〔Side:Shino〕10. 6月(June)
6月によく聞く英単語 ジューン・ブライド。
英語で6月はJuneといって、ローマ神話の結婚と多産を司る女神Junoの守護する月とされ、その月に結婚する花嫁は女神の祝福を授かるという昔からの言い伝え。
この時期はなにかと芸能人の結婚報道が多かったり、そこかしこの教会やチャペルが忙しく鐘を鳴らしている。
きっとウチには一生、縁はない風習だと思う。
5月の末。
最近寝落ち通話をしない日が増えていた。
ソファーで話し込む時間もあまりとっていなかった。
ジュリは家に帰ってきてからも何かに気を取られているようで、ウチと目を合わしたり、ぎゅぅをせがむこともしなくなってきていた。
夕食の後、お風呂から上がるとジュリの部屋から、少しだけ楽しそうに誰かと通話で話しているジュリの声が聞こえてきた。
その声のトーンやテンションが、明らかにウチと話す時のジュリのものとは違った。
もしかしたら……ウチより高い優先順位の人が現れたのかもしれない。
だってウチはあれから特に何もしていない。
ジュリからも、特になにかの要求があったわけもなく、いつも通り過ごしていた期間があっての、これだ。
きっとジュリにとっては大事なことなのだから、ウチは邪魔をすべきじゃない……
そもそも邪魔をしなければならない理由なんて……ウチにはないはず……
ジュリがいい人を見つければ……嬉しい…………けど……
そんな日が続いた6月の頭。
晩ご飯を一緒に食べている時、ウチはジュリの口から何気なく告げられた言葉を、噛みくだけずに聞き返した。
「週末からしばらく……家を、空ける?」
「そうなの。大学時代からの友達たちから式に招待されててね。だからしばらくこの部屋はシノンの好きに使っていいからね。2週間は空けることになるわね。家賃の負担とかはそのままでいいわ」
その期間の長さと急さに耳を疑った。
「2週間……しかも週末って、明後日から……?」
「前々から準備はしてて、カレンダーにも書いておいてたんだけど、直接は伝えてなかったよね。ごめんね、急な感じになっちゃって」
確かにリビングにあるカレンダーには、『渡米』と小さく書かれた線が長く引かれていたけれど、それがなんなのかをあまり意識できていなかった。
ましてやそんな長期間、ジュリが家を空けるとは思っていなくて、そんなことは今回が初めてだった。
「明後日の夕方の便で出発になるから、戸締りだけしっかりね?」
「う、ん。戸締り、気をつける……ジュリって、英語話せたんだ」
「まあ、それなりにはね。うちには英語圏の案件もよく来るから、私も数件担当したことあるし。もともと大学が国際科だったから、卒業して海外で働いてる友達も結構いるかな。今回はその友達のうちの3人がそれぞれ現地で結婚式挙げるってことで、今年限定の長期休暇みたいになったのよね」
「そうだったんだ……初めて聞いた……それって、みんな女の子?」
「え? 一人は男だけど、あと二人は女……って、なになに? シノン、ちょっと気にしてくれてるの?」
「い、いえ、気にするとかそういうのでは……ない、よ……」
「とてもそうは見えないけど〜?」
「それより、男って……元彼、とか?」
ジュリはぶんぶんと首を振る。
「ぜんっぜん。私、学生時代は誰かと付き合ったことすらなかったもの」
「そっか」
「部屋は大学の時特に仲の良かった女友達と一緒に取ってて、たぶん四六時中話しながら式とかに参加してるから、もしかしたらあんまり連絡とかは取れないかも。でも、海外ってなにかと物騒なこともあるから、必ず誰かと一緒に行動してるし安心してね?」
「ええと……はい……?」
なんだろう……わざわざそういうこと言うってことは、ウチが心配することが前提みたいな……
でも……考えてみれば、海外にいくのは確かに危険を伴うこともある。
誰かと一緒にいる方が安心には決まっているのに……
その間、ウチはこの部屋で1人……
考えが上手くまとまらない……
「お土産とか何がいいの? ハワイにも行くからコーヒーとかどうかな? 行く先々で気になったものは自分用にも買って送るつもりだから、受け取りお願いしてもい〜い?」
ハワイのコーヒーは確か……コナとかライオンとかのフレーバー系だったはず。
「あ、うん、受け取っておくよ。ハワイのコーヒーね。あれってフレーバーで風味付けしてて、ちょっと色々試してみたいかも」
職場近くのデパートに海外輸入コーナーがあるので、いくつか置いてあるのは目にしたことがある。
売り場においてあるのと種類や味、風味に違いがあるのかも気になる。
お店の方でも、期間限定でハワイ系の限定ビバレッジを出すこともあるし、この機会にどんな組み合わせが合うのか確かめてみたい欲はある。
「OK。とりあえずいくつかの種類のを買って送るようにするわね。楽しみにしてて」
フレーバー系は豆の種類自体はあまり変わらないものの、風味付けのフレーバーがたくさん選べる。
バニラ、マカダミア、アーモンド、チョコレート、ヘーゼルナッツ、ココナッツ、キャラメルなど組み合わせが豊富にある。
「お土産にそんなにもらうのも……お代は払うからなるべく色んなのをお願いしたいかも」
「えー? 受け取らないわよお代なんて。お姉さんお金だけは沢山あるんだから、そのくらいはこっちに持たせてくれなきゃお土産の意味がなくなっちゃう。そのかわり、帰ってきたら美味しいコーヒーを期待してるわね」
「ほんとにそんなことでいいの?」
「いいに決まってるでしょ。むしろ、色んなコーヒーをプロのシノンに淹れてもらえるのだって、本当なら毎日お金払ってもいいくらいなのに、無料提供されちゃってるのが悪いと思ってるくらいなんだから」
そんな風に期待してくれているのは嬉しくもあるけれど、プロと自負するにはまだまだ技量が足りていない。
ウチは正面のジュリから瞳をそらしながら呟いた。
「ブロって……ただのアルバイトだからウチなんて」
ジュリの細い指に顎を掴まれ、そして正面を向かされた。
ジュリと再び視線が交差する。
「シノンがバリスタの勉強頑張ってるの、私も知ってる。だから、少しでも応援したいと思ってるんだよ。それとも……余計なお世話だったかしら?」
下から見上げるジュリの瞳には真剣さが色濃く浮かんでいた。
「余計なお世話なんかじゃないよ。ありがとう」
チュッ
その真剣さがくすぐったくて、ウチはジュリのおでこをかき分けて、軽く音のする口付けをした。
おでこにキスとかくらいなら、恋人じゃなくてもするものだろうし、海外に行くならなおのこと。
「ひゃわっ!?」
「お代がわり……には程遠いけど、感謝の先払い……ごめん、嫌だった?」
「……〜! 嫌じゃないです、むしろもっとください」
「え、いや、これ以上はしないよ?」
「わかりました」
ジュリはすくっとソファーから立ち上がった。
「?」
「今の感触を忘れないようにベッドに行きたいからもう寝るね、おやすみシノン」
「あ、う、うん? おやすみ、ジュリ」
耳が赤くなってる。嫌がられなくてよかった。
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