アラとパピリオ

たこやきこうた

アラとパピリオ

  アラとパピリオ

         たこやきこうた



 僕は、パピリオが大嫌いだ。僕を一人残して行ってしまった彼女のことが忘れられなくて、今宵もきっと眠れないだろう。



 ある夜、道に迷った僕は、明かりの灯る家の扉を叩いた。

 次の瞬間、扉が開いて中から誰かが外へ出てきた。そこには、月明かりに照らされた美しい少女の姿があった。

 彼女の名前はアラといった。


 アラは、

「いつまでだって居て良いのよ。」

と言って、行き場が分からなくなった僕を家の中に招き入れてくれた。

彼女は僕の身の回りの面倒を甲斐甲斐かいがいしくみてくれた。


医学の心得のある僕は、メモリアーレ・アルボルサクラ・プラニーティエース病院の夜勤のアルバイトをすることにした。献身的な彼女に報いるため、少しでも彼女に裕福な暮らしをさせてあげたいという気持ちで、夜勤も眠らずに頑張れた。

 幼い入院患者から「サングィフル採血泥棒」と呼ばれて逃げ回られること以外は、特に困ることはなかった。子供は苦手だ。


 僕の一回分の夜勤の収入は、庶民の時給じきゅうの約三十倍だった。


 僕は生まれつき心臓が悪く、すでに一度手術を受けたが予後がかんばしくはなくて、外科医をするほどの体力がない。だから循環器内科医として月の半分くらい夜勤をして、残りの半分をアラと楽しく過ごした。


 彼女との毎日は、僕にとって新たな発見の連続であり、とても充実していた。


 例えば、身につける物にしても、僕が今まであつらえていたオーダーメイドの服や靴の金額に比べ、庶民の店の服や靴の価格ははるかに安かった。

「え?こんなに安いならアラの分まで買ってあげられるじゃん!」

僕がそういうと、アラは、

「良いのよ、私も働いているのだから。」

と、微笑みながら言った。

それでも僕は、アラに何かしてあげたかった。何でもしてあげたかった。



そんなある日アラが体調不良を訴えた。気になる点があったので、知人の血液内科医に彼女を診てもらうことにした。

 検査の結果、彼女はプルプラ・トロンボキュトペーニカ病と診断された。

 この病気は、血小板けっしょうばんが減少して出血傾向しゅっけつけいこうが高くなる病気であるため、なかなか血が止まりにくい特徴がある。


 僕は自分が心臓移植のドナートル待ちだということも忘れて、アラのサポートをしてあげたいという気持ちでいっぱいだった。

 その為に、僕は家事を覚えた。包丁を使うような料理は僕が全て行い、アラにはさせないようにした。


 夏にアラを海に連れて行きたかったが、砂浜を裸足で歩いてはアラが危険なので、砂浜は靴を履いて歩き、海の家で食事をしながら海を眺めることにした。

 このような夏の海だったが、彼女はとても喜んでくれた。僕は彼女の笑顔を見られただけで、とても嬉しい気持ちになった。


 ベランダで野菜やハーブが作れることも、僕にとっては新たな発見だった。


 美味しいものをアラに食べさせてあげたい。彼女を外食にも連れて行ってあげたいけれど、自分が育てた新鮮な野菜やハーブも食べさせたいという気持ちが溢れてきそうだった。

 僕が作った小さなリュコペルシウムを冷たく冷やして美味しそうに頬張るアラが愛おしかった。

 お気に入りの家具を一緒に手作りしたこと、一緒に部屋の模様替えをしたこと、一緒に料理を作ったこと、町の酒場に繰り出して一緒にボウルボンを飲んだこと、喫茶店巡りをしたこと、一緒にマキナ・コンプトートーリアコンピューターの勉強をしたこと、髪の色を互いに染め合ったことなど、何てことはないアラとの日常の中に、僕の生きる希望があった。


 僕はアラにもっと喜んでもらいたくて、彼女に内緒で裏庭一面にプルクラ・ルナリスの苗を植えて世話をしていた。そして、この裏庭に花が咲き乱れる頃、プルクラ・ルナリスの花園でアラの姿を写真に収めたかった。


 彼女は写真館で現像げんぞうの仕事をしているだけあって、写真の撮影がとても上手な娘だった。


 しかし、写真をられるのはいささか苦手だったようで、いつも写真に写る彼女の顔は、まるで指名手配犯のポスターに掲載けいさいされた顔写真のようだった。


 一枚ぐらいは笑顔の写真があっても良いのでは?と僕は常日頃から感じていた。      だって彼女は、とても可憐かれんで可愛らしい人だから。


 もし僕の移植手術が間に合わず、動くことさえ大変になったら、恐らく僕は病院のベッドの上で最期さいごの時まで過ごすことだろう。


 その時、ベッドのかたわらで、アラに微笑んでいてほしい。たとえ写真でも良いから。そういう想いもあった。


しかし、アラは僕の病気のことをまだ知らない。


 思い切って彼女に僕の病気のことを告げた。

「アラ、僕は生まれつき心臓が悪いから、子供の頃に一度大きな手術を受けているのだけれど、予後が思うようにいかず、移植手術のドナートル待ちをしているところなの。

だからね、僕は自分の子供に心臓病が遺伝するのは嫌だから結婚もしない。僕が何でこんな体に産んだのだと親を恨んだように子供も僕を恨むだろうから子供はいらないの。

……けど、アラとはずっと一緒にいたいの。」

と。

 アラは、

「私、あなたが居なくなったら耐えられない。

 あと私、子供は欲しいよ。 たとえ血のつながりがなくても、別の種族の子でも良いの。 あなたと一緒に育てたい。」

と言って涙ぐんでいた。

 その言葉に対して僕は、

「種族が違っても良いのなら、カートゥスの子供を迎えようよ。僕がいない時もアラが寂しくないように。」

と、提案した。

 アラは黙って頷いた。

 

 数日後の休日に、農場のカストゥス・グリュキニウスさん宅から生まれたばかりのカートゥスの子を迎え入れた。その子に僕らは「ウーニアニアン」と名付けた。


 プルプラ・トロンボキュトペーニカ病を患っているアラに、ウーニアニアンが爪を立ててしまって彼女の傷から血が止まらないこともあった。

 しかし、応急的に、ステロイデースとメトロニダーゾルムを短期間内服させた。そして、軟膏のバキトラキーヌムまたはゲンタミキーヌムを塗布した後、傷の保護のためにペトロラートゥム・アルブムを患部かんぶ塗布とふしてテタヌス破傷風の感染予防を心掛けた。


 やがて、彼女のプルプラ・トロンボキュトペーニカ病は寛解かんかい状態となった。


 僕は、ウーニアニアンと彼女と僕の三人の家族ごっこに生きる喜びを感じることができた。


 この先、いばらの道が待っていて、希望も喜びも血に染まってしまう可能性があることなど、僕は、すっかり忘れていた……。



 しかしながら、やっぱり、来てしまうのだ。その日は。

 無数のパピリオが美しい羽を広げてやって来た。

 幻影げんえいのパピリオたちは、プルクラ・ルナリスの花が狂い咲いた裏庭の花園にいた僕の背に所々千切れた白い羽を咲かせる魔法をかけた。

 その羽はまるでプルクラ・ルナリスの花のようだった。


 そろそろかなくてはならないらしい。


 僕はアラと引き離そうとするパピリオたちが嫌いだ。大嫌いだ。二度とその姿を見たくない。


 僕は天に召されるままに羽ばたき始めた。下を見ると、プルクラ・ルナリスの花が咲き乱れる花園の中に、高く編まれたカリガつま先の開いた編み上げブーツを履いたアラと彼女のかたわらで優雅ゆうがに歩くウーニアニアンの姿があった。


「アラ、君は長い夢を見ていただけだよ。

 プルクラ・ルナリスの花園の中で目覚めた時、きっと清々すがすがしい朝が訪れる。

 そう、君は自由に世界をめぐれるの。君の幸せを心から願っているよ。

 僕は空や花園にいる淡色変異たんしょくへんいの白くとおったパピリオ・クストゥスナミアゲハ蝶になってアラを見守っているから安心して。」

と、僕はアラにだけ届く催眠術さいみんじゅつのような心の波動はどうを彼女に送ると、天高てんたかばたいてやがて暗闇くらやみに落ちていった。


 彼女が僕にとってのパルス・オプティマ・メイ僕の最良の片割れであるならば、いつかどこかで再び会えることだろう。



F I N I S .フィーニス

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アラとパピリオ たこやきこうた @takoyaki-cottasan

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