【序章 3万年後の現実】第0考 『東の神狼』 カリプダヴィデ

 長い青髪の少女が、氷点下の凍てつく空気の中、激しく息を切らす。


 第2騎士団騎士長、青のルサールカ。


 標高2,000m地点の山中、あたりは不自然な霜で覆われ、彼女の乱れた息は白い。


 手には黒鉄くろがねの大きな輪が握られており、そこから伸びる三本の無骨な鎖の先には、それぞれに大きくいびつ戦棍せんこん


 『氷瀑の聖女』が兵器アルテマを手にしながらも、ここまできゅうした様相を見せるのは五十年来のことであった。


 額の傷は深く、頭蓋骨まで達している。


 長命種ちょうめいしゅの驚異的な回復力と言えど、此処まで深ければ直ぐにはふさがらないだろう。


 その白い肌を染める赤黒い血が顔の左側を覆い、使える方の目を眼前の脅威から片時も離さぬよう、少女は細心の注意を払う。


 出血が看過出来ない量であることが、彼女の呼吸を更に速めた。


 視線の先の、高さ5メートルはあろうかという異形いぎょうの怪物は、その長い尾をゆらゆらと棚引かせ、もったいぶったように右前足を持ち上げる。


 鋼線をって作られたような、逆立つ白銀の毛並み。


 その間から覗かせる、獣特有の隆々りゅうりゅうとした筋肉に刻み込まれた幾何学模様が、青白く発光した。


けてはいけない』


 額の傷を受けた時の経験から、瞬時に次の判断がルサールカの脳裏にぎる。


 エクスオートメーションで割り出された先ほどの連撃は、計0.5秒の神速の5連撃。


 この怪物の巨体を考えると、到底信じ難い数値である。


 加えて、避けるにつれ速さが増していくので、最後の一撃に関しては優に0.1秒を切っていた。


 とてもでは無いが、避けられる速度ではない。


 周囲の熱エネルギーを吸収する『本物の神威かむい』カリプダヴィデの足元の大地が凍り付き、霜が白く広がっていく。


 青の少女はこの隙に、エクスオートメーションをフル稼働させた。


 相手の動きの予測パターンの解析と、攻撃を受ける場合に有利な退避方向が割り出されてゆく。


 頭上の雪の結晶のような立体の天輪てんりんが、青く輝くと同時に素早く回転し、高速で情報を処理していることを示していた。


 刹那、15メーター先にあった巨軀きょくが消える。


 次の瞬間に彼女の目の前に現れた初撃は、一番威力が強い搗上かちあげだ。


 『氷瀑の聖女』は構えていた三つの戦棍全てを合わせ、盾にしてこれを受ける。


 華奢な体があまりの威力に、軽々と宙に舞う。


 しかし、彼女の青く輝く瞳は、次の動きに移る相手を捕らえ続けていた。

 盾にしていた一つから手を離す。


 上から巨大な岩がってくるかのように、神狼じんろうの爪が振り下ろされる。


 少女はこれを手に持ったままの2つで受け、先ほど手放した1つが下に向くように脇で挟む。


 凄まじい勢いで叩きつけられるが、地面にめり込んだのは下に向けていた棍棒であった。


 青の騎士長はその先に繋がるチェーンを手繰たぐり寄せ、地面に体をつけない神技かみわざで衝撃を回避した。


 そして、そのまま慣性の法則を利用しつつ、自分を助けた鉄の塊の裏に、流れるように身を隠す。


 透かさず来る水平方向からの一撃をそれで受けるとともに、その衝撃を使って地面から三本目を引き抜いた。


『あと二つ』


 ほとんど無意識の思考が彼女の脳内の神経を流れたが早いか、最高速度を誇る最後の2連撃が襲い掛かった。


 1つ目。やや斜め下からの搗上。


 先ほどのように大きく吹っ飛ばされないよう、1つを後ろに向けて重心をコントロールし、残りで受ける。

 対策は完璧だったが、それでも2メートルは後方に飛ばされた。


 2つ目。斜め上、ほぼ水平方向からの振り下ろし。


 足が地面につくと同時に、威力を軽減させるためにステップバックし、これは片手で受ける構えをする。


 後ろに向けていた1つを踵で地面に蹴り込み支えにしたが、ヒットの瞬間、鈍い金属音と共に想定以上に深くメリ込んだ。


 歯を食いしばりながらこらえ、もう片方の手を彼女のアルテマ『ケルベロス』の本来の持ち手である大きな黒い輪に伸ばす。


 『東の神狼』カリプダヴィデの怒涛どとうの五連撃を、『氷瀑の聖女』が全て受け切った。


 エクスオートメーションは攻撃時間を2.4秒と割り出し、即座に彼女の頭に流し込む。


 先の時と違い、避けずに受けたことで、一つ一つの攻撃にそれぞれ5倍近い時間が掛かっていた。


 二つ名をはいす少女は、偉業とも言える完全防御を成し遂げたが、その判断は無意識に行われており、やはり武芸の天才と言わざるを得ない。


 ルサールカが最後の一撃の衝撃を利用して支えを引き抜くとともに、そのまま半歩下がり、跳躍ちょうやくする。


 そして、巨大な狼の眼前におどり出たかと思うと、空中で体を一回ひねり、手に持った黒鉄の輪を振り下ろした。


 鎖で繋がれた3つの黒いはがねが空を切り、地獄の番犬のうなり声のごときヴォンと低い音を立て、敵の脳天目掛けて襲い掛かる。


 跳躍から、振り下ろした戦棍が敵の頭の位置に至るまで僅か0.8秒。


 しかし、其処に神狼の頭は既になかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る