セイレーンの呼び声.mp4

不明夜

セイレーンの呼び声.mp4

 秘密結社にも盆休みはある。意外なことに。

 もちろん、有給を使って九連休を錬成することだって許される。

 昔は故意に足やら腕の一本二本を折ることで不正に休むライフハックが上司から部下へと口伝されていたが、数年前そのライフハックが社長にバレて現代医療・魔術・呪術・召喚術、その他あらゆる現実的もしくはな手段で一日以内に直せる怪我では、一日たりとも休めなくなってしまった。

 

 しかし日数に拘らず、秘密結社に務める一会社人の盆休みは退屈なものだ。

 だらりとベッドの上に転がり、SNSを眺めて面白そうなネットニュースをつまみ食いしては日が暮れるのを待つだけの日々。

 更にSNSも命懸けだ、例えば「配信を聞いていると必ず頭重感・吐き気・冷や汗などが訪れる新人VTuber」のようなウチの管轄内だろう非現実的ニュースを見てしまったが最後、仕事を思い出して胃がキリキリと痛み始める。

 当社の名はオラクル&インサニティ・カンパニー、表向きは外資系総合商社として活動する、何ともオカルティック不思議で不可解な秘密結社だ。

 業務内容は、あらゆるなモノの収集と売買。

 もしも先人に倣い長ったらしい説明をするのならば、『精霊、魔神、魔法使い、地獄との交渉、占い、呪い、カバラその他の神秘学、奇蹟、イカサマ、種々の迷信、予兆、降霊術の事蹟、および概括すればあらゆる奇蹟的・驚異的・神秘的・超自然的な誤った信仰に関する存在・人物・書物・事象・事物の収集と売買』だろうか。

 全てにおいてロクなモンじゃない、たったそれだけで説明は終わるけれども。


 個人用のスタンディングデスクに座り……もとい、立ってノートパソコンを広げ、休み明け最初の業務を始めようとした時。

 兎が跳ねるような元気で可愛らしい声がこちらへ飛んできて、すぐさま理由わけの分からない文章をこちらの脳に叩き込んできた。

 まだ今日の業務は始められそうにない。


「センパイ! 聞いてくださいよ! ねえ! これは、私が盆休みにバミューダトライアングルへ行った時の話なんですけど」


 ────はあ、盆休みにバミューダトライアングル。


 これまでの経験から、これは当分終わらない話だと観念してノートパソコンを閉じ、仕方なく彼女の方へ向き直る。

 真っ白の髪をゆらゆらと揺らして楽しそうに笑う彼女の名は山田ソフィー、ビジネスカジュアルよりも半袖半ズボンが似合う言動の天才的ジーニアスバカにして、僕の大切な後輩だ。

 元は黒髪だった筈だが、もしや社則をすり抜けて十五連休を達成するために自らの上半身を吹っ飛ばし、初七日を迎える前にお盆で帰ってきた影響だろうか。

 ……どうでもいいな、後輩が変な方法で髪を脱色していても僕には関係ない。


「センパイ、バミューダトライアングルについて知ってますか。なーんて聞くまでもなく知ってますよねー。船や飛行機が跡形もなく消えるとウワサの、世界一有名な!」


 ────ああ、勿論非現実的なオカルトを扱う者として当然知っている。


 フロリダ半島先端、プエルトリコ自治連邦区、そして名前の元たるバミューダ諸島を結んだ三角形の海域、それこそがバミューダトライアングルだ。

 原因と噂されるモノは科学的現象からオカルトまで多岐に渡るが、今日に至るまで原因不明のままとされている。


「行ってきたのか。何故?」

「そりゃあ盆休みですから! 社会人になっても行きたい時はあるんですよ、海」


 いまいち的外れな回答を残し、矢継ぎ早に彼女は話す。


「そこでってきました、セイレーンの声」


 ────はあ、セイレーンの声。って、つまり録音してきたと。


「待て、バミューダトライアングルにはセイレーンが居るのか? ギリシア神話に登場する海の怪物が。立地からして有り得ない話だ」

「じゃあ逆に聞きますけど、上半身が人間で下半身が魚、岩瀬で美しい歌を歌っている存在を、セイレーン以外に何と呼べばいいんですか?」

「それは……普通に人魚マーメイドで良くないか?」

「あ」


 ────よし、一件落着。

 

 我が社の誇る埃、堂々たるマジェスティックバカが普通の人魚マーメイドをセイレーンだと思い込み、勝手にギリシア産の怪物にジブラルタル海峡を超えさせてしまっただけ、というのが本日の真相だろう。

 今日は業務開始までが早そうだ。


「でも、私のクルーザーの船長をしましたよ。明らかに歌のせいで死にかけてましたし。私は仕事柄慣れてるから平気でしたけど」


 ────ほな人魚マーメイドではないか。人魚マーメイドはどちらかといえば被捕食者だ。


「とりあえずぶん殴ってふん縛り、かるーく歌わせて録音したんですよね。その録音データがこちらとなります。再生してもいいですよ、センパイ?」


 彼女が胸ポケットから取り出して軽く操作した後に渡してきたのは、画面に一本のヒビが入っている以外は何の変哲もない私物のスマホ。

 それを受け取った次の瞬間、僕は頭を抱えて画面から目を離した。


「ヒビは気にしないでくださいねー、ちょっと落として踏んでしまっただけなので」


 ────気になったのがそこな訳ないだろう。心の準備にも限度がある。


『セイレーンの呼び声.mp4(49)』

『セイレーンの呼び声.mp4(48)』

『セイレーンの呼び声.mp4(47)』

『セイレーンの呼び声.mp4(46)』

『セイレーンの呼び声.mp4(45)』


 ────なぜわざわざ同名で保存し続けているんだ?いや違う、そこでもなくて。


 渡されたスマートフォンの画面には、大量の音声ファイルが保存されていた。

 ファイルサイズから逆算して録音は約30分で区切られている。

 それが50個なら1500分、時間に直して25時間、つまり約1日だ。

 多過ぎる。

 それだけ録音して何がしたいんだ、この狂気的マッドネスバカは。


「はー……、よし」


 ここはオラクル神託インサニティ狂気・カンパニー、気が狂ったとしか思えない名前の通り、常日頃から狂気の渦巻く秘密結社。

 コンセンサスやコンプライアンス、アポイントメントと言った訳の分からない横文字の代わりに、非合意で非倫理的なアポカリプスばかりが訪れかける場所だ。

 よってこれも日常の一部。

 いざとなれば鼓膜を破ろう。

 意を決して『セイレーンの呼び声.mp4(44)』をタップし、再生する。


「どう? 綺麗な歌声ですよね、センパイ?」


 ────想定とは違って。本当に、ただただ綺麗な歌声だった。


 気分が悪くなることもなく、勿論死にかけることもなく、清廉せいれんで透き通ったア・カペラ。

 歌詞は聞き取れないが、逆説的に日本語・英語・フランス語・イタリア語のどれとも違う、というよりはロマンス諸語に属さないラテン語が起源ではない言語の筈。

 部分的に聞き取れたような気がする単語も稀にあるが、流れる水のように朗々と歌われている以上、気のせいと言われても否定はできない。

 とりあえず、以上から導き出される結論はこうだ。


「……この歌は古代ギリシア語、の可能性がある」

「じゃあ、やっぱりセイレーンでいいですね」

「だな、僕の負けだ。だが本題は違う。どうして録音で聴いても効力がないんだ、セイレーンの歌声は旅人を狂わせる。その効力は、バミューダトライアングルが発生した犯人の候補としても申し分ない程だというのに」

「そこで、次の話があるんですよ。勿論聞いてくれますよね、センパイ!」


 ────とても嫌な予感がすると、僕の経験は告げている。

 

 キリキリと痛む胃をさすりながらスマホを返し、深呼吸して心を落ち着ける。

 大丈夫、僕は後輩が休み欲しさに自分の上半身を吹き飛ばしたと聞いて、顔色一つ変えずに早退して家へ帰った男だ。

 彼女の突拍子もない話には慣れている、この程度で挫けるものか。


「これは、私がセイレーンの声を使ってAIボイスチェンジャーの為の音声学習データを……」

「待ってくれ、とりあえず結論だけ頼む。長くなるだろう」

「せっかちさんですね、センパイは。結論なんて一つしかないじゃないですか」


 ────とても、とても嫌な予感がすると、僕の経験は告げている。


「セイレーンボイスチェンジャー、効果ありましたよ!」


 とても、とても、それはもうとても嬉しそうに満面の笑みで話す銀河級ギャラクティックバカ。

 効果があったら困るんだよ、使うだけで呪いの呼び声に早変わりするボイスチェンジャーだなんて、そういうな品は当社の商品になり得る。

 つまり、仕事が増える。

 

「まあ、せいぜい船酔いのような症状を発生させる程度ですけどね! 開発部でも何でもない、営業部の私にしてはイイ物が作れました」

「よくない、何もよくない。それを売るのは僕達の仕事だ、どうにか口八丁で商品に価値を付け、魔術師やら隠秘オカルト企業に売るのがどれだけ面倒かなぜ学ばない! どうして、また微妙に売り辛い商品を作ってしまうんだ」

「ってのは置いといて、ですね」


 ────僕の叫びは置いておかれた。


「推察するに、セイレーンの声で『音を出す』ことが重要なんですよ。歌自体に意味はない。録音しても意味はない。セイレーンの声自体が一種のフィルターとなって、それを使った全ての音にという属性を付加するんです」


 ────言いたいことは沢山あるが、夏休みの自由研究としては上出来だろう。

 

「面白い考察だった、ソフィー。それじゃあ今日も仕事を始めようか」


 体の向きをデスクに戻し、再度ノートパソコンを開く。

 今日の主業務は比較的簡単で、最近SNSで噂の「配信を聞いていると必ず頭重感・吐き気・冷や汗などが訪れる新人VTuber」の特定と確保という一日で終わるもの。

 どうせウチに巡ってくるだろうと考えて予め胃を痛めておいたお陰で今は気分爽快だ、冷静になれば「何とかして博物館から国宝を合法的にってこい」のような理不尽極まりないものよりずっと楽だ。


「待ってください。あと一つ聞いてほしい話があるんですよ!」


 今更だが、頭重感・吐き気・冷や汗とは船酔いでよく見られる症状だ。

 それら一つずつの症状を起こす呪詛が配信に含まれている、というよりは船酔いを誘発する呪詛が含まれているほうが可能性は高いだろう。

 例えば、、のような。


「これは、私が盆休みにVTuberとして配信活動を始めた話なんですけど」


 ────この日の主業務は、あと二十秒で終わることとなる。

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