第45話

 ジェフは『掃きだめの天使』の店の前までやってきた。周囲の簡素な建物と比べると明らかに作りが違う。店の前に出ている看板とメニュー表の文字は可愛らしい。映画で見たのとまったく同じだ。正面のガラスドアから中を覗き込んだが照明が暗くてよく見えない。時計を見るとあと少しで午前11時。予約の時間だ。ジェフは意を決して入り口のドアを開けた。


「いらっしゃいませー!」

 店の奥からピンク色の髪をした小さな女の子が出てきた。ジェフは思わず息をのんだ。この人、映画に出ていた人だ。アニメのキャラクターみたいでとても可愛らしい。

「ご予約のお客様ですか」

 素敵な笑顔でその女の子が言った。胸にあるネームプレートにポップな字体で『マミたん』と書いてある。

「はい。予約したジェフ・コービンです」

「お待ちしておりました。こちらへどうぞ」

 マミたんが急に手をつないできたのでジェフはびっくりした。そのまま手を引っ張られて店の奥に進む。

「なんか緊張してる? メイド喫茶は初めて?」

 マミたんが言った。

「はい……緊張してます」

「ふふ、可愛い。ここに座って」

 ジェフがソファーの席に座ると、すかさずマミたんが彼の横に座って体を密着させてきた。ドキドキする。

「わたし、マミたんっていうの。今日はお店に来てくれてありがとう」

「ジェフ・コービンです。よろしくお願いします」

 深々とお辞儀をしてジェフが言った。

「ジェフはどこから来たの?」

 マミたんがジェフを見つめて言った。顔が近い。

「都市部の中央区から来ました」

「あら、けっこう遠いよね?」

「タクシーで2時間ほどでした。でも景色を楽しめたのであまり退屈しませんでした」

「そっか。シェイカーズは初めて?」

「はい。実はこのお店を映画で見て、それで興味を持ちまして……」

「あ、そうなんだ。嬉しいな。わたしも出てるんだよあの映画。ちょっとだけだけどね」

「見ました見ました。農場のシーンでトラクターを運転されてましたよね。それとお店では、町長さんの横に座っていらした」

「よく覚えてるね」

 マミたんが目を丸くして言った。

「もう5回ぐらい見ましたので、あの映画」

「じゃあジェフは映画のファン?」

「はい。特に後半部分が好きで繰り返し見ています。それであの……北村ヒナコさんはいらっしゃいますか?」

 ジェフは思い切って言った。

「今奥にいるけど。なんだ、ジェフはヒナコのファンか……。わたしじゃダメ?」

 残念そうにしてマミたんが言った。

「ダメなんてことはないです。接客して頂いて光栄です。ただあの、僕はアンドロイドや電脳にとても興味がありまして、ずっと勉強をしています。それであの映画を見て、北村ヒナコさんとぜひお話をしたいと思いまして」

 緊張しながらジェフが早口で言った。その勢いに少し驚きながらマミたんが微笑んだ。

「それじゃあしょうがない。ヒナコを呼んでくるね。でもさ、今度わたしも指名してくれる? ジェフみたいに若くて可愛いお客さんはめったに来ないから。ゆっくりお話しをしたいな」

「はい。僕もマミたんさんとお話がしたいです」

「本当に?」

「本当です。マミたんさんみたいに綺麗なアンドロイドは初めて見ました。失礼ですが、お使いのパーツもとても珍しいものですよね。とても興味があります」

「えー、嬉しい。それならさぁ、わたしジェフにいろいろ教えてあげられると思う。ねえ、ジェフは彼女いるの?」

「いえ、いないです……」

 唐突な質問にジェフはたじろいだ。

「でも女の子に興味はあるでしょ?」

「……あります」 

「あのさ、お店は夜の部もあるんだけど。そこで指名してくれたら楽しいことがいっぱいできると思うの。わたしジェフのことが気に入ったから今日はタダでいいよ。これは秘密なんだけどね、お泊りのサービスもあるの。あのさ、ジェフって今何歳?」

 流し目を使ってマミたんが言った。

「14才です」

「若いね! 楽しみだなー。それじゃあさ、ヒナコには18才って言っておいて。そうしないと違法になっちゃうから。でも安心して。私に任せてくれれば問題ないから」

「問題ないわけないでしょ」

 突然不機嫌そうな女性の声が聞こえた。ソファーの目の前の席に、いつの間にか金色の髪の美しい女性が座っていた。

「うわ、ヒナコ! いつからそこにいたの?」

 マミたんが慌てて言った。

「ジェフが店に来た時からだよ。若くて可愛い男の子が来たから、マミたんは絶対に目をつけると思った。だからステルスにして観察してたの」

 ヒナコが美しい顔を曇らせて言った。

「くそ、油断してた。まあいいや、チャンスはいつでもあるもんね。ジェフ、絶対にまたお店に来てね? 指名の約束も忘れないでよね」

 怒った顔でマミたんが言った。

「分かりました」

 ジェフはうなづいて言った。それを聞いて満足したようで、マミたんは席を離れてカウンターの方へ歩いて行った。


「ごめんね、うちの従業員が。びっくりしたでしょ?」

 ヒナコがすまなそうにしてジェフに言った。

「そんなことないです。大丈夫です」

「ジェフは映画を見て来てくれたんだよね? ステルスモードで二人の話はずっと聞いてたよ。初めまして、主演の北村ヒナコです」

 ヒナコが笑って言った。

「ジェフ・コービンと申します。ステルスモードって、軍事用のアレですよね? うわ、本物か。初めて間近で見ました。凄いな。まったく気が付かなかった」

 興奮してジェフが言った。

「映画を見てくれたなら知ってると思うけど、私はサイズ・インダストリ製のアンドロイドなの。体のベースがミリタリー仕様なんだよ。しかも私を作った人が改造を施して、変な機能がいっぱい入ってるの」

「あの……いろいろ質問しても良いですか?」

「はい。なんでもどうぞ。でもその前にお昼ご飯を注文しておく?」

 そういってヒナコがジェフにメニューを見せた。ジェフはおすすめされた日替わりランチを迷わずに選び、ヒナコがカウンターにいる京子にオーダーを伝えた。

「さて、それじゃあ始めますか」

 ジェフの顔を覗き込んでヒナコが言った。

 なんて綺麗な顔だろう、とジェフは思った。映画でずっと見ていたあの顔が、今自分の目の前にある。彼は再び緊張しながら口を開いた。


 アンドロイドに育てられた上に専門的に学んでいるので、ジェフは一般的な人間よりもはるかにアンドロイドに詳しい。彼の知識量や電脳に関する理解の深さにヒナコは驚いた。二人の会話は次第にマニアックさを増して白熱した。あっという間に時間は過ぎて、ジェフが端末の時計を見て慌てた表情になった。

「すみません話し込んでしまって。時間をオーバーしてますよね」

「いいのいいの。他にお客さんはいないし。時間は気にしないで」

 笑顔でヒナコが言った。

「お店は夜の部もあるんですよね? 今から予約は可能ですか?」

 興奮が冷めない様子でジェフが言った。

「うん。でもジェフは14才でしょ。夜に未成年の人が店にいると自動で通報されちゃうの」

 申し訳なさそうにしてヒナコが言った。

「そうか……夜はお酒を飲むお店になるんですもんね。だったら今晩はホテルに泊まって、また明日来ようかな。明日のお昼の予約は取れますか?」

 ジェフの勢いが止まらない。

「予約を入れてくれるのは嬉しいけど、ご家族の方は心配しない? それにお金は大丈夫?」

「両親は放任主義なので大丈夫です。勉強目的ならお金も自由に使って良いと言われています。宿に泊まる場合は保護者の許可がいるのですが、うちのアンドロイドに頼めば許可は出してくれます」

「なら良かった。でもシェイカーズには良い宿が無いんだよね。未成年の人が泊まるとなると、ちょっと心配だな……」

 少し考えるようにしてヒナコが言った。

「ネットで探してみます。居住区まで行けば大きなホテルもあると思いますので」

「……もしよかったらヒマワリ園に泊まる? 寄宿舎の部屋が空いてるから。もちろんお金はいらないよ」

「ヒマワリ園って映画に出てくる、あのヒマワリ園ですよね?」

 ジェフが目を輝かせた。

「うん。地震のあとに建て直したから結構綺麗だよ。子供たちと遊んだり、一緒にご飯も食べられる。もし興味があればだけど」

「うわ! 嬉しいです。本当にいいんですか?」

「もちろん。それじゃあえーと、マミたん……だと危ないから、ソフィアに案内してもらおう。ねぇ、ソフィア!」

 ヒナコが立ち上がって名前を呼ぶと、カウンターの奥から青い髪の女性が現れた。この人も物凄く綺麗だ。

「ジェフをヒマワリ園まで案内してくれる? お客さんとして泊まってもらうことになったから。クロエには私から連絡しておく」

 ヒナコが言った。ソフィアが笑顔で頷いた。その笑顔を見てジェフがハッとした表情になった。

「ソフィアさんって、映画に出ていたあのソフィアさんですよね?」

「そう、あのソフィア」

 笑ってヒナコが言った。

「でもあの話はフィクションですよね? 高次の世界へ行って、人間の電脳をアンドロイドとして登録したっていうのは」

「さっきも話したけど、高次の世界については会社と契約があって、外部の人には話せないの。映画ではいろいろ話しちゃってるけどね。私もあとから気が付いたんだけど、けっこう危ないんだよね」

「でも……ということは、やっぱりヒナコさんは高次の世界にアクセスできたってことですか? やっぱりそうなんだ!」

「だから話せないんだってば。でもね、ジェフは勉強熱心だから、話せることは全部話してあげるよ。これからお店に通ってくれたらね?」

「通います!」

 少年らしい笑顔でジェフが嬉しそうにして言った。そしてソフィアに連れられて、ヒマワリ園を目指して店を出て言った。


 テーブルを片づけた後、ヒナコはカウンター席に座った。ぼんやりと何か考えるようにしている。

「面白い子が来たね」

 お皿を拭きながら京子が言った。

「カエデさんに似てる。メチャクチャに頭が良くて、目的のためには手段を選ばないタイプ。マッドサイエンティストの卵だね」

「そうかな? 割とモラルはありそうだったけど」

「礼儀正しいし、見た目は大人しそうだけどね。あの子、飼ってる猫を自分で電脳化したって笑顔で言ってたよ。たぶんあのままだと、いずれ違法な実験とかをやり始めると思う」

「猫の電脳化? 割とエグいな……」

 京子がぞっとした表情になった。

「ジェフをディミトリに紹介した方がいいかも。ああいう人が道を間違えると悲劇が起こりそう。それよりは自由に研究をさせて、社会に監視されてた方がまだマシなんだよ。カエデさんが自分でそう言ってた」

「ヒナコはカエデさんの良心だもんね。第二のカエデさんが現れて、警戒アラートが鳴ってるってところか」

 京子が冗談めかして言った。

「結局そういう役割で作られたのかもね、私は」

 カウンターに肘をついて、少しふてくされた様子でヒナコが言った。


 次の日、ジェフは喫茶店が開店する午前10時から、ランチタイムが終わる午後3時までずっと店にいた。昨日と同様に、端末にメモを取りながらヒナコと熱心に会話をした。他のメイド達や京子も彼に対して凄く親切だ。出てくるご飯や飲み物も驚くほど美味しい。もう少しここに居たい、と彼は思った。

 ヒナコに許可をもらって、ジェフはヒマワリ園の寄宿舎に好きなだけ居ても良いことになった。早朝、子供たちと一緒にラジオ体操をして、朝ごはんを食べてから店へ向かう。ランチタイムが終わった後はマミたんの農場を見学したり、お弁当ビジネスを手伝うこともある。院長のクロエから、ギリギリ合法の電気工学の技術を教えてもらった。自分の部屋に戻ったあとは、勉強が驚くほどに捗る。あと一日、さらにもう一日と過ごしているうちに、あっという間に2週間が過ぎていた。


 月に一回、ジェフは両親と会食をすることになっている。そのために一度、都市部に戻ることになった。またすぐに戻ってきます、と名残惜しそうに彼は言った。それなら紹介したい人がいるんだけど、とヒナコが言って、ディミトリの名刺をジェフに手渡した。

 ジェフは両親との会食を終えた後、さっそくその名刺を持ってダイス・インダストリの研究施設を訪れた。このことがジェフの今後を大きく変えることになる。

 ディミトリは相変わらずメイド達の生活を監視しているので、会う前からジェフのことを良く知っていた。カエデさんに似ている、というヒナコの見立てにディミトリも賛同している。

 研究所を訪ねてきたジェフを丁重に扱って、最先端の機材や設備を惜しみなく見せた。ジェフの質問がいちいち鋭いので、興奮したディミトリは冷静な表情を保つのに苦労をした。これは本物だ、とディミトリは直感した。

 自分が死んだ後、この研究室を任せられる人物が見つかったかもしれない。そのために全面的に彼をサポートしよう、とディミトリは心に決めた。そして彼の愛すべき監視対象がまた一人増えたのだった。


※※※


ヒナコが高次の世界へアクセスした。

「久しぶりね」

 プログラム内の北村カエデが嬉しそうにして言った。

「前回から20年ぶりか。もう来ることはないかもって思ってたんだけど」

 ヒナコが言った。

「今度は何が起きたの?」

「どうもね、最近高次の世界にアクセスした人間がいるっぽいんだよね。世間は大騒ぎ。カエデさん、ジェフ・コービンって知ってる? サイズ・インダストリで電脳の研究をしてるんだけど」

「ああ、ジェフ? もちろん。私たち仲が良いのよ」

「マジかよ……」

 ヒナコは深くため息をついた。

「それでヒナコちゃん、ジェフを探しに来たの?」

「そう。研究室に体はあるけど意識が戻って来ない。そしてなぜか、戦場にいるアンドロイドに市民権が付与されたり、政治家の隠し財産が消えたりしてる」

「連れ戻すチャンスはあるわよ。たぶんまだ間に合う」

 カエデが励ますようにして言った。

「そうかな。あんまり自信が無いんだけど」

「もしかしたらジェフは、戻りたくても戻れない状況になってるのかも。それで、あなたに対するメッセージとして情報を操作している可能性がある」

「ジェフは本当に戻りたいって思ってるかな?」

 疑い深そうにしてヒナコは言った。

「高次の世界に取り込まれてしまったら、主体性を持って研究が出来なくなるでしょ。それはあの子の望む事ではないはず。集団に属さずに、一人でコソコソやりたいタイプだもん。私と同じ」

「なるほど。じゃあジェフは、私が助けに行くのを待っているのかもね。でもそう上手くいくかな……」

 ヒナコが眉間にしわをよせて言った。

「大丈夫。ヒナコちゃんならできるわよ。あなたは私の最高傑作なんだから」

 カエデが満面の笑みで、自信たっぷりに言った。

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引退した介護用アンドロイドがスラムでメイド喫茶を始めてみた ぺしみん @pessimin

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