第5話
「ねえ、ちょっと。大丈夫かい?」
灯の声で我に返る。目の前には色素の薄い茶色の瞳、肩には彼女の腕が置かれていた。それらを思いっきり振り払い、距離を取って睨みつける。された行動とは裏腹に、彼女は微笑む。
「ん、戻ってきたみたいだね。目を開けたまま気絶したのかと思ったよ」
「っ、誰のせいで」
怒り任せに罵ろうとも思ったが、先ほどの発言と言い、余裕のある表情と言い、次第に彼女への畏怖の方が高まっていた。
なんで彼女はピエロ知ってる?
彼女はピエロの何を知ってる?
頭の中で疑問ばかりがぐるぐると渦巻いて気持ち悪い。
いや、それ以上に。
目の前の転校生を。いつでも笑っている灯という人間を。複雑な表情が浮かんでいるように思えるその瞳を。
余計なことは考えずに、ただじっと見つめ、口を開いた。
「あんたは──何?」
目が合った瞬間、彼女は、ニヤリと、不敵に笑った。
「私?私はね──」
全部を言い切る前に、灯は顔に両手を当てた。パカリ、軽い音が響いて、彼女の手の上に何かが落ちる。それが仮面だと気づくのに、そう時間はかからなかった。予想していたことだ。
けれど、彼女が顔を上げた先、最初に目にした光景に、私は唖然とする他なかった。
「か、顔が……っ!」
「驚いたでしょ」
首が傾く。声も聞こえる。
けれど、そこには、目も鼻も口も眉も、何一つない、のっぺらぼうが居た。
「なっ!どうして、そんな……」
「これはねえ、仮面をつけ過ぎた代償なんだよ」
再び仮面をつけた時、灯の顔になんら変わりはなかった。あの、どんな時でも絶えない微笑を浮かべ、私を見ている。
「私もね、笑顔の仮面をあのピエロから買ったんだよ。ずーっと昔にね。それ以来、片時も外さなかった」
「……顔がそうなったのは、いつから?」
「中2、いや、3年の頃かな?使い始めて2年ぐらい経ったある日、仮面が外れなくなったと気づいて。その後すぐだよ、自分の顔が無くなったと知ったのは」
「驚かなかったの?」
「そりゃあ驚いたよ。でもね、妙に納得しちゃったんだよ。だって、上手い話には何かしら罠があるんだから」
自身の体験を話す灯は不思議と落ち着いていた。仕方ないと、自身に降りかかった運命を、抗うことなく受け入れているようだった。
そんな灯が、まるで化け物か何かのような、しかし同じ被害者のような、そんな気がして、どう接していけば良いのか次第に分からなくなる。
「貴女の顔、これからどうなるの?」
「さあ。どうなるんだろうね。一生このままかも。と言うか、そっちの可能性の方が高いだろうし」
軽く肩をすくめる姿も、顔がなくなったという大事に対してあまりにも不相応だった。
「ま、私のことはどうだって良いんだよ。もう起きてしまったことだし。それよりも、君の方をどうにかしなくちゃ」
どうだって良い。そんな訳がある筈もない。なのに、この人は何故自分の心配をここまでしてくれるのだろうか。私を、同じ目に遭わせないためなのだろうか。
「それで、君はその仮面をどうするの?外して生きる?それとも、お母さんとの約束だからって、顔が無くなるのを覚悟で使い続ける?」
「……今の話を聞いて、使い続けると思う?」
流石に怖気付いた。当然とばかりにそれを口にすると、灯は弾けたような声で笑う。
「ははっ!そうだよね。良かった、まだ正気みたいで」
「まるで貴女は正気じゃないみたいな言い方だね」
「そりゃあね。もう取り返しのつかないところまで来ているくせにこんな風に笑っているんだ。自分でも正気の沙汰じゃないと思うよ」
「……」
「そんな顔するなって」
灯は私の肩を叩いた。どうしようもなく優しい彼女の眼差しに、何故か泣きそうになった。バレたくなくて咄嗟に俯く。
その仕草をどう受け取ったのか、彼女は「大丈夫だって」と明るい声を上げた。
「君はまだ戻れる所に居たんだ。これからでもまだ間に合うよ」
明らかに慰めにきていた。その優しさが、辛かった。
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