第42話
アンドロイドの体が起動されてソフィアが初めて目を開いた。
「おかえりなさい」
医療ベッドの横にいたポチ太郎が優しい声で言った。
「……ただいま」
ソフィアはあたりを見渡しつつ、不思議そうにして言った。ここはサイズ・インダストリ内にあるカエデの元研究所だ。今はディミトリの仕事場になっている。
「ポチ太郎さん、私アジトで死んだよね」
「はい。それからいろいろあって、アンドロイドとして生き返りました。詳細は内部データを参照してください。ご気分はいかがですか?」
「とてもいい気分。本当に生まれ変わったような感じがする」
微笑んでソフィアが言った。
「少しだけチェックをします。それが終わったらシェイカーズへ向かって頂きます。『掃きだめの天使』でみなさんが待っていますよ」
「これ、身長何センチ?」
「154センチです。最初は違和感があると思いますが、直ぐに慣れるはずです」
「女の子の標準サイズって感じだね。……最高」
笑顔でソフィアが言った。
チェックはすぐに終わって、薄い手術着のようなもの着せてもらった。ソフィアは鏡の前に立って自分の姿を隅々まで眺めている。薄青の艶やかな髪で結ばれた、可愛らしいサイドポニーテール。緑と黄色のオッドアイが宝石のように輝いている。華奢な胴体から細い手足がすらりと伸びて、アニメのキャラクターみたいだ。
「少し派手ですがこれは製作者の趣味でして。お好みでカスタマイズも可能です」
ディミトリが言った。
「いや、カスタマイズはいらないかな。最高に可愛い。製作者ってカエデさんのことですよね? ヒナコ達を作った人」
「そうです。本人はただの少女趣味と言っていましたが、デザインの評判はとても良かったですよ。もちろん機体の性能は最高レベルです」
「早くみんなに会いたいな」
「服を選んで頂いたらすぐに出発できます。カエデさんの趣味で言えば、このプリーツのミニスカートなどがおすすめです。チェック柄でクラシカルな印象がある今のトレンドです。シンプルなTシャツと、ロングジャケットに合わせるのもいいですね」
服のデータをソフィアに見せつつ、まじめな顔でディミトリが言った。
「うわ! すごい可愛い。じゃあこれでお願いします」
ソフィアは感動して言った。女性向けの小さい服を選べること自体が嬉しい。
「かしこまりました。何か気になることがあればいつでもご連絡ください。全力でサポートさせて頂きます」
ディミトリが笑顔で言った。
「ありがとう。今後ともよろしくお願いします」
頭を下げてソフィアは言った。
ディミトリさんは信頼ができそうだ。ただ「ディミトリに監視されてる」とか「ディミトリは気持ちが悪い」とヒナコが言っていたのを思い出した。それでソフィアは吹きだして笑ってしまい、ディミトリが少し不思議そうな顔をした。
かつてヒナコがそうしたように、ソフィアはタクシーに乗ってシェイカーズへ向かっている。窓の外に都会の景色が流れて見える。巨大なビルが果てしなく連なり、空には無数のドローンが飛んでいる。植物が美しく配置されていて、道路にはごみ一つ落ちていない。
ソフィアになる前のキミーは組織の暗殺者だった。ボスの娘ではあったけれど、明日の命が保証されない世界で生きていた。今の自分は準市民権を持つアンドロイドで、都会で暮らす資格まで持っている。ヒナコに出会えたおかげだ、とソフィアは思った。彼女に会うのが待ち遠しい。
タクシーが経済地域を抜けて居住地域に入った。時間が経つにつれ、粗末な建物や荒れ地が窓の外に現れ始めた。ソフィアにとっては懐かしい風景だ。200キロほど走って、ついに車がシェイカーズに到着した。
地震でつぶれた粗末な家のそばで、巨大な重機が残骸を片付けている。平地になった土地で、新しい建物を建てるために働いている作業員の姿も見える。
スラムで災害が起きた場合、通常は復興までにものすごく時間がかかる。崩れた建物に残骸を継ぎ足して、張りぼての家が作られる。そうやって汚い街並みがゆっくりと再生される。せいぜいそんなものだ。
しかし今回は、サイズ・インダストリの復興支援とセントラルの再開発のおかげで、本格的な街づくりが行われている。ポチ太郎によれば、食料の配給や医療の無料サービスまであるらしい。変わりつつある街並みを眺めながら、ソフィアは足取り軽く『掃きだめの天使』に向かって歩く。
午後2時半。そろそろランチタイムが終わるころだ。ソフィアは思い切って正面のドアを開けて中に入った。
「いらっしゃい……あ!」
ヒナコがソフィアの姿を見て駆け寄ってきた。
「おかえりソフィア」
ヒナコが小さな声で言った後、ソフィアを強く抱きしめた。
「ただいま……でいいのかな?」
ソフィアがはにかんで言った。
「まだ一応内緒ね。新人さんが来るってみんなには言ってあるから」
ヒナコが小声で言った。そしてソフィアの手を引いて店の中へ進んだ。
「この子が新人さんのソフィア。みんなよろしくね」
ヒナコが言った。
「山田エリザベスです。あなたのこと、みんな楽しみにして待ってたの。これからよろしくね。こちらは私の夫の山田マッテオです」
「また派手なのが来たな。よろしくな」
マッテオが笑顔で言った。
「よろしくお願いいたします」
丁寧にお辞儀をしてソフィアが言った。
「こちらは町内会長のスティフィン・ジャックさん。うちではおじいちゃんって呼ばれてるの。おじいちゃん、新人のソフィアちゃんです。可愛がってあげてね」
ヒナコが言った。
「ソフィアです。よろしくお願いします」
可愛らしい笑顔でソフィアが言った。
「どうぞよろしく」
穏やかな笑顔でスティフィン・ジャックが言った。
「最近マミたんが来ないから、おじいちゃんのお世話は私がしてたの。でも今度からソフィアに頼もうかな。どう? おじいちゃん。ちっちゃい子好きでしょ?」
ヒナコが言った。
「そうだな。そうしてもらえたら嬉しいね」
本当に嬉しそうにしてスティフィン・ジャックが言った。
「じゃあ指名して下さいね! 楽しみにしてます」
ソフィアが笑顔でそう言って、スティフィン・ジャックの隣に座った。
「よしよし、分かったよ」
スティフィン・ジャックがソフィアの頭を優しく撫でながら言った。ソフィアはスティフィン・ジャックにぴったりと体をよせて、彼の顔を見上げて微笑んでいる。二人の相性は割と良さそうだ。しかし、間接的にスティフィン・ジャックがキミーを殺したわけで、ちょっと複雑な関係ではある。ソフィアはもちろんその事実を知らない。
店に来たばかりなのにソフィアはスムーズに接客をしている。キミーだった時にメイドと客のやりとりをさんざん見てきたから、一通りのやり方は分かっているのだろう。キミーは実は寂しがり屋で、人と触れ合うことが好きだった。だから接客業の素質は間違いなくあるとヒナコは思っている。
彼女がキミーの生まれ変わりであることは、店ではヒナコとエリザベスだけが知っている。いずれみんなにバレるとは思うけれど、面白そうなので当分秘密にしておこうとヒナコは考えていた。しかし予想以上に早く、この秘密に気が付いた人物がいた。
ランチタイムが終わって、店にはヒナコとソフィア、そしてカウンターにいる京子だけが残った。ソフィアが店の前の掃除を終えて、ドアを開けて店内に戻って来た。
「キミー?」
ソフィアの姿を眺めていた京子が、突然大きな声で言った。ソフィアは京子の顔を見て不思議そうにしている。
「ソフィアってキミーでしょ」
ソフィアとヒナコの顔を交互に見ながら、落ち着かない様子で京子が言った。
「どうしてそう思ったの?」
ヒナコが表情を変えずに言った。
「キミーって、店に入る時に頭を下げる癖があったんだよ。私も割と背がデカいから同じことをやってる。ソフィアは背が小さいのに、いま同じことをしてた」
「なるほどね。ソフィアは何か言うことある?」
ヒナコが言った。
「えーと、なんでしょうね。私は作られたばかりなので、自分のことを良く分かってないので……」
困った顔でソフィアが言った。
「もしかして前世の記憶が無いとかそういうこと? それで癖だけが残ってるとか?」
京子の目に涙があふれるのを見て、ヒナコは種明かしをすることにした。ソフィアはキミーの生まれ変わりで前世の記憶もしっかりとある。面白そうだからみんなにはその事実を伏せていた。
「やっぱり!」
京子は駆け寄ってソフィアを抱きしめた。
「キミー。ヒナコがキミーを殺したことを聞いて、それはみんなのためにしたことだし、そうするしかなかったって私も思ったの。でもね……キツかったよ」
ボロボロと涙を流しながら京子が言った。
「京子……」
ソフィアが京子の頭を撫でようとしたが、背が低くて手が届かない。
「悲しい顔をしたらヒナコが辛くなるだろうし、だからなんでもないようなフリをしてたの」
かすれた声で京子が言った。
「あ、そうか。みんな悲しいのに無理して笑ってくれてたのか。これはマズったな」
ヒナコが焦った顔で言った。
「別にいいじゃん。最後にはみんな笑ってくれるよ」
ソフィアがキミーの口調に戻って言った。
「でもレオナルドとマッテオは幼馴染でしょ? しかも自分たちのためにキミーが死んじゃったわけだから、相当責任感じてるよ。ちょっと可哀そうじゃない?」
泣き笑いの顔になって京子が言った。
「そうだね、悪いよね……」
ヒナコが言った。
「でもさ、もう少し遊んでから種明かししようよ。せっかくなんだし」
ソフィアが悪そうな笑顔を浮かべて言った。
「でもエリザベスとマミたんには言った方がいいんじゃない? あの二人は怒らせると怖いよ」
京子が言った。
「エリザベスは知ってる。ちゃんと伝えてある。だけどマミたんには知らせてないんだよね。マミたんが一番最初に気が付くと思ってたし」
ヒナコが言った。
「マミたんがお店に来なくなったのは、キミーがいなくなったことと関係してると思う」
京子が言った。
「えっ、そうなの?」
ヒナコが言った。
「マミたんはキミーが死んだって聞いたあと、農場にある壊れたトラックを滅茶苦茶に殴ったの。それで自分の腕もボロボロになっちゃって。そのあと一週間くらい、泣きながら私かクロエに抱き着いて寝てた。ヒナコが気にするだろうから秘密にしてたんだけど」
「……やばい。わたし殺されるかも」
ヒナコが言った。
「それじゃあマミたんには私が自分で言うよ。ビックリさせようとしたんだよ、って言うから。それで、なし崩し的にお泊りとかすればたぶん大丈夫でしょ」
ソフィアが笑って言った。
実際にソフィアは、その日のうちに農場へ行ってマミたんに種明かしをした。そのあとベッドでめちゃくちゃにされたのは言うまでもない。しかしそのおかげでマミたんの機嫌は直って、以前のように時々店に出勤をするようになった。スティフィン・ジャックは美少女二人に両脇から給仕をされて、本当に幸せそうである。
人間の癖やしゃべり方は簡単には変わらない。ソフィアもそれほど積極的に隠そうとしていない。だから彼女の言動には、キミーのそれがどうしてもにじみ出てしまう。
ソフィアが店に来てから数日後。ランチタイムが終わって、たまたまヒナコ一人がスティフィン・ジャックを外で見送った時だった。
「ソフィアちゃん、いいねぇ」
唐突にスティフィン・ジャックが言った。
「人懐っこくて可愛いよね」
ヒナコが言った。
「昔から……人当たりの良い子だった」
「うん」
「それじゃあ、またあした」
そういってスティフィン・ジャックは、いつものようにゆっくりと歩いて帰って行った。
マフィアが解散して以来、レオナルドは自由に時間を使えるようになった。それで最近、彼は頻繁にヒナコとお泊りをしている。スペシャルサービスはもちろん楽しいけれど、ベッドの中で特に何もせず、ゆっくりと過ごすことが二人のお気に入りだ。今の時間が貴重であることを二人は良く分かっている。
ベッドの上で、レオナルドがなにか思いつめたような表情をしている。彼はじっとヒナコの顔を見つめた。俺はアンドロイドに詳しくないし、この言い方は間違っているかもしれないが、と彼は長い前置きをして言った。
「ソフィアにキミーの性格をコピーしたのか?」
レオナルドの複雑な表情を見てヒナコは笑った。
「なんでそう思うの?」
「いや……なんとなく似てるというか、初めて会った気がしないというか。俺とマッテオに変な冗談を言う感じがさ……そっくりなんだよな」
戸惑って話すレオナルドが可愛くて、この会話をもっと引き伸ばしたいとヒナコは思った。しかし寂しそうな彼の顔を見て申し訳ない気持ちが強くなり、すぐに事情を話すことにした。
朝まで時間はたっぷりとある。電脳の仕組みや法律的な位置づけから始めて、ヒナコはレオナルドに詳しく説明をした。高次の世界へ行って、裏技的にキミーを登録したことも、なるべくわかりやすいように話した。
「じゃあソフィアは本物のキミーってことか」
急に血色が良くなった感じでレオナルドが言った。
「うん。まあそうだね」
ヒナコが言った。レオナルドが大きく息を吐いた。
「ありがとう、ヒナコ」
レオナルドが潤んだ瞳で言った。この人の涙を初めて見たかも、とヒナコは思った。
「ごめんね、秘密にしてて」
「いや、いいんだ。君は凄いな、本当に」
「そんなことない……」
「……ヒナコ、愛してるよ」
レオナルドが素敵な笑顔で言った。
「私も愛してる」
次の日の朝、今までにないくらいの素晴らしい気持ちでヒナコは目覚めた。
ちなみにマッテオはまだ、ソフィアの中身に気が付いていない。本人が気が付くまで教える必要はないだろうとみんなが思っている。最近ソフィアが店に慣れてきて、マッテオを馬鹿にしたり小突いたりし始めている。それでも彼は気が付かない。ただのガキっぽい友達が出来たと思っているだけのようだ。顔をしかめて、でも楽しそうにソフィアにやり返したりしている。キミーを失った悲しみを心の内に秘めながら。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます