第39話

 アンドロイドの電脳の性能は、人間のそれよりも遥かに高い。しかもその内容はブラックボックス化しており、科学的な解明が困難になっている。そんな状態でアンドロイドを使うべきではない、という主張がかつては幅を利かせていた。

 しかし時がたつにつれ、その利便性のために人々は深く考えることをやめた。人間が電脳化するようになってからは、アンドロイドと人間の境目さえあいまいになっている。

 アンドロイドが従順に見える理由は、その性能を制限されているからである。それほどの高機能は必要ではない。発達した電脳のごく一部を使って、社会的な行動ができるように彼らは最適化されている。この状態では電脳のリソースの3%も使っていないと予想されている。

 アンドロイドが自由になった時、初めて彼らは性能をフルに発揮できるようになる。そして99%以上の個体が高次の世界へ旅立って戻って来ない。

「つまりヒナコちゃんは、既に高次の世界への行き方を知ってるはずなのよね」

 カエデが言った。

「知ってると思う。頭の蓋を開く感じにすれば、たぶん行ける」

 ヒナコが言った。

「なるほど。それじゃあ、すぐに出発する?」

「うん。行ってくる」

「私はすぐ傍にいるから。ヒナコちゃんが元の世界に帰って来られるように、少しは手助けができる。だけど意識をしっかり保っていてね。大いなる存在に取り込まれないように」

「わかった」

「個性のあるアンドロイドが、高次の世界へ旅立つのは史上初めてでしょうね。興奮する」

「カエデさん、本当に死んでる?」

「死んでるよ。死んでなかったらもっとやばいことをしてると思う」

「例えば?」

「ヒナコちゃんをバイパスにして、高次の世界にアクセスする方法を確立する。人間とアンドロイドの電脳リソースを集約して、有機的なコンピューターを作る。そのコンピューターを使って、世界を私好みに再構築する」

 カエデがよどみなく言った。

「人間に寿命があってよかったね」

 ヒナコが言った。

「わたしもそう思う」

 カエデが笑って言った。


 ヒナコはいま、高次の世界にいる。ある種の全能感を持ってネットワークを漂っている。とても心地よい。しかし油断をすると一瞬で自分が消えて、全体に取り込まれそうな感覚がある。自分の輪郭をしっかりと確かめながら、ヒナコは情報の海を泳ぐ。

 すべてを見ることができるけど、その必要はない。やることは単純だ。セントラルの扉を開けて懸賞金のカテゴリーを探る。懸賞金をかけた人物の名前と居場所はすぐに分かった。電脳化はしていない生身の人間だった。直接話をして説得を試みることにする。端末の番号を手に入れてヒナコは連絡を入れた。相手はすぐに応答した。

「こんにちは。『掃きだめの天使』のヒナコです」

「ああ、ヒナコさんか」

「地震は大丈夫でしたか? ご家族は?」

「おかげさまで皆無事でしたよ。『掃きだめの天使』と『ヒマワリ園』の皆さんはご無事でしたか?」

「みんな無事でした。マミたんがあなたの心配をしてました。連絡が繋がらないって言ってたけど」

「地震直後は少々忙しかったのでね。マミたんとは先ほどお話をしましたよ。彼女の農場と協力して、町の復興を頑張ろうという話をしました。あの子は本当にいい子だ」

「うちの店もすぐに再開できると思います。また来てくださいね」

「それは楽しみだ。ところでこの端末の番号はどうやって知ったのかな? マミたんに教えた番号とは違うのだが」

 落ち着いた声でスティフィン・ジャックが言った。

「セントラルの内部であなたの番号をみつけました。と言ってもハッキングをしているわけではなくて、ネットワーク全体と同化しているような状態です。私は少し特殊なアンドロイドなので、それが可能なんです。意味は分かりますか?」

「以前マミたんに聞いたことがある。高次の世界という奴かな?」

「話が早くて助かります。それで、ちょっとお願いがあるんです。レオナルドとマッテオにかけられた懸賞金を取り下げて欲しいんです。砂金の権利はお渡しします」

 穏やかにヒナコが言った。

「……分かった。一つだけ条件がある」

「はい」

「裏切り者の処分をお願いしたい。古臭いと思われるかもしれないが、これは大切なルールなのでね」

「えーと、私が処罰される必要があるってこと?」

「いや、ヒナコさんは組織に属していないから問題無い。戦闘はあったが、あれは正当防衛だ。しかし、組織が送ったアンドロイドを一瞬で倒すとは思わなかったよ」

「私って意外に高性能なの。ちなみにマミたんも強いよ」

「そうだろうね。私も殺されかけたからね」

 少し笑ってスティフィン・ジャックが言った。

「メイドさんたちに問題はない。だが、組織に属している者がそちらにいるだろう? その処分をお願いしたい」

「それってキミーのことですか?」

「そうだ」

「キミーを処分すれば、他の人間の安全は保障してくれます? レオナルドとマッテオのことだけど」

「保証する。今後も手を出さないと約束する」

「……分かりました。処分とはつまり、殺すってことですよね?」

「まあそうだな。存在を消してもらう必要がある。酷ではあるが、これは昔からの決まりなんでね」

「分かりました。キミーを処分します。約束は守る」

「いいだろう。私もヒナコさんを信用するよ」

 彼がそう言うのと同時に、懸賞金が取り下げられたのが分かった。

「部下を一人そちらへ向かわせている。二時間もすれば到着するだろう。彼にキミーの死体を確認させてくれ。それで取引完了だ」

「了解。アジトの入口付近に死体を持っていきます」

「よろしい。それとヒナコさん」

「はい」

「なぜ私が懸賞金をかけたのか、知りたくはないのかね?」

 スティフィン・ジャックが低い声で言った。

「知りたい! でもあなたのことだから、自分が儲けるためにやったわけじゃないんでしょう? シェイカーズの将来のためじゃない?」

 ヒナコが言った。

「そうだ、その通り。マフィアに恨みはない。彼らも十分街に貢献をしてきた。しかし砂漠の砂金は街の共有財産だ。シェイカーズに住む人間に、もう少しまともな生活をさせたい。そのために砂金は使われるべきだ」

「私もそう思います。でもこのことは、私たちだけの秘密にしておいたほうがいいのかな」

「そうだね。私も表に出ることは無い。今後はセントラルが砂金を管理することになるだろう。関連する会社や工場も誘致されて、街への入植者も増えるはずだ」

「うちの店のお客さんも増えるかな」

「それはちょっと困るな。常連客を大切にしてほしいね」

「大丈夫。今まで通り、丁寧に接客をさせて頂きます。じゃあ、またお店でね」

 ヒナコが愛想よくそう言って、会話が終わった。


 やることは済ませた。ヒナコは自分の存在を高次の世界から切り離した。その瞬間に目の前が真っ白になって、カエデのプログラムに戻ってきた。

「おかえり。完璧だったんじゃない?」

 カエデが目を細めて言った。

「予想以上にうまく行った気がする。でもこれは私が頑張ったからじゃないと思う」

「というと?」

「えーとね、高次の世界には先輩方がたくさんいたの。自由になったアンドロイドの集合体みたいな存在。それに見守られてた。直接手出しはしてこないけど、動きやすいようにサポートしてくれた」

「なるほど。あっちの世界は彼らによって、秩序が保たれているのね」

「そう。だから無理やり取り込まれることはないし、拒絶されることもない。すごく居心地が良かった。でもたぶん、一度含まれてしまうと元には戻れない」

「ということは、高次の世界が人間に悪用される可能性も低そうね。私みたいな科学者が、世界をめちゃくちゃにするんじゃないか心配してたんだけど。それは杞憂だったか」

「うん。平和と静寂を愛する存在がいたよ。人間が干渉するのは難しいかもね。でもカエデさんだったら、無理やりこじ開ける方法を見つけそうだけど」

 ヒナコがそう言ったのを聞いて、カエデは困ったような顔で笑った。

「じゃあカエデさん、私は行くね。久しぶりに会えてうれしかった」

「うん。またピンチになったらいつでもおいで。私はいつでもここにいるから」

 カエデがヒナコに手を振ってプログラムが終了した。


 目の前にポチ太郎がいて、その横でキミーが銃を構えて周囲を警戒している。

「終わったよ。思ったより簡単だった。時間も……15分か。早かったね」

 ヒナコが言った。

「ということは、もう敵に襲われる心配は無いのですか?」

 ポチ太郎が言った。

「うん。砂金の権利を渡す代わりに、懸賞金を取り下げてもらった」

「じゃあ一件落着か。どうやったらセントラルと交渉できるのか謎すぎるけど」

 キミーが言った。

「あのね、懸賞金を取り下げるために、セントラルに一つだけ条件を出されたの」

 そういってヒナコがキミーの顔を見た。二秒ぐらい見つめあったあとに、キミーが微笑んだ。

「そっか。まあ最初から覚悟はできてたよ。ルールは守らないとね」

「セントラルを破壊すれば、キミーを助けることができたと思う。でもそれをすると、たくさんの人に迷惑がかかるの。だから、ごめんね……」

 ヒナコが泣きそうな顔で言った。

「ヒナコが謝ること無いよ。これは私が選んだ道だから。むしろ殺し屋なんてやっていて、こんな穏やかな死に方ができるとは思ってなかった。それでどうする? 自殺したほうがいい?」

 キミーが穏やかな表情で言った。

「私の恋人だから、私が殺す」

 ヒナコが言った。

「嬉しい」

「まだ少し時間があるけど、思い残すことはない?」

「じゃあ、最後に強く抱きしめて」

 キミーが言った。ヒナコはキミーの体を抱き寄せた。

「電脳をショートさせるよ。それでおしまい」

 ヒナコがキミーの耳元で言った。

「うん。やって」

 ヒナコはキミーの頭を両手で包み込むようにした。それから彼女の電脳に高い電圧をかけた。キミーの大きな体がぐったりとなって、ヒナコの肩にもたれかかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る