☆月色結界を求めて

「頼みがあります。出来るだけ断らないでください」


 顔を上げるなり、ハッキリとよく通る声で話した青年の暗緑色の瞳は、長い生に飽き飽きしていた聖教皇フォアスピネと呼ばれる精霊に興味を抱かせることに成功した。


 ウラヴォルペ小公爵アルナールから届いた書簡を読んだ教皇は、側にいたガーシュという名の助祭に、許可を与える旨の返信を届けるよう申し付ける。


 ガーシュは戸惑い気味に、

「ええと、こちらの手紙を送ってこられたのは本当にウラヴォルペ公爵家のお方なのですか……?」

と書簡と聖教皇の顔を見比べる。


 彼の気持ちは分からないでもない。なにせ、内容がフランクすぎるので。


 ・---------


 前略。


 なんか、今回の神託の件で、うちの騎士が話したいことがあるんだってさ。

 詳しくは知らないけど、会って聞いてやってくれない?

 与太話をするようなやつでもないから。たぶんね。


 草々 アルナール・フォン・ウラヴォルペ


 っていうか前略ってさ、どうせ略すなら書かなくてもよくない?


 ・---------


 虹の女神スピネルを祀る神殿を統括する公国の長である聖教皇フォアスピネの地位は、アルカンレーブ王国国王の地位に並ぶとされる。


 良識ある貴族の子女が見れば卒倒するだろうし、厳罰を下されても文句は言えない内容だが、聖教皇は苦笑しただけで、アルナールの無礼をとがめなかった。


「あれは、ああいう気性の小娘だ。大目に見てやれ。あとは頼んだぞ」

「は、はい。他でもないフォアスピネ様がそうおっしゃるなら……!」

 冴えない中年男ガーシュは、どんなときでも命令に逆らわない。深々と頭を垂れると、足早に廊下の角へ消えて行った。


 そして、教皇の前に現れたのが、鳶色とびいろの髪と暗緑色の瞳を持つ、若い騎士だった。


***


 本来、謁見は「教皇の間」と呼ばれる広い神殿で受け付けるものだが、そうすると高位聖職者がぞろぞろ勢ぞろいすることになり、教皇としてはうっとうしいことこの上ない。


(あの小娘の紹介だ、まともなヤツが来るとは限らんし、そうなるとますます神殿うちの連中がうるさいからな)


 そう考えた聖教皇は、中庭の一つを謁見の場に指定した。季節は冬であり、山の中腹にある神殿にはうっすら雪が積もっている。長話に向いた環境ではないが、精霊である身には大した問題ではない。


 型通り白い地面にひざまずいた騎士は、顔を上げるなり「頼みがあります。出来るだけ断らないでください」と言い、あるものを差し出した。


 それが賄賂の類なら鼻でわらっただろう。だがそれは、地方の伯爵家の人間が気軽に用意できるものではない。1辺が1cmほどの虹色の輝きを放つそれに、人間は巨万の富を投資すると聞いている。


 美しい菱形に加工された虹の貴石エリストルが、雪の上にぽつんと置かれていた。


「ほぅ、エリストルが。一応、話ぐらいは聞いてやろうではないか」



 騎士は、ミラーノ・フォン・パルマンと名乗り、自分も魔境の旅に同行したいので、アルカンシェル『月色結界』を制作してほしいと、教皇に依頼した。


「ふぅむ」

 教皇は、長い指を顎に当てて考え込んだ。


 『月色結界』は、魔境において「人間のニオイ」を消す役割を果たす。逆にこれがなければ、砂糖に群がるありのように、魔獣がいくらでも寄ってくることになるので、人間の生存率は著しく低下するだろう。魔境を旅するなら必須アイテムと言えるが、現在これを制作できるのは聖教皇のほかにいない。


 誰にも話していないが、腕輪の形をしたアルカンシェルの中に、自身の力を封じた銀色の髪を仕込んである。精霊の力を込めた物質は、人間が不用意に触れると害をなす場合があり、それを防ぐ細工を施して初めて人間が使用できるアルカンシェルとなるのだ。


 既に五つの『月色結界』を制作した教皇は疲れていた。この地に降り立って1300年の月日が流れ、愛した女性を失い、半身を失い、その年月の重さに疲れてもいた。


 だがそれを理由に、依頼を断ろうとは思わなかった。


 人間が未来を諦めない限り、私はその意志を尊重する――それは、弟子にも言い聞かせてきた言葉だった。


 自ら危険な旅路に志願した騎士の意欲を買っていた教皇としては「諾」と言ってやりたい心境だが、それは物質的に難しい。


***


「それがどの程度の価値を有するか知っているか?」


 騎士は首を傾げた。

「すみませんが、宝石には詳しくないので」


「そうか。まぁ、そうだろうな」

 知っていれば、こうしてここに来ることもなかっただろう。


 聖教皇は事実を語って聞かせた。


 虹の貴石エリストルには七つの等級があり、『月色結界』を制作するに必要な等級は2等級以上。彼が持参した石は、大きさも輝きも3等級の域を出ない代物だった。


 騎士は、眉間に深いしわを刻み、うなだれる。


 3等級とは言え高価なものには違いない。それを用意した騎士の気持ちを考えると気の毒には思ったが、精霊も全能の存在ではない以上、どうしようもないことだ。

 立ち去るように促そう――そう考えていた聖教皇に、彼の小さな呟きが聞こえた。


「……そうだ、移動用結界アルターナ。あれってたしか、4つのエリストルを、4人の錬金術師が起動させるアルカンシェルだったはず」

 まだ冷たい地面に跪いていた騎士は、キュッと雪を握り締め、再び顔を上げた。


「フォアスピネ様! エリストルが、もうひとつあればどうです? アルカンシェルを作っていただけますか!?」


 正直なところ、ふたつの虹の貴石エリストルをつなぐ回路を刻むアルカンシェルの制作は、負担が大きい。


 しかし。聖教皇はそれを隠して答えた。

「同じく3等級以上の価値を有するエリストルがあれば」

「分かりました。近日また伺います」

 騎士は満足げに頷くと、すぐさま立ち上がり背を向ける。


 その背に、声をかける。

「出立まで日がない。制作期間を考えれば、あと2週間以内に材料が必要だ。どうやって調達するつもりでいる?」

「家財一式や、臓物を売り払ってでも」


 簡潔だが覚悟のにじんだその答えに、教皇は笑いを誘われた。

「後者はやめておけ……騎士にとって体は資本だろう。その意気があるなら、今回は私が知恵を貸してやる」


 教皇の案は、王都にある移動用結界アルターナの補修に使われる予定の虹の貴石エリストルを前借りしようというものだ。


「アルターナは今日明日に壊れるものではないから、必ず補填出来るのであればエリストルを融通しても支障ないだろう。ただし、借りたものは必ず返さなければならない。まして、金の出どころは公金だ」


 王室に対して無茶な要求を通すことになるが、それが許されるの実績を持つのが聖教皇だ。


 騎士は深く頭を下げた。

「主君に誓って、必ずお返しします」


 そして、騎士は自分の言葉と主君の名誉を守った。出立の三日前に再び教皇のもとに現れた彼は、王都のはずれに小さな家くらいは買える貨幣を持参し、新たに制作した『月色結界』を受け取る。


 彼の顔に、初めて笑みが浮かんだ。


***


 聖教皇は、今度は小さな会議室に騎士を通した。傍にはガーシュのみが控えており、他に人間はいない。


「なぁ、お前。茶の一杯ぐらいもっとマシな顔で付き合え」

「……それ、茶っていいます?」

 騎士は、不審なものを見る目つきで、生クリームとチョコチップの乗ったカフェオレを見ていた。おそらくカフェオレだとすら認識していないだろう。明らかに甘いものは苦手そうな様子だったので、気を利かせたガーシュがブラックコーヒーを淹れてくれた。


 柄の長いスプーンで生クリームをかき混ぜながら、聖教皇は尋ねる。


「何故同行しようと思ったんだ? はっきり言っておくが、アルカンシェルがあるから、シュエルテがあるからといって、どうにかなるほど甘い旅ではないぞ」


 騎士は、じっと教皇の顔を見つめた。


 自身が精霊だと明かして以降、聖教皇は顔をベールで隠すのをやめていた。神の手による彫刻のような美しさに見惚れる人間が続出したが、目の前の騎士は浮ついた軽薄さとは無縁に見えた。


「主君の前に道がなければ、それを切り拓くのが騎士の役目です」

 彼は、静かにコーヒーを口に含んだ。その姿には一欠片の悲壮感もなく、彼がとっくに覚悟を決めたことを物語っていた。



(この男なら、あるいは……)

 聖教皇は陶器のカップをソーサーに戻して、「私からも、ひとつ頼みがある」と切り出した。


「一番下の弟子を同行させることにしたが、あやつはまだ未熟者でな。だが私もほかの聖侍者せいじしゃたちも、神殿を動くことは出来ない」


 聖侍者は、九つの虹の神殿に同化して結界を守っている。彼らが意識を操って幻を顕現させることが出来るのは、その神殿の勢力圏のみだ。聖教皇と呼ばれる自分も同じ。結界の中ならばどこへでも自由に意識を飛ばせるが、結界の外の世界のことは分からない。何かしら危険が迫っても、それを知らせることも助けることも出来ないのだ。


「大切なものを守るために、未知の危険地帯へ挑もうとするお前にだから頼む。私の末の弟子が、無事に帰って来られるよう、手助けしてやってくれ」


 お前の大切な人を守るついでで構わないから――そのセリフを口にするより早く、騎士はコーヒーを飲み干して立ち上がった。


「主君に誓って」


 その誓いに嘘がないことを、聖教皇はもう知っている。


 やや愛想がないと思ったか、彼は憮然とした表情で付け加えた。

「恩義に恩義で報いることも、騎士の果たすべき道理ですから」


 彼は深く礼をすると、振り返ることなく去って行った。



 残されたのは、聖教皇と助祭ガーシュのみ。


「……人間を一括ひとくくりに考えるのは愚かなことだと分かってはいる。だが貴族の中にも、見るべき者はいるようだ」

 客用の食器を片付けながら、ガーシュは小さく頷いた。

「さようでございます。あのような若者たちが、我々の未来を担うと考えると、私は胸がほんわりとあたたかくなる思いがいたします」

「そうだな。若者たちの頭上に虹の祝福があらんことを」

 聖教皇は激甘カフェオレを冬空に掲げ、弟子たちの旅の安全を願った。

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