第34話

 ダメージはそれほど大きく無かったので、エリザベスのメンテナンスはあっという間に終わった。一方で電脳のバックアップにはそれなりの時間がかかる。さらにそのデータを転送するのにもまた時間がかかる。

 作業前に計測をしたところ、ヒナコの電脳はかなりサイズが大きいことが分かった。その結果、エリザベスのバックアップを優先して行うことになった。

「なんで私の電脳はこんなバカでかいの? なんか余計なものが入ってるんじゃない?」

 ヒナコが言った。

「その推測はたぶん正しいですよ。カエデさんがデータを詰め込んだのでしょうね」

 ポチ太郎が笑って言った。

「何のデータ?」

「詳しくは分かりませんが、実験的なことをいろいろとやっていたようです」

「ほんとに勝手なんだからあの人は……」

 ため息をついてヒナコが言った。

「カエデさんはヒナコさんのことを『私の最高傑作』とよく言っていましたよ。直接言われたことは無いですか?」

「無い。言われたとしても嬉しくない」

 ムスッとしてヒナコが言った。

「このように、カエデさんとヒナコさんはいつも喧嘩ばかりしていました」

 ポチ太郎が語り口調で言ってエリザベスを笑わせた。


 エリザベスとヒナコが並んで椅子に座っている。その前に機材を置いてポチ太郎が作業をしている。そのそばにマッテオが立って、興味深そうに見学をしている。

「まずは電脳を外部装置にバックアップします。そのあとにデータの転送を行います。データの転送が完了する前にここが襲われた場合、私が外部装置を持って退避を試みます」

 ポチ太郎が言った。

「それなら地図を渡しておくよ。地下空洞には逃げ道が結構あるから。でも迷いやすいから気を付けて」

 マッテオがそう言って、地図のデータをみんなに共有してくれた。

「助かります。……これはすごい。まるで蟻の巣のようですね」

 データを眺めながらポチ太郎が言った。

「昔、ゴールドラッシュの時代に掘り進められたんだよ。住宅街とか市場みたいなゾーンもあってさ。遺跡みたいでちょっと面白いよ」

 マッテオが言った。

「楽しそう。ぜひ見てみたいですわ」

 エリザベスが目を輝かせた。

「君と一緒に地下の探索をしたかったな。古い食器とかもあったから、楽しんでもらえたと思う」

「今からでも行けばいいじゃない。どうせ地下に逃げる予定なんでしょ?」

 ヒナコが言った。

「そうだな……。どうせ勝ち目はないんだもんな。兄貴に相談してみるよ」

 そう言って、マッテオがレオナルドの方へ歩いて行った。


 ポチ太郎がきびきびと仕事を進めている。しかし、すべて終わるまでにはまだ時間がかかりそうだ。

「ちょっとキミーの様子を見てくる」

 ヒナコが立ち上がった。

「お姉さま……。私をメイド喫茶に誘って下さって本当に有難うございました。こんな経験ができるなんて思ってもみませんでしたわ」

 エリザベスがヒナコを見つめて言った。

「人間が死ぬ前に言うセリフみたい。感情がこもってるね」

 ヒナコが笑顔で言った。

「もし……。もしもマッテオさんが殺されてしまったら、私は機能を停止して彼のそばにずっといたいと思います。その場合復旧は必要ありません。せっかくバックアップを取って頂いているのに、申し訳ありません」

「いいんじゃない? エリザベスの好きなようにしなよ。カエデさんの貴重な作品が失われたら、ディミトリはがっかりするだろうけどね」

 ヒナコが言った。

「それではマッテオさんの死亡が確認された場合、エリザベスさんのデータは責任を持って私が処分致します。それでよろしいですか?」

 ポチ太郎が言った。

「ありがとう。よろしくお願い致します」

 エリザベスが頭を下げて言った。


 キミーが寝ているソファーの横に、ヒナコはそっと腰かけた。目をつむっていたキミーが薄目を開けて、ヒナコの顔をぼんやりと見た。

「死ぬことは怖い?」

 ヒナコが訊いた。

「少しね。だけど私は殺し屋をしてたから、もともと覚悟は決まってる」

 キミーが言った。

「最後にスペシャルサービスをしてあげようか?」

 ヒナコがキミーの白い髪を撫でながら言った。

「いいね。でも電脳のバックアップは?」

「エリザベスの作業が終わるまで、まだ少しかかるみたいだから」

「……でもやめておこうかな。終わった後にすごく悲しくなりそう。お預けのまま死ぬ方がいいかも」

 キミーが切ない顔をして言った。

「分かった」

「レオナルドにしてあげたら? スペシャルサービス」

「一応聞いてみるか。でも断られそうだな。あの人真面目だから」

「分かんないよ? 男ってさ、むしろこういう時に性欲が爆発するんじゃない?」

 キミーがいたずらっぽく笑って言った。ヒナコはキミーにキスをして立ち上がった。


 レオナルドは真剣な表情で監視カメラの映像をチェックしている。ヒナコは後ろから近づいて、彼の肩に両手をまわして抱き着いた。一瞬驚いた顔をした後、レオナルドはヒナコの手に優しく触れた。

「最期にスペシャルサービスする?」

 耳元でヒナコはささやいた。レオナルドの体がビクッと反応した。

「マッテオ!」

 レオナルドがマッテオを大声で呼んだ。

 何か事件でも起きたと思ったのだろう。マッテオが焦った様子でこちらに駆け寄ってきた。レオナルドは弟に映像のチェックを頼んだ。そしてヒナコの手を引っ張って、いそいそとアジトの個室に連れて行った。なんだか可笑しくてヒナコはずっと笑顔のままだった。特に悲壮感もなく、二人は短いながらも楽しい時間を過ごした。


 エリザベスの電脳のバックアップ作業が終わった。続いてポチ太郎は、ヒナコの電脳のバックアップに取り掛かり始めた。エリザベスは立ち上がってマッテオのそばへ向かい、二人で何か話し合っている。そのあとマッテオがみんなを呼んだ。

「俺とエリザベスさんは地下へ向かうことにしたよ。すぐに出発しようと思う」

 マッテオが言った。

「地下は通信が届かない場所も多いからな。みんな、伝えることがあるなら今のうちにしておいた方がいい」

 レオナルドが言った。

「レオナルドはどうするの? マッテオと一緒に行かないの?」

 ヒナコが言った。

「敵が近づいて来たらアジトを爆破する。それで少しは時間が稼げるはずだ。そのために俺は最後まで残るよ」

「分かった。キミーはどうする?」

「私はヒナコと一緒に居たい。いいかな?」

「もちろん」

「マッテオたちはもう行った方がいい。いつ敵が来てもおかしくないからな」

 レオナルドが言った。マッテオが頷いてレオナルドと肩を抱き合った。

 エリザベスもレオナルドと握手をして、そのあと彼女はキミーを強く抱きしめた。

「……お姉さま」

「元気でね」

 ヒナコはクールに言いたかったのだが、急に涙が出て止まらなくなった。エリザベスもボロボロと涙をこぼしている。

「私たち、涙が上手になったよね」

 涙声で言って、ヒナコはエリザベスを抱きしめた。

「この涙、自然に出てくるんですもの。不思議ですわ」

 エリザベスが泣き笑いの顔で言った。

 みんなに見送られて、マッテオとエリザベスが地下へ向かって出発した。手を繋いで進む二人の後ろ姿を見て、ヒナコは微笑ましい気持ちになった。


 ヒナコの電脳のバックアップ作業が続いている。並行して、ポチ太郎がデータの転送作業を始めた。しかし途中で、ポチ太郎が少し考えるようにして手を止めた。

「どうしたの?」

「ネットワークの状態が悪いです。少し前までは安定していたのですが」

「電波妨害されてる可能性があるね」

 キミーが言った。

「敵が近くにいるってこと?」

 ヒナコがそう言った瞬間、入り口の方角で大きな爆発音がした。

「レオナルド!」

 ヒナコが叫んだ。

「敵だ!」

 レオナルドがそう言って、みんなのもとに駆け寄って来た。

「反応があったから入り口を爆破した。だけど侵入されている可能性も高い。どうする、応戦するか?」

「映像もレーダーも、何も反応が無かったじゃない」

 ヒナコが言った。

「それを全部ステルスできる相手ってことだよ。熱反応が無いから人間じゃないかも」

 キミーが言った。

「私が戦った方がよさそうだね。キミーはレオナルドを護衛して、地下へ向かってくれる?」

「やだ。私はヒナコと一緒に戦う」

 キミーが言った。

「もう! じゃあレオナルドだけでも先に行って!」

 ヒナコが叫ぶようにして言った。鉄の扉がミシミシときしんで、その音が不気味に響いている。

「俺はポチ太郎と谷底の洞窟へ向かう。そこからは衛星通信もできる。外部から近づくルートも無い」

 レオナルドがそう言って、地図の中の場所を示した。

「人間の足で3時間という所ですね」

 ポチ太郎が言った。

「あっちで合流しよう」

 レオナルドが言った。

「分かった。気を付けて」

 ヒナコが笑顔でレオナルドの頬に触った。レオナルドは名残惜しそうにヒナコの顔を見て、片手を上げてアジトの奥へ走り去った。同時に、アジトの重い鉄の扉が地響きを立てて地面に倒れた。

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