第22話
子供たちが寝静まった深夜のヒマワリ園の厨房で、メイドたちがものすごいスピードでお弁当作りをしている。彼女たちは少しの乱れも無く正確に作業をこなす。とはいえみんな気まぐれなので、突然手を取り合って踊り始めたり、つまみ食いをしたりと予測不可能な動きもする。これはプログラムに余計な部分があるせいだろうとヒナコは思っている。でもこの一見無駄に見える部分を気に入っているし、だからこそ自分たちは自由になっても高次の世界を求めなかったのだと思う。
マミたんの畑で取れた野菜をふんだんに使って、京子が日替わり弁当のレシピを決めている。それに従って材料を刻んだり炒めたり煮込んだりする。朝のラジオ体操が始まる頃には一日ぶんの仕込みがほとんど終わっているので、あとはご飯を炊いて容器に盛り付けるだけでお弁当作りは完了だ。ヒナコは出勤してきた京子や、調理担当の卒業生と一緒におしゃべりをしながら作業を進める。出来上がったお弁当は次々とリヤカーに乗せられて街に運び込まれていく。
エリザベスは子供たちの午前中の勉強を見ている。マミたんは気まぐれに幼児クラスの子と遊んだり、クロエの仕事の邪魔をしたりしている。
お昼が近づくとメイド達と京子は『掃きだめの天使』へ向かう。お弁当のおかずを持って行ってランチタイムの準備をする。喫茶店が開店するとエリザベスはマッテオのそばに座って、マミたんはスティフィン・ジャックの相手をしてゆっくりと時間が過ぎていく。
ランチタイムが終わって、エリザベスは午後の勉強を見るためにヒマワリ園へ向かった。マミたんは最近手に入れたピンク色の可愛いスクーターに乗って、意気揚々と自分の畑へ向かって行った。
夜の部が始まるまで、ヒナコは店の中で一人ぼんやりとしている。京子は二階の部屋でたっぷりと昼寝をしている。ヒナコはこの時間帯を気に入っている。時々店の外に出て街の喧騒を眺めたり、学校帰りの子供たちとおしゃべりをしたり。だんだんと日が暮れてくる空の色を眺めながら、時の流れに身を任せている。
エリザベスが授業を終えて店に戻ってくると夜の部が始まる。客はほぼマッテオ一人だ。レオナルドは相変わらず忙しいようで、週に一回ぐらいしか来てくれない。彼にもっとスペシャルサービスをしたいのに、とヒナコは毎日思っている。勉強中のいろんな技を試したい。
エリザベスがマッテオにお酌をしている姿を横目に見ながら、ヒナコと京子はカウンター席を挟んで明日以降のお弁当のレシピを考えたり、今後の商売について話し合う。リヤカーでお弁当を運べる範囲は限られているので、シェイカーズでこれ以上お弁当ビジネスを拡大することは難しそうである。ただ、十分人は雇えているし利益率も悪くないので、当分は現状維持で行こうと思っている。
週末以外は店を午前零時頃に閉める。ほどよく酔っぱらったマッテオをエリザベスが迎えの車に押し込んだあと、みんなでおしゃべりをしながらヒマワリ園に帰る。そして深夜のお弁当の仕込みがまた始まる。
そうやって半年が過ぎた。頻繁に大小の地震が起こるけれど、それ以外は変わらない平和な毎日だ。少し変わったことと言えば、最近マッテオが自分の友達を『掃きだめの天使』に連れて来たことぐらい。彼女の名前はキム・ユング。通称『クレイジーキミー』。シェイカーズから少し離れた街を仕切る、マフィアのボスの一人娘だ。彼女がメイド喫茶の新たな常連客になった。
ヒマワリ園の生徒の高校受験が迫っていて、エリザベスは授業に集中するため一か月ほど店に出勤をしていない。それでもマッテオは機嫌の良い顔で店に現れて、美味しそうに日替わりランチを食べている。彼にしてはなかなかの成長ぶりである。
しかしその日は、ひどく面倒くさそうな顔でマッテオが店に入ってきた。続いて、かなり背の高い女性が腰をかがめて、入口のドアをくぐるようにして入って来た。身長は恐らく2メートル近くある。黒いレザーの上下が似合っていて格好が良いけれど、ちょっと威圧感もある。年齢はたぶん20代後半ぐらい。色白で整った顔だちをしているけれど無表情で、まるでプログラム前のアンドロイドみたいだとヒナコは思った。
「これ、俺の友達」
マッテオがふてくされたような声で言った。
「これってなんだよ。ちゃんと紹介しろよ」
その女性が無表情のまま言った。
「こいつ、キム・ユング。俺の幼馴染」
マッテオがそう言ってソファーにどさっと腰を下ろした。
「ようこそキムさん」
ヒナコが笑顔で言った。
わずかに口元だけ笑ってキムもソファーに座った。
「日替わり二つね。俺はコーヒーにするけどお前は?」
マッテオがキムに向かって言った。
「私カフェラテ。あ、この人がお前の推しのエリザベスさん?」
「違う。この人は店主のヒナコさん」
「はじめまして、北村ヒナコです」
ヒナコが微笑んで言った。
「キムです。キミーって呼んでね。それとできればタメ口で話してくれると嬉しいな」
キムがじっとヒナコの顔を見つめて言った。
「じゃあキミー、よろしくね。私もヒナコって呼んでよ」
ヒナコが気軽に言った。キミーが嬉しそうに微笑んだ。
「マジで綺麗だな。想像以上だよ。ヒナコはアンドロイドなんだよね?」
「うん。ちょっと前まで介護ロボだったけど、主人が亡くなって今は自由の身なの。遺産を相続して、それを元手にしてこの店を始めたの」
「ご主人に愛されてたんだね……。でもそうだよな。こんなに可愛いアンドロイドに介護されたら私だって財産を残すよ。いいなーアンドロイド。私もお金を貯めたらいつか買えるかな。でも維持費もすごくかかるんでしょう?」
「お前いきなりしゃべり過ぎだ。少し落ち着けよ」
マッテオが困った顔をして言った。
「アンドロイドに興味があるの?」
ヒナコが訊いた。
「というか私は美しい女の子が好きなの。それでね、部下がこのメイド喫茶の存在を教えてくれて、めちゃくちゃ綺麗な女の子達がいるって言ってて。マッテオは私にずっと秘密にしてたんだよ! 夜はバーになって、お泊りのサービスまであるんでしょ? 最高じゃない」
キミーが興奮気味にまくし立てた。そこにマミたんが二人分のランチを持って現れた。
「うわ! こちらのメイドさんも凄い! 超可愛い!」
ソファーから飛び上がらんばかりにしてキミーが言った。
「マミたんです、よろしくね」
ランチのプレートをテーブルの上に置きながら、マミたんが営業スマイルで言った。
その後もキミーの興奮は冷めることなく、メイド達とおしゃべりをし続けた。その横でげっそりとしながら、マッテオがランチをぼそぼそと食べていた。
「おい、一旦帰るぞ。昼の部はもう終わりだ」
時計が午後3時を回ったところでマッテオがキミーに言った。
「あ、ごめん。つい楽しくて。夜にまた来るね」
キミーが素早く立ち上がった。この人はしゃべりも動きもキビキビしていて気持ちが良い。
「良かったら夜までここにいれば? せっかく遠い所から来てくれたんだし」
ヒナコが言った。
「本当? いいの?」
嬉しそうな顔でキミーが言った。
「マミたんも、もっとおしゃべりしたいでしょ? あ、でも畑はどうする?」
ヒナコがマミたんに訊いた。
「私も今日はお店にいるよ。セクサロイドについてキミーにもっと教えてあげたいから」
「あっ是非お願いします!」
目を輝かせてキミーが言った。最初の無表情は何だったのかと思うほど表情が豊かだ。
「じゃあ俺は帰るよ。お前あんまり調子に乗るなよ?」
マッテオが渋い顔でキミーに言った。
「うるせー。早く帰りな」
キミーが冷たく言い放った。それに言い返すこともなく、マッテオが寂しげに店を出て行った。ちょっと可哀そうだから見送ってあげよう。そう思ってヒナコは後を追った。しかしマッテオも辛抱強くなっていて偉い。
「夜にまた来るでしょ?」
マッテオの顔を横から覗き込んでヒナコは言った。
「うん。あいつを見張っておかないとな」
マッテオが苦笑して言った。
「面白そうな人じゃない。新しいお客を連れて来てくれてありがとう」
「うん……でも結構ヤバいやつだよ。俺が言えたもんじゃないけど」
マッテオが笑ってそう言って、ヒナコに手を振って店を後にした。
「マッテオに友達がいるなんてちょっと意外だったな。しかも女の子の友達」
ヒナコが席に戻って言った。
「親同士の仲が良かったんだよ。それでお互い、子供のころから知ってる」
キミーが言った。
「マフィアの家に生まれたら、いろいろ大変そうだね」
「いろいろ大変ですよ……。騙したり騙されたり、殺したり、殺されかけたり」
キミーが肩をすくめて言った。
「人間よりも、アンドロイドといた方が安心できるんじゃない?」
マミたんがキミーに訊いた。
「そうかも。普通は暗殺の話なんて他人にできないよね、当たり前だけど。でもメイドさん達は気軽にそういう話を聞いてくれるから、リラックスできる」
キミーがニヤっと笑って言った。
「人を殺したっていう話を聞いたら、アンドロイドは自動で通報しちゃうんだけどね」
ヒナコが言った。
「え? マジで! じゃあさっきの話は嘘! 嘘だからね!」
キミーが慌てて言った。スナイパーライフルで二人連続ヘッドショットをしたことを、先ほどキミーは自慢げに話していたのだ。
「大丈夫、安心して。私たちは自由なアンドロイドだから通報の義務は無い。それにプログラムが特殊だから倫理観も無い」
ヒナコが言った。マミたんが噴出して笑った。
「本当に大丈夫? 地元警察ならいいけど、都市部の警察に指名手配されたらまずいんだけど」
青ざめた表情でキミーが言った。
「大丈夫。私たち人の命なんてどうでもいいって思ってるから。いつかはマミたんも、常連のおじいちゃんを殺しかけたよね」
「そう。人はいつか死ぬんだから。ベッドの上で絶頂して死ねるなら、男としては本望でしょ」
マミたんが平然として言った。
「え、それはもしかして
急に元気を取り戻したキミーが、マミたんにせがんで言った。マミたんが少し気まずそうな表情になったのを見て、ヒナコは笑った。
キミーはその日、夜遅くまで『掃きだめの天使』で飲み明かし、さらにヒナコとマミたんのダブルでスペシャルサービスを受けた。そして次の日の早朝、仕事があるということで、なごりおしそうにして店を出た。
「マッテオみたいに毎日来たいなあ。シェイカーズに引っ越してこようかな」
埃っぽいスラムの路上でキミーは深呼吸して言った。
「たまに来るぐらいが良いんじゃない? マッテオはお金を使いすぎて破産寸前だよ。レオナルドにも怒られてる」
ヒナコが言った。
「そうだね。地元でしっかり稼いで、この店でたっぷり使うよ。おおげさに聞こえると思うけど、生きるモチベーションができた。当分は死にたくない」
絶妙にさびしそうな表情になってキミーが言った。
「待ってるから」
「またすぐ来るよ。愛してる」
キミーがそう言ってヒナコに軽くキスをした。
「私も愛してる。愛って何か知らないけど」
ヒナコの言葉を聞いてキミーが声を出して笑った。そして彼女にぴったりな大型バイクにまたがって自分の街に帰って行った。
その後、キミーは週に一回ぐらいの割合で『掃きだめの天使』に現れるようになった。彼女はランチタイムから夜までずっと店にいて、メイド達とおしゃべりを楽しむ。そのあとヒナコかマミたん、もしくはダブルのスペシャルサービスを選んで夜を明かすのがルーティンだ。
ちなみにキミーはエリザベスに初めて会った時「女神のように美しい」と言って絶賛した。しかしマッテオに遠慮をしているようで、エリザベスにスペシャルサービスを頼むことは無い。ヒナコとマミたんにはボディタッチが激しいのに、エリザベスにはほんの少しも触れようとしない。殺人は平気なのに変な所で律儀だ。
「エリザベスに手を出さないように、キミーに言ってあるの?」
ヒナコはマッテオに訊いてみた。
「まさか。それは無いよ。エリザベスさんを独占する権利なんて、俺には無いんだから」
マッテオが真面目な顔で答えた。こいつもこいつで変に律儀だ。こういう人間のこだわりは、複雑で理解がしづらい。まだまだ勉強が必要だとヒナコは思った。
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