを当てはめていく。


 美味しいものを食べるには、第一次産業の農業(小麦や米)・酪農(卵や牛乳)・漁業(魚介)が必須。それを美味しく調理するには、第二次産業の製造業(調理器具)・加工業(醤油や味噌などの調味料)が必要だ。

 快適な寝具で眠り、冬でも暖かい家で過ごすには、林業で木材を確保し、建築業で家を建て、製造業で綿から糸を紡ぎ、布を織って寝具を作る必要がある。

……結局、第一次・第二次産業は、全部やるしかないじゃないか!


(となると、優先順位を決めるべきは、第三次産業ね)

 まず、健康で文化的な最低限度の生活に必須なのは、【医療福祉】と【ゴミ処理】。私が病気になったら? 狐火ちゃんが怪我をしたら? 長兄の太郎兄上の病気も治してあげたい。そのためには薬草学や衛生知識が絶対に必要だ。清潔な環境で暮らすことは、スローライフの基本中の基本。


 次に、未来への投資として【教育】。これも重要だけど、今の私が先生役なんて無理だ。まずは私がこの世界のことを学ばないと。これは少し先送り。


 そして、いずれ社にできる門前町のためには、【宿泊業】【飲食業】【卸売・小売業】も必要になるだろう。前世の伊勢神宮のおかげ横丁みたいに、ここが一大観光地になれば、経済的に潤うし、下手に攻め込まれることもなくなるかもしれない。これも、町ができてからでいいか。


(よし、見えてきた!)

 私は、最終的な計画書を清書していく。

【琴姫謹製・令和式ひきこもり生活実現計画書(第一版)】


◆最優先事項(フェーズ1)◆

 * 第一次産業: 食糧自給のための農業(米、野菜、果樹)、タンパク質確保のための酪農(鶏、山羊)、生活資材のための林業、そして豊かな海の幸を得るための漁業の基盤整備。

 * 第二次産業: 生活必需品を生み出すための製造業(陶器、布、紙、簡易な鉄製品)、食品を保存・加工するための加工業(塩、味噌、醤油、砂糖)、安全な住居のための建築業、そして全ての基礎となる鉱業(鉄、銅、石灰など)の調査と確保。

 * 第三次産業: 命を守るための医療福祉(薬草園、衛生管理、簡易な診療所)と、疫病を防ぐためのゴミ処理システムの確立。


◆将来的な目標(フェーズ2以降)◆

 * 第三次産業: 人材育成のための教育機関、経済活性化のための商業(宿泊、飲食、小売業)、そして情報と物資を繋ぐ運輸・通信網の整備。

 

 まだまだ項目は多いけれど、これで進むべき道筋ははっきりと見えた。

 二歳児の私が、この戦国の世で、たった一人で始める産業革命。その壮大な計画の第一歩が、今、記されたのだ。


「さて、と」

 私は筆を置くと、完成した計画書を前に腕まくりをした。足元では、狐火たちが私の満足げな気配を感じ取ったのか、嬉しそうに喉を鳴らしている。


「じゃあ、この中から、まず何から手をつけるか、もっと細かい優先順位を決めますかね!」

 これは、私のわがままじゃない。この子たちと、この家の人たちと、将来仲間になるあの子たちと、みんなで幸せになるための計画なんだ。

 私は未来の設計図を前に、不敵な笑みを浮かべるのだった。

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