未来軸 番外編
☆焼きイカは〇〇の味
馬車の窓辺に肩ひじをついて、ゆったりと流れる景色をなんとなく眺める若い女性。
淡紅色の髪は、昔より短く切って、肩を超えるくらいでふわりと揺れている。金色の瞳には、
アルナールは、領地へ向かう馬車に揺られていた。どこにでもある貴族用の辻馬車で、誰が乗っているか、誰も気にしないだろう。
アルナールも同乗者も貴族社会での身分が高いので、あまり注目されるのが好きではない。
おかげで、娘は膝にもたれかかってぐっすり眠り、息子は静かに絵本を読んで――いない、うとうと船を漕いでいる。
息子を自分にもたせかけ、子どもらの頭を交互に撫でながら景色を見ていると、街中にはたくさんの露店がある。
石で出来た灰色のストリートに、カラフルなテント屋根が楽しい。雑多な商品、お店の呼び込み、客同士の笑い声。そしてなにより、美味しそうな匂いが、アルナールの食欲を刺激する。
「止めて!」
白いシャツ、黒いスラックスは、生地こそ上等だがどこにでも売っているもの。特別なのは、腰に
アルナールを誘い出したもの。それは。
「おばちゃーん。焼イカ、ふたつね」
愛想よく代金を受け取りながら、店番のおばさんが笑う。
「おやおや、恋人の分もいっしょかね?」
「? どっちも私が食べるんだけど」
「あ、そう……」
よく焼けた赤紫色の表面からのぞく、肉厚の白い身。てらてらと光る香ばしい茶色のタレ。焼かれてひょろんと巻いた耳。
――ぱくり。
豪快に、一口で半分以上食べたアルナールは、店のおばさんの言葉に、少し反省した。
子どもたちに買ってやったら、喜ぶに違いない。
そのついでになら、同乗者に買ってやるのもいいだろう。
馭者に扉を開けてもらい、ひらりと軽い足取りで馬車に乗り込むアルナール。
「お、それ、焼イカじゃないか」
寝ぼけまなこの子どもたちに渡しているものを見て、同乗者は懐かしそうに目を細める。
食べるか尋ねると、彼は照れくさそうに微笑んだ。
「焼イカは、君と並んで食べたいな。できれば、一枚の毛布をかぶってね」
アルナールは快諾した。
子どもたちをお互いの膝の上に乗せると、同乗者のマントを
肩が触れ合う温かさを感じながら、イカにかぶりついた。美味い!
そう遠い昔の話ではないのだが。
アルナールは、王国にないあるものを探すために、魔境と呼ばれる人類未踏の地へ旅立った。同乗者は、その時は同行者だった。
慣れない砂漠の気候、水や食料・医薬品の不足する中で、ケガ人などのトラブルが続出。魔境とは魔獣の住む土地であるから、未知の生き物との戦いも経験した。
誰にとっても、つらい旅だったはずだ。
そんな中。やっとたどり着いた目的地には海があった。そこは海風の強い冷涼な土地柄だったので、獲ったイカを焚火で焼いて、ふたりで風よけの毛布に包まれながら食べた。
美味しかった。これまで食べたどんなご馳走よりも。
アルナールは、同行者が旅で倒れて真っ青な顔をしていたこと、元気になってふたり一緒に海へ行きおしゃべりしながら海の幸を食べたことを、焼イカを見ると思い出すのだ。
「おかしゃま! おいちい! もっと!」
焼イカを気に入ったらしい娘が催促する。もっちりほっぺには、ソースがついている。
「かあさま! わたしも、もっと食べたい!」
妹と同じように、食べ終わった串を突き上げて元気に笑う息子。娘にとっては、兄にあたる。
アルナールは微笑んで、兄の砂色の髪と、妹の淡紅色を、両手でわしわしと撫でた。
「あんたたち、欲しいものは、奪うのよ――やっておしまい!」
同乗者に群がる子どもたち。彼はほとんど食べ終わっている焼イカを「ちょ、串が、あぶないから!」と文句を言いながら守ろうとし、やはり守り切れず娘に奪われていた。
「はぁ、誰に似たんだか。親の顔が見たいもんだね」
奇妙な文句を言うものだ。親なら、ここにふたりもいると言うのに。
アルナールが呆れて笑うと、金髪碧眼の同乗者もおかしくなったようで笑い出した。
「ねー、おかしゃま。イカって、なんの味?」
「えー。イカは、イカの味じゃないの?」
膝の上に乗ってくる兄妹に、アルナールは真実を教えてやった。
「イカはね、初恋の味がするのよ」
意味がわからないようで、娘は首をかしげている。
そんな彼女を、うっすらと耳をピンクに染めた同乗者が、よっと持ち上げて腿の上に乗せた。
「お前にも、いずれ分かるようになるさ――その日は、すご~く遠い日であってくれよ」
一方、息子はなにか納得したように、うんうん頷いている。
馬車が、目的地に到着した。
広くはないが、手入れの行き届いた貴族の屋敷だ。
屋敷の主人である、車いすに乗った男性と、その従者が客人を出迎える。
兄妹たちは、競うように馬車を下りると、口々に叫びながら駆け出した。
「おにいしゃん! あのね、イカおいちいの。たれ、おいちいの。たれ、のみたいの」
「こんにちは、お兄さんたち。あのね、イカって初モノのコイの味がするんだよ!」
ふたりを気持ちよく受け止めた男性たちは、顔を見合わせて困惑気味に微笑んだ。
赤みがかった金色の、やわらかそうな髪の男性がため息をつく。
「また、姉上が変なことを教えたんだろうなぁ」
子どもたちは車いすに興味津々で、ここへ来るといつも、膝に乗せてもらって庭の散歩を楽しむのだ。さっそく、せがんで抱き上げてもらっている。
アルナールは、木立の上に広がる青空を見上げた。そろそろ夏日になろうかという太陽の光が眩しい。
あの危険に満ちた大砂漠の煙っぽい空を、豊かな海の恵みを、出会いと別れ、仲間たちと過ごした日々と絆を。
決して忘れることはないだろうと、アルナールは思った。
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