〔Side:Shino〕1. ルームメイトはキャリアウーマン


 ウチのルームメイトは商社に務めるバリバリのキャリアウーマン。

 名前は一十 珠莉いと じゅり

 すごく珍しい苗字。いつもジュリって呼んでる。


 フリーターのウチとは違って、ジュリは毎日忙しそうで休みの日でも仕事場に行ったり、接待なんかもしていて、いつも擦り切れそうなほどがむしゃらに仕事に打ち込んでいる。

 泣きそうな酷い顔で帰ってくることもある。

 セクハラまがいのことをされたり、理不尽な仕事の偏りにもたえて仕事を頑張っている。

 そのひたむきさはうらやましくもあり、心配でもある。


 もともとウチが働いているカフェの常連だった彼女は、ウチが部屋を探していた時にたまたま好条件でルームメイトを募集していた。


「仕事ばかりで家事がたまっていくのに困ってて、もし私の分まで家事をしてくれるんだったら、家賃は一割だけでいいです」


 ウチは一人暮らしをしていたから、そんなことでいいならと、家賃の9割を彼女が持ってくれている。


「もともと猫でも飼おうかなって思ってたんだけど、忙しすぎて飼うのを諦めちゃった」


 そうして猫のために余していた1部屋を今は丸々ウチに貸してくれている。


 ウチのバイト代じゃどんなに切り詰めても手が届かないような、駅近でセキュリティの厳重な女性専用の高層マンション。

 バイト先もすぐ近くで、遊びに行くにも何をするにも困らない。


 だけど、初めてこの部屋に来たときは、これほど充実した生活が送れるとは思っていなかった。

 それはもう酷いありさまだった。

 床にゴミが散らかっていて、いつから放置されていたのかわからない食器から若干の異臭がしていたし、お風呂場もカビだらけ、洗濯物も散乱するくらい満杯で、どうしようかって。

 でも、そうなる理由はすぐにわかった。


 単純に彼女には時間がないんだろうなって……

 朝部屋を出て、帰ってくるのは平均的に22時頃で、そこからへろへろのままご飯を食べて寝る準備をすると、どうしても0時を過ぎる。

 私がご飯を作るようになる前は、仕事帰りにどこかで食べてくることもあったらしいけど、さすがに夜道に一人になると危ないので、近くのコンビニで買ってくることが一番多かったらしい。


 その時は寝るのがもっともっと遅くて、食べてる途中に寝落ちとかもよくしていたらしく、「化粧も落とせなくて肌が悲惨なことになったんだよ」と言っていた。

 そんな生活が続く状態は、若くてもさすがに体がついてくるはずもなく、何も予定のない休日は起こさなければ夕方まで眠っていた。


 そんな彼女の生活を何とかしてあげたくて、ウチは部屋を徹底的にきれいにすることから始めた。

 出しっぱなしだったものも整理して仕舞うようにしたら――


「うわはあ〜! 引っ越してきた時みたいに部屋が広くなってる! ありがとうシノン!」


 全力で喜んでくれるジュリに抱きつかれて、達成感もあって気持ちがよかった。


 それから、料理もできるだけ栄養を考えて作るようにもなった。


「私これ好きかも!」


「お母さんに教えてもらったレシピなんだけど、お口に合ったみたいでよかった」


「すんごいおいし! また作って欲しい!」


 ウチが一人でボロアパートに住んでいた時は、とにかく安く済ませるためだけだったけど、実家で好きだったミートソースのレシピが彼女にも好評で、ウチの中の料理欲につながったのもある。


 あとは勉強中のコーヒーも――


「はぁ〜……シノン。シノンの淹れてくれたコーヒーを飲むと、また頑張れそうな気持ちがしてくる。ほんと世界一おいしいコーヒーがお家で飲めるの最っ高」


「またまた、そんな大袈裟な……ウチなんてまだまだまだまだって感じだよ?」


「そんなことないない。シノンなら絶対バリスタになれるもん。私も応援させて」


「気早いってば、でももっと勉強は頑張る。応援してくれて、その……ありがとう、ジュリ」


 ウチがおいしいと思っているものを、ジュリにもおいしいと言ってもらえることだけでも嬉しくて、自信に繋がっている。



 毎日バイトが終わったら買い出しをして部屋に帰る。

 エプロンをかけ料理を作って、自分で淹れたコーヒーをすする。

 豆の状態と淹れ方、配分などを細かくメモを取りつつ、彼女の帰りを待ち遠しく思いながら勉強をする。


 もうすぐ帰ると連絡が来たタイミングで料理を温め直す。

 玄関の開く音がしたら、何をさし置いても顔を出して「おかえり」と言うようにしていた。

 それは彼女の帰りを待っているという意思の表明であり、無事に帰ってきてくれた事への感謝でもある。


 彼女はいつも限界以上に頑張ってへろへろの状態で帰ってきて、いろいろな話を一生懸命にウチに話してくれる。


 ウチは昔からこんなだし、あんまり声のトーンを変えられないからか、話を聞いてるか聞いてないかわからないと言われることも多かった。

 ジュリにもそう思われているのかと、はじめのうちは不安だった。

 けれど、彼女はそんなウチにも毎日一生懸命たくさん話をしてくれている。


「ジュリ、そろそろ……」


 彼女が眠そうにウトウトしてきたら寝室へ行くように促すのだけど――


「眠い……けどまだ話した〜ぃ」


 眠くなってむにゃむにゃしだすのがかわいくて、ずっと見ていられる。


「そうはいうけど。明日もあるし、続きはベッドに行って通話繋いで話そう? ね?」


「ん、通話する。でもその前にぎゅぅする」


「うん、いいよ、おいで」


 こんなふうに甘えられたら、断る気にはなれないよ。

 ウチとちがっていろいろとやわらかいし、いいにおいだし、悪い気はしないもの。

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