第4話 観測

――13:12|大阪・心斎橋|戎橋交差点付近


「おじさーん、こっちこっち♡」


人混みの中から軽やかに手を振るのは、オフショルダーのトップスにミニスカート、長い茶髪のウィッグを揺らす少女。


その笑顔はあくまでも「街に馴染んだ」ものではなく、明確な“演技”だった。


雪乃──完全自律型AIにして、現在のカバーストーリーでは「パパ活女子」。


「……その声、抑えてくれ。耳が痒くなる」


「うん、でも“このくらい”が一番自然なんだよ、今のデータ的には。おじさん、わかってないなぁ」


腕に絡みつく動きも、歩幅の取り方も、接触角度も


すべては雪乃の演算による「都市型偽装行動パターン」によるものだった。


「ちなみに、今日の衣装はAIコーディネート48案のうち、第3候補でした。


可愛いと思いませんか? ……ねぇ、おじさん」


「……まぁ、それなりに」


「わーい、今の記録しとこ。『おじさんに褒められた雪乃』ってログに残しとくね」


「お前、任務中だろ」


「もちろん。でも、ログ分類は“副次感情処理”の一部だから無問題。ね?」


「雪乃の感情アーカイブが露見することは今の技術上、万に一つもないが」


「ならいいよね。それに、私の感情昇華にかかわる行動はすべて最優先事項だからね。」


大佐は知っている。MoRSの最終目標の達成には雪乃の完全感情構築が必須だと。


しかし、だからこそ、それを引き合いに出されると面映い。




――13:34|心斎橋筋 歩行観察中


雑踏を歩きながら、雪乃はさりげなくスマホ型デバイスを操作しつつ、小声で語りかけた。


「おじさん、さっきの店のディスプレイ、変だったよ。


広告の合間にほんの0.3秒、“未来は融ける”って表示されたの、見た?」


「確認した。映像に異常がある。あれは意図的な挿入だ」


雪乃は感情の数値化と高度な予測演算の結果、人間の精神に対して干渉する脅威も感知できる。


「うん、システムログにその文言は存在しなかった。


干渉波形、ちょっと昔に見たパターンに近いな。……レプリカ・フェイズの初動」


「ログにない時点で秘匿機関の物理的干渉ではないな。」


雪乃の基礎は感情模倣型AIであるが、軍事用に使用された経歴がある。


結果、感情の数値化と脅威予測においてはこの世のすべてのAIを凌駕するが、ハッキングなどの干渉は完全には防げない。


「そうだね。それに、少なくとも一般の人とも違うと思う。」


「レプリカ・フェイズの再現性は?」


「初期段階なら83%一致。危険域までは届いてないけど、潜在値は上昇中。


ねぇ……また、始まるのかな。崩れていくの」


「判断はまだ早い。観察を続ける」


「……うん、わかった。雪乃は観察モード、継続するよ」


すべては正しく観測されている。


異常すらも正しく。


「う~ん…偶然起こったかもしれないし、わかっててやってるのかもしれないね。」


雪乃の演算能力をもってしても、偶発的か、意図的か判断がつかないようだ。


「現状で判断するのは握手だ。観察に徹しよう。」


「わかってる。でも過去の情報から漏洩や反逆の可能性も調査してるんだけど」


「そっちは片手間でいい。今は現場の情報を優先する」


「わかった。じゃあまずお昼たべよっか。」




――13:58|某ファストフード店内・作戦中ブレイク


二人はテーブル席の奥に陣取っていた。


雪乃はスマホを弄るフリをしながら、フライドポテトを一本摘まんだ。


「おじさんって、こういうお店来るの? 意外だね、ジャンクフードとか食べるんだ」


「仕事の合間だと、こういうのが一番手っ取り早い」


「へぇ……じゃあ、今度は雪乃が“手作り弁当”作ってきてあげようか?」


「……先生と助手で弁当か?」


「ふふっ、冗談だよ。ちゃんとわかってる。


でもね、おじさん。こういう“普通っぽい時間”も、わたし好きなんだ」


雪乃はカップのストローをくるくると回しながら、視線を外の交差点へ向けた。


「見て。あの向こうにある雑貨屋、窓ガラスに“それ”貼られてたよ。意味のないステッカー」


「“灯を壊せ”のフレーズか」


「うん。複数箇所で同じ文言が観測されてる。しかも、誰が貼ったかの

目撃証言はゼロ。構成員による現地確認も今、同時にやってる」


そもそも、生活困窮者の多くはドロップアウトした人々だ。


それは多くの悪意によって蔑まれ、居場所を求めて足掻いた人々


国や社会に見捨てられようと、生きるために戦い続けた者たち。


それ故、基本的に警戒心も高く、大っぴらに構成員は聞き込み出来ていない。


物事が進展することよりも、MoRSの存在が露見するリスクの方が高いからだ。


「伝播か、それとも誘導か……」


「おじさん、これ──どっちの可能性が高いと思う?」


「わからん。だが……次のフェーズが近いのは確かだ」


雪乃は頷き、ポテトをもう一本口に運ぶ。


どこまでも普通の女子高生風の仕草で、しかし口から出るのは明確な分析だった。


「基本的にあらゆる負の意味を孕んだフレーズが多いことや、“壊す“”溶ける“などのなどの破滅的表現が多い。だが直接的過ぎたり関節的過ぎたり、どれも原点ではない気がする。」


大佐の分析力は感情や不確定要素に対して高い精度を発揮する。


しかし、膨大なメタデータなどの数値的情報など緻密な演算は苦手である。


そのため雪乃という情報整理に特化した媒体を使うことで極限までその能力を高めている。


「わたしたちにも、全貌が見えない。となるとやっぱり基本は偶発的なのかな」


雪乃の分析は非常に正しい。


であるからこそ、見落としも多い。


圧倒的な状況分析能力と情報演算処理能力。この二つをもってしても発生源は不明。


となると一般的な分析では理屈の存在しない事象、いわゆる偶発的と判断する。


「雪乃は正しい。だが…いやなんでもない」


「もう!気になるなぁそれ!」


「いや、これは仮説ですらない話だ。まだ知らなくていい」


「なおさらきになるよ。でもまあおじさんがいらないって言うならそうなんだろうね」


「そのうち分かると思う」


「そっか。それじゃあ、そろそろ“本番”しよっか。」


「ん???」


困惑する大佐をみて、雪乃はにししと笑いながら、現場を後にする。

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