JKケルベロスが俺の目の前にあらわれた!
未人(みと)
第1話 雨宿りの冥界番犬と猫
ゲリラ豪雨に追い立てられるように、シャッターの下りた商店街のアーケードの下へと駆け込んだ。
コンクリートとトタン屋根を叩く雨音が、耳を埋め尽くす。
湿気で張り付くワイシャツが、この日の俺の運の悪さを物語っていた。
「そこのリーマン! 今日からお前がこの猫の飼い主だ!!」
その声に振り向いた俺の目に飛び込んできたのは、制服姿のJKだった。濡れた髪から滴る水が額に貼りつき、スカートの裾を濃く濡らしている。
ぱっと見はただの女子高生だった。……ただ、頭からぴんと飛び出した三角耳と、首元で鈍く光る首輪を除けば。その耳が雨粒を弾くたびに「ピク」と動いて、俺の目をさらに疑わせる。
「にゃあ」
足元の三毛猫が鳴いた。猫語だというのにどう聞いても「やれやれ」と言ってるようにしか聞こえない。
「あー、なんだ……本人(猫)は乗り気じゃなさそうだぞ」
「猫の意思なんかどうでもいいの! あんたが飼うの!」
「いやいや待て! 初対面で何言ってんだ!ってかお前誰だよ!」
彼女は胸を張り、声高に名乗った。
「私は冥界の番犬——」
ガシャガシャガシャッ!
強風に煽られたシャッターが、古い鉄板を叩き合わせるように鳴り響く。
「……は? なんだって?」
「だから、私は冥界の——」
ブロロロロロッ!!
オンボロトラックが爆音を撒き散らし走り去る。
「おい! 聞こえねぇっての!」
「だから、私は冥界の番犬——」
ピカッゴロゴロゴロ……!
空が裂けるように稲光が世界を白く染め上げ、雷鳴が轟く。
「いい加減にしろ!タイミング良すぎるわ!」
だが——その直後。
バリィィィィィンッ!!
稲妻が商店街の屋根を駆け抜けた瞬間、彼女の背後に巨大な影が浮かび上がる。
三つの頭を持つ黒犬。その口々から漏れるのは、低く、地を揺るがす咆哮。
「——私は冥界の番犬ケルベロス!」
ケルベロスの瞳が深紅に光り、雨粒を弾く耳がぴんと立ち上がる。
制服姿のただの女子高生は、その一瞬、冥界を統べる守護者の姿に変わっていた。
雷鳴がその宣言を押し上げ、商店街の影が一斉に彼女へと収束する。
俺は息を呑んだ。
「……カッコよすぎるだろ……いや、なんだこれ!? 演出チームでもついてんのか!?」
「にゃーん」
「お前がなんで得意げなんだよ!!……たくっ、それでこの猫なんなんだ?」
「え? あー、それは……まあ、その……冥界の王で私の主であるハデス様は、奥方様のペルセポネー様に尻に敷かれているというか、なんというか……。で、その奥方様が大の猫好きで、冥界で彷徨っていたこの猫を憐れに思い、ハデス様に“お願い”して——」
「それでハデスってやつがお前に押し付けたってことか。とんだダメ夫と恐妻家だな!」
「なんて事を言う!罰当たりだぞ! それに……ペルセポネー様を怒らせたら、とんでもないことになるのよ」
ゴゴゴゴゴゴ……
商店街の地面がわずかに震え、重く鈍い轟音が地の底から響いた。俺は思わず足元の震えを確かめる。
「今、地震…?」
「だから言ったでしょ! 本当に怒らせたら、こんなものじゃないんだからね!」
「いや、なんでだよ!? ってか、なんで俺なんだよ」
「目についたから」
「理由が雑すぎる!」
「いいから飼え!」
「無理だっつってんだろ!」
「飼わなかったら、この猫は冥界に連れ戻すしかない」
「いやいやいや! それもう保健所どころの話じゃねぇだろ!猫生の終わりだろ!」
外野から見たら、JKがリーマンに猫を押し付けてるやべー光景にしか見えねぇんじゃねぇかこれ?
「じゃあなんでそこまで拒むの!? 猫が嫌いなの!?」
「嫌いじゃねぇ! でも独身サラリーマンが猫なんか飼ったら孤独死まっしぐらだろ!」
「理屈になってない!」
「想像してみろ! 誰もいない部屋で死んで、数日後に横で猫が——」
「にゃあ」
「ほら見ろ! もうシミュレーション始めてんじゃねぇか!」
「くだらない! 言い訳ばっかり!」
「言い訳じゃねぇ!」
「飼え!」
「飼わねぇ!」
「……にゃあ」
――そのとき。
ブロロロロロッ!! ザバーンッ!!
オンボロトラックが再び目の前を通り過ぎ、水たまりが盛大に弾け、滝のように降りかかってきた。
「うわぁっ!?!!」
「きゃああっ!? ちょっ!」
「に”ゃああああ!!」
冷水の衝撃で息が詰まり、頭の先から靴の中まで一瞬でびっしょり。
猫まで悲鳴を上げるように鳴き、全身をブルブル震わせて水を撒き散らす。
スーツは肌に張り付き、自称ケルベロスの制服も色濃く濡れて輪郭を浮かび上がらせ、全員から滴る水がアスファルトに「ぽたぽた」と小さな水たまりを広げていく。
沈黙。
雨音だけが、トタン屋根とアスファルトを叩き続けた。
「……っはぁ。……雨宿りの間だけな」
「よしっ!」
「にゃあ」
結局、俺のワンルームに連れ込む羽目になった。
猫は濡れたまま布団にダイブし、ケルベロスは靴も脱がずに上がり込み、勝手に戸棚を漁り始める。
「おい、勝手に漁るな!」
「あっ、あったあった! カップ麺! 夜食といえばこれでしょ!」
「いやお前、犬だろ! ネギとか入ってんぞ!」
「犬をなめないで! 私は冥界の番犬、消化能力は常識外なのよ!」
ケルベロスは得意げにカップ麺を抱え、ポットでお湯を沸かし鼻歌交じりに3分待つと、軽快に麺をすすり始めた。
ズズズッ……ズルルルッ……。
その音に釣られて、布団から猫が顔を出した。
濡れた毛並みをブルッと震わせると、ラーメンをじぃーっと凝視し、低く「にゃあぁ」と鳴く。
明らかに「俺の分は?」と言っている。
「……お前もか」
仕方なく冷蔵庫を開け、つまみ用のササミを取り出す。
鍋に水を張って火にかけると、グツグツという音が部屋に広がる。
やがて部屋には奇妙な合奏が響き始めた。
ケルベロスのズズズズッ。
猫の喉のゴロゴロ。
鍋のグツグツ。
そして俺の「はぁ……」というため息。
「ふーん……あんた、猫には優しいのね」
ラーメンを啜りながら、ケルベロスがこちらを見やる。
「……猫は嫌いじゃない。ただ……一緒にいたら、別れが辛くなるんだよ」
思わず漏らした言葉に、ケルベロスは一瞬だけ動きを止め、真顔になった。
「なら、大丈夫。私も一緒にいるから」
その言葉に俺は返すことができず、鍋の火を弱める。
猫はササミが茹で上がるのを待ちきれず、先に丸まって眠ってしまった。
寝息が静かに部屋を満たし、ケルベロスのズズズという音すら、どこか心地よく感じられる。
俺の人生計画が夜食の湯気と一緒に流れ落ちた気がした。
——けれど、それは思ったほど悪い音でもなかった。
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