第二十三話 観の目と、不可視の力

 月が雲に隠れたり、ふっと顔を出したりする夜。

 真一郎たちは、巨大なクレーターの山頂に立っていた。


 風里偉が真一郎に静かに語りかける。

「ここが、わしの寝床だ。普段はここで眠っておる。――さて、河童のお守りを貰おうか」


 真一郎はハッとしてポケットを探り、河童から受け取ったお守りを取り出した。

「お、そんなのあったな」

 差し出すと、風里偉は柔らかく微笑んで受け取る。


「河童のお守りは、ただのお守りではない。わしへの通行券なのだ」

「……通行券? 緑河童のヤロウ、そんなこと一言も言ってなかったぞ」


 思わず声を上げる真一郎に、風里偉はクスクスと笑った。

「いかにもあやつらしい。――では、後のことは猫又クロ殿と一本ダタラ殿に任せるとしよう」


 その言葉と同時に、突風が吹き抜けた。

 真一郎が空を見上げると、月を覆うほどの巨大な怪鳥が影を落とし、夜空を横切っていった。


「……デカすぎだろ」

 言葉を失う真一郎の横で、クロが静かに口を開いた。

「まずは、“観の目”からだ」


 クロの声に、真一郎は耳を傾ける。

「仏教でいう“半眼”だな。薄目を開き、視界を広くとる。両こめかみに手のひらを当てて、顔から十センチほど離す。そのまま、手が見えるぎりぎりの位置まで後方に下げるんだ。これができるようになれば、常にその状態を保てばよい」


 真一郎は言われるまま半眼を試す。

 視界が、じわりと広がっていく。

 これまで気づかなかったものが、少しずつ輪郭を持ち始めた。


 クロは満足げに微笑む。

 「顕の目弱く観の目強し――明らかに見ようとする眼差しは弱くとも、朧気おぼろげに観る眼差しは強い、ということだ」


「なるほど……」

 真一郎は深くうなずく。

 自分の武術に欠けていたものが、ようやく分かりかけてきた。


 クロは続ける。

「これで純粋な力も増す。視野が広がれば、武術家の共通死角である膝下も、簡単に見えるようになるからな」

「……確かに」


「さらに、意念を観念しやすくなる。これは武術だけじゃない。密教の修法、呪術、そして……魔法にも通じる」

「魔法って……あるのか?」


 真一郎の問いに、クロは腕を組み、自慢げに鼻を鳴らした。

「アニメやゲームで描かれる魔法は、我らの使う妖術そのものだ。幻覚や幻術、炎を吐いたり、水を指先から出したり、石を浮かせて飛ばしたり……自ら飛行するなんてお茶の子さいさいだ」


「……お茶の子さいさい?」

 真一郎は、そのギャップに思わず吹き出してしまう。


 クロは気にせず続けた。

「深く考えるな。これで力を発揮できるなら、それでいいんだ」

「……まあ、確かに」


 傍らで一本だたらが、静かに口を開く。

「真一郎様、“観の目”は、これからあなた様にとって、最も重要な力となるでしょう」


「……観の目」

 真一郎は心に刻み込み、この力を極めると誓った。


「さあ、始めよう。お前の修行は、ここからが本番だ」

 クロの言葉に、真一郎は大きくうなずいた。


 半眼の修行を重ねるたび、視界は広がり、世界が姿を変えていく。

 真一郎は初めて、自分の内に眠る「力」を実感した。

 それは腕力ではなく、内から溢れる気力だった。


(俺は……強くなる)

 心にそう誓い、真一郎はクロと一本だたらを見つめる。

 彼らはそれぞれの眼差しで、確かに自分を支えてくれていた。


 夜空を仰げば、月はまだ雲に隠れている。

 だが、真一郎の心は澄み渡っていた。

 この旅の果てに何が待つのか――その期待が、胸を熱く満たしていた。

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