もう一度、君に逢えたら
@Naraouka
もう一度、君に逢えたら
プロローグ
もう逢えない人
春の風が、教室の窓をやさしく揺らしていた。
卒業式が終わり、校庭には名残惜しそうに写真を撮る生徒たちの声が響いている。
蒼太(そうた)はその喧騒から少し離れた教室の隅に立ち、じっと窓の外を見つめていた。
「……遥(はるか)。」
心の中でその名前を呼ぶ。
三年間、言葉にできなかった想い。
同じクラスで、何度も隣の席になって、何度も話す機会があったのに、
結局、何も伝えられなかった。
教室の扉の近くで、彼女は友達と談笑していた。
笑っている――でも、どこかその笑顔が儚く見えた。
まるで、風に舞う桜の花びらのように、今にも消えてしまいそうで。
ふと、遥がこちらを見た気がした。
その視線が交差する前に、蒼太は目を逸らしてしまう。
「なんで、もっと早く……」
自分の臆病さが嫌になる。
“いつか言える”と思っていた。
でも、“いつか”なんて、こんなにも簡単に終わってしまうものなんだ。
──そして、あの春の日から一年後。
遥が事故で亡くなったという知らせが届いたのは、大学の授業を終えた帰り道だった。
ありふれた日常の中に、突然現れた絶望。
時間が止まるとは、こういうことなんだと初めて知った。
「うそだろ……」
言葉にならなかった。
信じたくなかった。
声にならない叫びが、胸の奥を引き裂いた。
彼女のSNSには、春の景色と一緒に写る最後の笑顔が残されていた。
『また来年、みんなでお花見しようね』
そんな一文が添えられた投稿。
もう、「来年」は来ない。
蒼太はその夜、眠ることができなかった。
星の見えない夜空を、ただ見上げていた。
そして、ぽつりと呟いた。
「もう一度だけでいい。……君に逢いたい」
その瞬間、耳鳴りのような音がして、
目の前が眩しく光った―
第1章:はじまりの春
「……痛っ」
鈍い頭痛とともに、蒼太は目を覚ました。
寝ていたのは、見覚えのある教室の机。
あれ? 大学の講義じゃなかったか……?
だが、目に飛び込んできたのは、ブレザーの制服に身を包んだ生徒たち。
そして、教室の窓から差し込む春の光――
その景色に、蒼太は言葉を失った。
「嘘だろ……これ、三年前じゃん……?」
あまりにも鮮明で、懐かしくて、信じがたい光景。
高校二年の春――遥と出会った年の教室だ。
まるで夢のようだったが、指先に感じる木製の机の感触が、これは現実なのだと告げていた。
「タイムリープ……ってことか?」
混乱しながらも、蒼太の胸の奥にひとつの確信が芽生える。
これは、あの夜に願った“もう一度逢いたい”という想いの答えだ、と。
放課後、教室の後ろでひとり座っていると、懐かしい声が聞こえた。
「蒼太くん……だっけ? 同じクラスだよね」
振り向くと、そこには遥が立っていた。
柔らかな光に包まれたような笑顔。
あの日と、まったく同じ……いや、それ以上に鮮明だった。
「あ……ああ、うん。同じクラス」
声が震える。
でも、今度こそ――
今度こそ、彼女に何も伝えられなかった自分を変えたい。
蒼太は心に誓った。
遥と、もう一度やり直す。
そして今度は、ちゃんと伝えるんだ。
「良かったら、帰り一緒に駅まで歩かない?」
遥がそう言ったとき、蒼太は深く息を吸い込んだ。
「うん。ぜひ」
タイムリープがもたらした“やり直し”のチャンス。
それが運命を変える鍵なのか、それとも残酷な再演なのか――
このときの蒼太には、まだ知る由もなかった。
第2章:変わり始めた日々
遥との再会から、数日が経った。
蒼太は日々の一瞬一瞬を、まるで宝物のように感じながら過ごしていた。
あの日の遥は、確かにそこにいた。
笑って、話して、風に揺れる髪まで覚えているくらい、鮮明な存在だった。
けれど未来では、もう……彼女はいない。
「今度こそ、守る」
その想いは日を追うごとに強くなっていた。
授業のあと、蒼太は思い切って声をかけた。
「遥、今日このあと、時間ある?」
「うん? あ、うん……あるよ」
「よかったら、図書室行かない?」
「え、いいよ。私も行きたかったし」
ほんの些細な会話。
でも、その積み重ねが、蒼太にとっては確かな一歩だった。
図書室で本を選んでいるとき、遥がふとこんなことを言った。
「蒼太くんって、変わったね。前はもうちょっと……無口っていうか」
「そ、そう?」
「うん。なんか、話しやすくなったっていうか、優しい空気になったなあって」
その言葉に、蒼太の胸は小さく波打った。
自分の言動が少しずつ未来を変えているのかもしれない。
それが嬉しかったし、同時に怖くもあった。
それからも、毎日を大切に過ごした。
一緒に下校したり、文化祭の準備で笑い合ったり。
かつてできなかった“何気ない日常”を、少しずつ積み上げていった。
でも――
ある日、放課後の帰り道で、遥がふと立ち止まった。
「ねえ、蒼太くん」
「ん?」
「……私さ、来年の春まで生きてると思う?」
突然の言葉に、心臓が止まりそうになった。
どうして、そんなことを言うのか。
“未来”を知ってるわけじゃないはずなのに――
「……何言ってるんだよ。もちろん生きてるよ。生きてなきゃ、ダメだろ」
遥は、少し笑った。
でもそれは、どこか無理に笑っているような、そんな笑顔だった。
「だよね、ごめん。変なこと言った」
その夜、蒼太は一人で思い悩んだ。
未来を変えるために戻ってきたはずなのに、
遥はまるで、自分の“終わり”を受け入れているかのようだった。
彼女は、何を知っている?
何を隠している?
そして蒼太は、心の底で理解し始めていた。
これはただの“やり直し”じゃない。
何かもっと――深い理由が、このタイムリープにはあるのだと。
第3章:未来を知るということ
遥の言葉が、胸に引っかかったままだった。
「来年の春まで生きてると思う?」
あの問いは、ただの冗談や思いつきではなかった。
蒼太には、そう思えてならなかった。
彼女は何かを知っている。
未来を、もしくは――自分の運命を。
「なあ、遥って……昔から霊感とか強い方?」
ある昼休み、唐突に蒼太は尋ねた。
自分でも変な質問だと思ったけど、聞かずにはいられなかった。
遥は、一瞬だけ手を止めて、ゆっくりとこちらを見た。
「……なんでそう思ったの?」
「いや、その……前に言ってた、“生きてると思う?”ってやつ、なんか引っかかって」
遥は小さく微笑んだ。
けれど、その笑顔の奥には、はっきりとした“影”があった。
「正夢を見ることがあるの。昔から」
「正夢?」
「うん……たとえば、朝起きたら“今日、この教室でこのセリフを誰かが言う”って分かってる感じ」
「それって……」
「でね、一度だけ見たことがあるの。自分が、誰かに泣きながら“ごめん”って言ってる夢」
遥はそこまで言って、少し口を閉ざした。
それ以上、言いたくないという意思が見えた。
その夜、蒼太は自室の机に向かい、スマホで「遥 事故」と検索していた。
自分が過ごしてきた“未来”――そこには、たしかに遥の名前が載っていた記事があった。
《高校生女子、交通事故で意識不明。〇月〇日、午後6時前、自転車で帰宅中……》
その日付は、遥が何気なく「何か起こりそう」と呟いていた日と一致していた。
「やっぱり……このままじゃ、また同じ未来になる……」
蒼太は歯を食いしばった。
あの日、願っただけでは何も変わらなかった。
でも今、彼女は目の前にいる。
手を伸ばせば、まだ届くところにいる。
「絶対、救ってみせる……」
そのとき、スマホの画面が一瞬だけチカチカと光った。
違和感を覚えて見つめていると、ふと通知がひとつ表示された。
『あなたが未来を変える代償について』
発信者不明。
開こうとすると、すぐに画面は元に戻ってしまった。
“未来を変える代償”――?
それは、ただのバグだったのか、
それとも――この“やり直し”が、ただの奇跡では済まないという警告だったのか。
蒼太は、静かに息を吐いた。
「構わない。何があったとしても……遥を救う」
運命に立ち向かうために、彼はもう、迷わないと決めていた。
第4章:君の涙を知った日
五月の夕暮れ。
校舎の影が長く伸びる頃、蒼太と遥は人気のない中庭のベンチに並んで座っていた。
風が、遥の髪をそっと揺らす。
いつもより口数が少ない彼女の横顔を、蒼太はそっと見つめていた。
「ねえ、蒼太くんは……どうして、そんなに優しいの?」
不意に遥がそう尋ねてきた。
「え?」
「だって、いつも私のこと気にかけてくれるし、なんか……全部、わかってるみたいに」
蒼太は返事に詰まった。
本当は知っている――遥の未来も、事故も、全部。
けれど、それを言うわけにはいかない。
「遥のこと、放っておけないから」
それだけを、正直に伝えた。
遥は少しだけ微笑んで、膝の上で手を組み、視線を落とした。
「……私ね、小さい頃から、いつも“いい子”って言われて育ってきたの。
期待に応えるのが当たり前で、我慢するのも当たり前で。
でも時々ね、全部やめたくなるの。泣きたくなるくらい、どうしようもなくなる」
蒼太は、言葉を失った。
遥はいつも笑っていた。でもその笑顔の裏に、こんな孤独があったなんて。
「それなのに、私が泣いたら、きっと誰かを悲しませちゃう。だから泣けないの。
ねえ、私、間違ってるかな?」
「間違ってなんか、ないよ……遥」
蒼太は、自然と彼女の手を握っていた。
震えていた。
遥の小さな手が、震えていた。
「泣きたかったら、俺の前では泣いていい。無理に笑わなくていい。
だって俺、遥がちゃんと笑ってくれるなら、それだけでいいから」
遥の目に、光が宿る。
「……優しいね、蒼太くんって。ずるいよ」
その瞬間、遥はぽろりと涙をこぼした。
そして、静かに、肩を震わせながら泣いた。
誰にも見せなかった涙。
いつもひとりで隠していた想い。
それを、ようやくこぼせた遥の姿に、蒼太の胸が締めつけられた。
「ありがとう、蒼太くん。……本当に、ありがとう」
その夜、蒼太は空を見上げながら思った。
“あの日の未来”では、遥はひとりでこの気持ちを抱えていたのかもしれない。
助けられなかった自分を、もう二度と繰り返さないために――
彼女の涙を知った今、絶対にこの運命を変えてみせる。
第5章:運命に抗う
6月。
あの日に向かって、時間が静かに、でも確実に進んでいた。
遥が事故に遭ったのは、夏休みの直前――あと一ヶ月もない。
「絶対、あの日を越えてみせる」
蒼太は何度もスマホのカレンダーを見返した。
事故当日を“運命の日”として、予定表に赤く記した。
しかし、何も手がかりはなかった。
“どうして事故が起きたのか”、未来の自分も詳しくは知らない。
ただ、夜、ひとりで自転車に乗っていた――それだけ。
蒼太は毎日のように、遥のそばにいた。
登下校を一緒にしたり、部活の帰りに迎えに行ったり。
彼女が“ひとりにならないように”気を配った。
けれど、そんな彼の行動に、遥が少しだけ戸惑い始めていた。
「蒼太くん、最近……少し過保護すぎない?」
「えっ、そうかな?」
「なんか、私がひとりになるの、すごく嫌がってるっていうか……」
言葉を濁す彼女の表情に、蒼太は焦りを感じた。
本当の理由を言いたくても、言えない。
“君は死ぬ未来があるから”なんて言ったら、きっと壊れてしまう。
「……ごめん。心配しすぎてたかも」
「ううん、気持ちは嬉しいよ。蒼太くんのそういうとこ、安心するし。
ただ……私がいなくなるって、そんなに怖い?」
「……当たり前だろ。遥がいなくなるなんて、俺は……絶対に嫌だ」
遥はふっと目を伏せて、空を見上げた。
「ねえ、蒼太くん。
“未来って、変えられる”と思う?」
唐突な質問だった。
でも、その言葉に蒼太の心臓が跳ねた。
「変えられる。俺は、変えたいって思ってる」
「……そっか。なら、私も変えてみたいな。蒼太くんと、もっといたいから」
その言葉に、胸が熱くなった。
遥はやっぱり、何かを知っている。
自分の未来に“終わり”があることを、無意識のうちに感じ取っているのだ。
そして――運命の日の1週間前。
蒼太は、遥に「来週の金曜、どこにも行かないで。お願いだから」と言った。
遥は驚いた顔をしたが、うなずいてくれた。
「いいよ。でも……なんで?」
「理由は、来週話すから。それまで、信じてて」
遥は小さく微笑んだ。
「信じてるよ、蒼太くんのこと」
彼女の瞳は、どこか泣きそうなほど、優しかった。
そして迎える、運命の日――
朝から雨が降っていた。
蒼太は心臓が潰れそうな思いで学校に向かった。
彼女はちゃんと来ていた。
何事もない、いつも通りの笑顔で。
だけど、ふと気づく。
下駄箱に、遥の靴が残っていない。
「……まさか」
彼女は、帰ってしまった? ひとりで?
必死にスマホを開くと、遥からのメッセージが届いていた。
「今日、どうしても一人で行きたいところがあるの。ごめんね」
胸が凍った。
“繰り返される運命”が、いままさに動き出そうとしている。
蒼太は走った。
全力で、遥を探して。
もう二度と、彼女を失いたくない一心で。
第6章:最後の選択
蒼太は、びしょ濡れになりながら町を走っていた。
スマホのGPSは不安定で、遥の現在地はわからない。
ただ――胸の奥で、何かが叫んでいた。
「間に合ってくれ……!」
記憶の中にある、あの事故の記事。
場所は川沿いの旧道。普段は人通りが少なく、夜は真っ暗になる。
彼女が“どうしても一人で行きたい”と選んだその場所は、
きっと――“終わり”の舞台。
そこに着いたとき、蒼太は息を呑んだ。
雨の中、遥が立っていた。
橋の上、傘もささず、静かに空を見上げている。
「遥ぁっ!!」
彼女が振り向いた。
その瞳に、驚きと――どこか、懐かしさが浮かぶ。
「……やっぱり、来たんだね」
「なんで、こんなところに……! ここにいたら……!」
遥はかぶりを振った。
「わかってたの。ここで“終わる”って。
前にも見たの。夢の中で。
この場所で、最後に、あなたが叫んでくれる夢」
「なんで……!」
「だって、蒼太くんはね、未来から来たんでしょ?」
時が止まったような感覚だった。
遥の言葉は、まっすぐに核心を突いていた。
「知ってたよ。ずっと……あなたの目が、私を知ってるって感じてた」
蒼太は、足元が崩れるような感覚を必死で堪えた。
言葉にできなかった気持ちが、溢れそうになる。
「ごめん……! 何も言えなかった……でも、俺、本当に……君を救いたくて――」
遥は微笑んだ。
その笑顔は、すべてを受け入れているような、寂しいけれど優しいものだった。
「知ってる。だから、来てくれたんでしょ。
でも、蒼太くん……未来を変えるって、そんなに簡単じゃないよ」
「それでもいい! 君がいなくなるくらいなら、俺が――」
「じゃあ……ひとつだけ、選んで」
遥が差し出したのは、古びた小さなネックレス。
見覚えのある――卒業式の日、遥がつけていたものだ。
「もし、私が“今を忘れて”生き残る未来があるなら、あなたはそれを選ぶ?」
「……え?」
「あなたのことも、この時間も、全部忘れて。
でも私は、生きる。
それとも、あなたのことを覚えたまま……ここで終わる方がいい?」
世界が、静まり返ったようだった。
究極の選択――“救う”ことと“共に生きる”ことは、同じじゃない。
どちらかを選べば、何かを失う。
蒼太は、遥の瞳をまっすぐに見つめた。
そして、強く、深く、息を吸った。
「俺は……」
第7章:もう一度、君に逢えたら
「俺は……君に、生きてほしい。
どんな形でも――君が生きてる未来を、俺は選ぶ」
沈黙の中で、蒼太の言葉が雨音に溶けていく。
遥の表情が、一瞬だけ揺れた。
「……全部、忘れても?」
「忘れてもいい。
君が笑って、生きていてくれるなら……俺のことなんて、忘れてもいい。
だって……それが、君にとって幸せなら、俺はそれでいい」
震える声で、でも確かに、そう言い切った。
遥は、少しだけ涙を滲ませながら、ネックレスを静かに握りしめた。
「そっか……蒼太くんって、やっぱりずるいくらい優しいね」
彼女の足元に、淡い光がにじみ始めた。
世界が、再び“切り替わる”音が聞こえた気がした。
「ありがとう。きっと私は、もう大丈夫。
だから……さよなら、蒼太くん」
彼女の声が消えた瞬間――
世界は、白い光に包まれた。
次に目を覚ましたとき、蒼太は見慣れた大学の自室にいた。
カレンダーは、“遥の事故”の未来を超えていた。
夢だったのか……
けれど、心臓は今も高鳴っている。
本当に、あの時間を過ごしていた感覚が、まだ全身に残っている。
彼は、スマホを開いた。
連絡先――そこに、“遥”の名前はなかった。
SNSを探しても、何も見つからない。
写真も、メッセージも、全部がなかったことのように消えていた。
“選んだ”のだ。
彼女が生きる世界を。自分を忘れてでも。
喪失感が胸を満たす。
でも、不思議と涙は出なかった。
なぜなら、彼は確信していた。
遥は――生きている、と。
数日後。
大学近くの駅前のベンチに座っていた蒼太は、ふと視線を上げて、
人混みの向こうに見覚えのある後ろ姿を見つけた。
黒髪が肩に揺れて、白いイヤホンコードが風に揺れている。
どこか懐かしく、でも“初めて見るような”存在。
思わず立ち上がって、声をかけた。
「……遥?」
彼女が、ゆっくりと振り返る。
蒼太の心臓が、大きく跳ねた。
遥は、ほんの少し不思議そうな顔で微笑んだ。
「え……もしかして、会ったこと……ありましたっけ?」
「……いや、ううん。初めまして、かな」
その言葉に、遥はくすっと笑った。
「でも、なんか不思議。初めてなのに、安心するね」
蒼太も、微笑み返した。
胸の奥が、温かくなる。
記憶はなくても、きっと心のどこかに残っている。
それだけで、また始められる。
「もし良かったら……少し、話さない?」
「うん。いいよ」
春の風が吹き抜ける。
桜は、もうすぐ咲き始めるだろう。
それは、きっと――
新しいふたりの、始まりの季節。
エピローグ:春風の中で
駅前のカフェの窓際、春の日差しが差し込む席で、蒼太はゆっくりとコーヒーを飲んでいた。
隣の席には、遥がいる。
いや――“遥”という名前は、まだ彼女の口から聞いていない。
それでも、彼女はそこにいた。
笑ったときの口元、飲み物を持つ手の仕草、
話すときにふと空を見る癖。
どれも懐かしくて、でも新しい。
「ねえ、なんで私に声をかけてくれたの?」
彼女が、不意にそう尋ねた。
「うーん……なんとなく、君に声をかけなきゃって、思ったんだ」
「ふふっ、運命みたいな?」
「そうかもね」
会話はぎこちなくなく、自然だった。
まるで長い時間をかけて、ようやく再会できたような、そんな感覚。
「今度、桜が咲いたら一緒に見に行かない?」
蒼太のその言葉に、彼女は小さく頷いた。
「うん、行きたいな」
その笑顔は、記憶の中のどれよりも、やわらかくて優しかった。
店を出たふたりは、並んで歩く。
空はどこまでも高く、春の風が頬をくすぐった。
何もかもを覚えていなくても、
きっと、心が覚えている。
一度はすれ違ったふたりでも、また“出会う”ことはできる。
それが奇跡であっても、
たとえ運命が試練を与えても、
誰かを想い、願うことが未来を変えるのなら――
蒼太はもう、過去に縛られない。
“これから”の時間を、大切に生きていく。
彼女と共に。
そして――
「初めまして、だよね?」
その問いかけに、彼は笑って答えた。
「いや、たぶん……『おかえり』だよ」
春の風が、ふたりの髪を優しく揺らしていく。
完
もう一度、君に逢えたら @Naraouka
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